歌遊泳: 市民シャンソン講座から 1871年5月パリ・ロワール通のバリケードへ

尖閣・竹島とシャンソンそしてパリコミューン

市民シャンソン講座の発表会に親しい知人が出ると聞き、市のホールへ出かけた。それがキッカケとなって、YouTube などでシャンソンを聴くこと多いこの頃。

シャンソンは、ごく私的な愛の物語を唄う時も、『その輝き・蹉跌・再生は、「時代」が抱えることになるだろう社会的「失意・栄光・憤怒・希望」(公的記憶=パブリック・メモリー)と共振しているんだよ』とつぶやいている。

その上で、『それは何処にも誰にも譲れない、私だけの、個的な尊厳に関わる事柄なのさ』とささやいてもいる。

シャンソン。それは、道理と憲法に反する職員条例を強行して恥じない精神になど、決して宿らない種類の文化なのだ。

『さくらんぼの実る頃』はパリ・コミューン(1871年)の、『美しき五月のパリ』はその約100年後:1968年パリ五月の、その渦中に生まれた。

『サン・トワ・マミー』『雪が降る』『ろくでなし』で有名なサルヴァトール・アダモはシチリア生まれのベルギー籍で、自作の歌を多言語で唄っている。

『時は過ぎてゆく』の作・歌唱のジョルジュ・ムスタキはギリシャ系ユダヤ人である両親の亡命先エジプトで生まれ、17歳でパリへ来て、そして、永い歳月を経て、「在仏地中海人」と自称するアイデンティティに辿り着いた。

これらの歌は国境や民族を越えたい者共通の財産なのだ。

『さくらんぼの実る頃』 イヴ・モンタン

http://www.youtube.com/watch?v=ncs4WlWfIZo

『美しき五月のパリ』 加藤登紀子

http://www.youtube.com/watch?v=m-9vdTyuUj0

『ろくでなし』(原題は「不良少年」) サルヴァトール・アダモ

http://www.youtube.com/watch?v=BM_2igjbxjc&feature=related

『時は過ぎてゆく』 金子由香利

https://www.youtube.com/watch?v=zHCDzGHBz5Q

『さくらんぼの実る頃』はジブリ映画『紅の豚』で知った加藤登紀子さんの歌唱を含めて、それぞれに味がある。その中でぼくはナナ・ムスクーリさんが唄っている版が大好きなのだが、その理由はこうだ。イントロからラストまで流れるギリシャ風・エーゲ海風アレンジ旋律の伴奏と、彼女の澄み切ってピュアな声質によって、パリ・コミューンの精神が蒼い地中海と全ヨーロッパの空を貫いて鮮やかに響き渡っているような気分にさせてくれ、この曲と歌詞が捧げられたという、パリ・コミューンの渦中に散った若い看護助士ルイーズの物語を思い起こすからだ。

http://www.youtube.com/watch?v=jycvRlQI_hw

パリ・コミューン:1871年3月18日~同年5月28日、市民の蜂起によりパリに実現した自主管理政府。「普仏戦争」(1870、7~1871、2)とは、やがてドイツを統一するプロイセンとフランスの戦争だ。開戦直後たちまち敗色濃厚となったフランスはナポレオン3世自身が捕虜となり退位、9月4日臨時国防政府を設け第三共和制の成立を宣言し戦争続行。

が、ビスマルクによって完成された統一ドイツの圧倒的軍事力の前に形勢変わらず、70年末~71年明けにかけてパリはプロイセン軍によって完全包囲された。市内は飢餓状態的食糧不足に陥る。71年1月28日、国防政府はプロイセンに対して正式に降伏する。

2月、ティエールを首班とする、降伏後の和平交渉を担う臨時政府が誕生、ボルドーに国民議会を召集した。フランス有数の鉱物資源宝庫=アルザス・ロレーヌ地方の割譲などの交渉経過に、多大な犠牲を払ってパリを防衛したパリ市民は降伏を認めず、3月18日市内各所で蜂起した。市庁舎を占拠し、18日夜にはパリ市民による自治政府:パリ・コミューンが誕生する。

ヴェルサイユに本拠を移し構えるティエール政権は5月に入るとドイツの支援を得て、中旬には、コミューン内の内紛情報も得て、パリ総攻撃へ向け最終準備に入った。パリ市民は総出で各主要道路にバリケードを築き「来たるべき日」に備えた。5月中旬サクランボの季節、籠いっぱいの実を抱えてロワール通りのバリケードにやって来た二十歳の看護助士ルイーズ。彼女は言った。「わたしにも、できることがあるはず・・・」。                    数日後、コミューン軍最前線の「野戦病院」に彼女は居た。

5月21日、国民議会派軍がパリ市内入城。市内各地で壮絶な戦闘が始まった。コミューン軍は善戦したが、5月28日のペール・ラシェ-ズ墓地の戦闘を最後に力尽きる。                            多くのパリ市民とコミューン関係者が虐殺され(通説:3万人)、セーヌ川の水が赤く染まったと伝えられている。                   逮捕者4万人、内処刑多数(300~10,000、諸説あるが四桁だとされている)。                              1871年3月18日から5月28日まで、歴史上初の労働者・市民による自主管理政府=自由社会主義パリ・コミューン72日間の短くも濃い命、その死とともに逝ったルイーズ。彼女は、パリ・コミューンの記憶とともに、『さくらんぼの実る頃』の歌の中に、伝説となって今も生きている。

コミューン評議会内部の対立と混乱は、コミューンを維持する方法論(多数派=人民独裁論派VS少数派=多様勢力との連立論派)を巡る現在も続く古くてお馴染みの「未完の論争」だが、それはさて置き今は、間違いなく現代社会へ受け継がれた財産と言うべき、コミューンの混乱の中から発せられた政策の数々に、パリの人々が血で贖って得た「近代の智恵」をこそ見たい。

コミューン、それは選挙権・被選挙権・言論/結社の自由等の剥奪の上に、**主義を標榜する「塔」によって上から築かれた政府ではない。

パリ・コミューンの遺産=「婦人参政権」「無償義務教育」「児童夜間労働禁止」「政教分離」「主要公職公選制」など

BobbejaanSchoepen(ぼくには読めません)というベルギー籍の歌手、2008年83歳での収録歌唱。味わい深い。こういうジイサンになりたい!

http://www.youtube.com/watch?v=B8VQnDxY8Yw&feature=BFa&list=PL0C216C92913B3BC1

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

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