四月がくる    金時鐘、そして済州島1948年4月 

四月よ、遠い日よ。    -金 時鐘-

ぼくの春はいつも赤く                                                                                           花はその中で染まって咲く。
蝶のこない雌蕊(めしべ)に熊ん蜂が飛び                                                                                                羽音をたてて四月が紅疫(こうえき)のように萌えている。                                                                                                               木の果てるのを待ちかねているのか                                                                                                                                                                                    鴉が一羽                                                                                                                                 ふた股の枝先で身じろぎもしない。
そこでそのまま                                                                                                                                                                        木の瘤(こぶ)にでもなったのだろう。                                                                                                          世紀はとうに移ったというのに                                                                                                                                        目をつぶらねば見えてもこない鳥が                                                                                                                                          記憶を今もってついばんで生きている。
永久に別の名に成り変った君と                                                                                                                                    山手の追分を左右に吹かれていってから                                                                                                                                                                                                                 四月は夜明けの烽火(のろし)となって噴き上がった。                                                                             踏みしだいたつつじの向こうで村が燃え                                                                                                                                                                            風にあおられて                                                                                                                                                    軍警トラックの土煙りが舞っていた。                                                                                                                                                          綾なす緑の栴檀(せんだん)の根方で                                                                                                                                       後ろ手の君が顔をひしゃげてくずおれていた日も                                                                                                    土埃は白っぽく杏の花あいで立っていた。
うっすら朝焼けに靄(もや)がたなびき                                                                                                                                                                                                                             春はただ待つこともなく花を咲かせて                                                                                                                                                      それでもそこに居つづけた人と木と、一羽の鳥。                                                                                                                         注ぐ日差しにも声をたてず                                                                                                                                                                                            降りそぼる雨にしずくりながら                                                                                                                                                                                     ひたすら待つことだけをそこにとどめた                                                                                                 木と命と葉あいの風と。
かすれていくのだ。                                                                                                                                                                                                           昔の愛が血をしたたらせた                                                                                                                                                                                             あの辻、あの角、                                                                                                                                                                                                                               あのくぼみ。                                                                                                              そこにいたはずのぼくはあり余るほど年を食(は)んで                                                                                                                                                                                            れんぎょうも杏も同じく咲き乱れる日本で、                                                                                                                              偏って生きて、                                                                                                                                                                                    うららに日は照って、                                                                                                                                                                四月はまたも視界を染めてめぐってゆく。
木よ、自身で揺れている音を聞き入っている木よ、                                                                                                                                                                                                    かくも春はこともなく                                                                                                                                                                                   悔悟を散らして甦ってくるのだ。
(2008年4月『環』33号掲載、2010年2月『失くした季節』所収)

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☆拙ブログ『ぼくにとっての金時鐘』 http://www.yasumaroh.com/?p=8057

☆集成詩集『原野の詩』(1991年、立風書房):解説「いま、金時鐘を読むということ」(池田浩士)より                                              『かつて、 皇国少年としての生を疑問なく受け容れた「光原」少年(これが日本名だった)は、朝鮮語のアイウエオもろくろく知らぬまま、日本の敗戦を心から悲しんで泣いていた。「<日本>が最初に私にやってきたのは、心根やさしい<歌>としてやってきた」と、金時鐘は書いている(「亡霊の抒情」)。奪われた野山や街で、かれは、日本の童謡や唱歌を声を限りと唄い、それらに親しんだ。それもまた生だったのだ。』                                                   『「光州詩片」の中でもひときわ鮮烈な「冥福を祈るな」の詩句は、自己自身の過去を悼まぬ決意へと、つながってくる。』                                                                                           

☆四時詩集『失くした季節』(2010年2月、藤原書店)金時鐘あとがきより                                                                                  『植民地少年の私を熱烈な皇国少年に作り上げたかつての日本語と、その日本語が醸していた韻律の抒情とは生ある限り向き合わねばならない、私の意識の業のようなものである。日本的抒情感からよく私は脱しえたか、どうか。』                                                                                                   

☆参考資料:NHK「詩を生きる心」-金時鐘の六十年-  http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-323.htm

                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

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