Archive for 12月, 2011

連載 78: 『じねん 傘寿の祭り』  八、 しらゆりⅡ(5)

八、 しらゆりⅡ⑤

石垣島三泊のうち二泊した民宿は川平湾に面している。                                                                   川平湾に在るダイビング教室に参加して、若い男女に混じって海に潜った。午前中に初心者講習を受け、午後からインストラクターに先導され、短時間ではあったが初めて巨大なマンタを眼前に見た。真上のマンタは八畳はあろう大きさで、初めてのダイビングにパニクっている初老男を見守るように悠々と往く。海の中で一種の閉所恐怖症状態の裕一郎は、その偉景を味わうことも出来ず、見下ろしている大きなマンタの慈愛の眼差しを感じながら己の矮小さを噛み締めていた。

その日の夕刻、民宿のベランダで爽やかな凪風を受けて目の前の湾に見惚れていた。食事を待ちながら泡盛をチビリチビリやっているところへ携帯電話が鳴った。                                                                                                     「黒川さんのギャラリーがオープンして任務終了、引き上げるんやてね。ご苦労さまでした。今日焼物が届いたよ。高志がたぶん報酬の現物支給だと言ってるけど」                                                                                 「それ開けてくれ。値段調べてそういうの好きな人、つまり買手やな、買手を探してくれよ。適正価格で売りたい」                                                                                                                                「どんな作品?」                                                                                                                                                              「知念太陽の作品や。昔、太陽の工房が火事に遭って、その時焼け残ったものらしい。黒川さんは高く売れると言うとる」                                                                                                                                                                     「ホント? けど、有名なタロウのものならともかく太陽は若いし、いくらいわく付きの品でもまだまだ高値は付かないと思うよ。(ねぇ、そう思わん?)。高志は黒川さんから何回か太陽の焼物買っているけど、二~三万だったよ。それに少し色つけて・・・てなところでしょ。現物支給を納得させる黒川さんの巧みな戦術と違う?(あの人らしいね。黒川さんに乗せられたんやね)」                                                                                                                      受話器の向こうに高志ではない誰かが居るようだった。                                                                                                      「そうか・・・、そうかも分からんな。ジイさんの戦術にやられたかもな。彼も必ず高く売れるとは言ってないんやけど…。まぁ、買手探してみてや」                                                                                                                                                                                          電話の主が聞きたいのは届いた焼物の事以外にあると分かっていたが触れずに、ギャラリー開設に至る話の一部をしばらくした。その触れず避けた話題を玲子が訊いて来る。                                                                                             「沖縄で高志の会社の元社員の人に会ったそうやね」                                                                                「ああ。黒川さんのギャラリー作りに協力した土産物工房で働いていた。その関係で何度か会うたけど」                                                                                              「元気にしてはった?」                                                                                                       「ああ、元気やで。昔居た団体に戻るそうや」                                                                                                  「ふ~ん、そう。」                                                                                                                                        話題を変えようと思うと、その元社員の女性から聞いた出来事、大学前駅の三十数年前のシーンについて話していた。憶えてるか?あの駅前、君の部屋へ行って食った野菜炒め・・・。                                                                                        「あの時、高志は君と俺が待ち合わせてたと思うてるらしい。俺はてっきり君は高志と待ち合わせてると思うてたよ。そうやないんやね」                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「えっ、アハハハハ・・・・。憶えてるよ。映画観に行く約束で友達を待っていて、三十分も待たされて帰ろうと思ったら、あなたらに遭ったんよ。その友達、ウッカリ忘れ多い人なんよ(えっ?何言うてるのそうやんか)」                                                                                                                「へぇ~、そうやったんか。高志に言うてやれや」                                                                                                                                                                                                                                               「ええよ言わなくて・・・今さら。あんたと待ち合わせてたということでええやんか。(ほら、大学前駅で三十分もあんた待ってたのに来なくて、高志と裕一郎に会ってうちでご飯したって言うたでしょ。あれ、私が待ってた相手、高志は裕一郎だと思い、裕一郎は高志だと思うてたんやて。アホやね、あの人ら・・・。訊けばええのに・・・。)その話、高志がそう思うてるって話、それ本人が言うてるの?誰かから聞いたん? まぁ、ええわ。あのね、あの時待ち合わせてた人、偶然いま隣に居るんよ」                                                                                                        「はあ、誰?」 電話に出る出ないの押し問答が聞こえた。                                                                                                                                               その人物に受話器が渡って、電話の声の主が変わった。「生きてるんかいね?」

連載 77: 『じねん 傘寿の祭り』  八、 しらゆりⅡ (4)

八、 しらゆりⅡ④

「知ってるよ。いいって、いいって」                                                                                                    ユウくんは裕一郎の「悪いなユウくん。北嶋さんな、仕事の都合で大阪へ帰るんや」に対してそうケロリとして返した。園舎の玄関横に在る、蛇口がいっぱい付いている長い手洗い場で、ちょうど園庭から園舎に入る時の決め事「手洗い一分間」を実行しているユウくんに声をかけたのだ。                                                                                                                                                                                              「知ってたのか・・・、いつ知った?」                                                                                                                          「最初からだよ。北嶋さんが来た時から。北嶋さん、チチのギャラリが出来るまで居ると言ってたよ。この間も、ギャラリで亜希さんにさよなら言ったよ」                                                                                                             ユウくんは現実を受容れる訓練を日頃からして来たのだ。もう北嶋さんとは海へ行けない、もう北嶋さんが作る美味い夕ごはんも、フレンチトーストも食べられない、「じんじゃえる」を飲んで美味しい焼き鳥を食べた居酒屋へも行けない・・・。そんなことはとうに覚悟している。いや、覚悟しているからこそ、ひと時裕一郎にあれこれせがみもしたのだ。無いモノねだりをして駄々っ子になったりはせず、淡々として事態を受け止めている。父親よりも自分よりも、よほど「人間」が出来ている。裕一郎はそう思って感謝に近い感情に包まれていた。                                                                                              「亜希さんは行かないから、北嶋さん悲しいね」                                                                                         「亜希さんはね元々行く予定はないんだよ」                                                                                                                                                    「そうか・・・、残念だね」                                                                                                    「亜希さんは自分の予定や仕事があるんや。南アジアという処へ行くんだよ。外国だ」                                                                                      「ふ~ん、北嶋さんもそこへ行ったらいいのに。毎日亜希さんに逢えるよ」                                                                                                                                       「ユウくん、逢えない方がずっと仲良しでいられることもあるんだよ」                                                                                                     「そっか・・・」ユウくんはそう言って、微かにため息を漏らした。                                                                                                                      裕一郎は今自分が吐いた言葉が、年齢差・関係性・経過事実や相手の心の辺境とその理由、それらを見ないことにして振舞った先夜の己を、救済する為のものだと自覚していた。正確に言えば「ずっと仲良しでいられたらいいのにな」だろうか。

ユウくんが園舎内に戻るのが遅れますと職員に伝え、了解をもらっている。心得たものだ。                                                                                         ユウくんが胸にぶら下げた携帯電話を手にする。開いた左の掌を裕一郎に向け「ちょっと、待ってて」と合図した。ユウくんが慣れた手つきでどこかにかけている。                                                                                                                                         「うん、そうだよ。うんうん。北嶋さんは石垣島に行ってから大阪へ行くって。えっ?うん、は~い、いま代わるね」                                                                                                          ユウくんが「北嶋さん、ハハだよ」と携帯電話を寄越した。                                                                                                                   ハハ美枝子は開口一番にギャラリーオープンへの感謝を言って、次いで黒川家の家事に関して、続いてユウくんとの日々への慰労を口にした。                                                                                                                                 話の最後に「私たちの送別会に来てくれた人、亜希さんでしたか、あの人と逢えて良かったですね」と付け加えた。裕一郎は、何でも知っているのだなと呆れるより、美枝子-ユウくん間に成立している日頃のホットラインの頻度や濃さを思った。                                                                                                                                                                                    ユウくんは黒川との日常以外の場所で、美枝子と連絡を取り合ったり、バスでの往き還りのでのユキちゃんとの逢瀬を確保して、黒川が知らない世界も生きていたのだ。しかも、黒川の知るところとなって黒川との間に気まずい空気を作ってしまうことを避けながら。                                                                                      ユウくんの工夫や秘匿が思い遣りに近いものだと思えて来る。人間の感情の機微へのユウくんの智恵ある配慮に間違いなく元夫婦は助けられて来たと思うのだった。                                                                                                              この父母だけではなく裕一郎を含めた大人たちの振舞いこそが子供じみているのではないだろうか・・・。                                                                                                                      無垢と威厳。裕一郎はしらゆりの花言葉を思っていた。

たそがれ映画談義: 人になる契機、その固有性・不可侵性 そして普遍性

空気人形

パソコンを叩いていて、ふと気が付くと夜も遅い。たまたまケーブルTVを点けた。                                                                   日本映画専門チャンネルで『空気人形』という、誰の作品かも知らない怪しげな映画の深夜放送が始まるところだった。ビニール製のダッチ・ワイフが「心」を持ってしまうという物語だ。10分もすると「これはただものではないぞ」と感じて、見入ってしまった。                                                                                      ぼくにとっては予期せざる掘り出し物だった。(知っている人には当然の秀作だろうが)                                                                                                                 似た条件で、つまり知らず・たまたま・・・・という、ぼくにとっての掘り出し物作品に                                                            『虹の女神』 『カフーを待ちわびて』 『深呼吸の必要』 『ハチミツとクローバー』(これはややメジャーだが) などがある。                                                                                                           

『空気人形』2009年、監督:是枝裕和                                                                                            原作:業田良家(小学館:ビックコミック劇画『ゴーダ哲学堂・空気人形』)(業田は、小林よしのり『わしズム』に何度か登場。?!?!?)                                                                                                                                                                                                                                           出演:ペ・ドゥナ、ARATA、板尾創路、余貴美子、富司純子、高橋昌也、オダギリ・ジョー                                                                     http://eiga.com/movie/54423/video/  http://www.kuuki-ningyo.com/index.html                                                                                                                           【紹介サイトから転載】(「映画.COM」より)                                                                                                                                                 女性の「代用品」として作られた空気人形ののぞみに、ある朝「心」が芽生え、持ち主の秀雄が留守の間に街へ繰り出すようになる。                                                                                                                                                そんなある日、レンタルビデオ店で働く青年・純一に出会い、密かに想いを寄せるようになった彼女は、その店でアルバイトとして働くことになるが……。主演は韓国の人気女優ペ・ドゥナ。                                                                                                                                                             人は誰しも空虚な心を抱えていて、誰かに必要とされたい、そして誰かと繋がりたいと願っている──そうした現代に生きる人々の象徴ともいえる空気人形が、逆に、周囲の人々の孤独と空虚さを浮き彫りにしていく……。彼女が見た世界には、なにが満ちていたのか? 空気人形の初恋の行く末を見守ることは、私たちがいかにして他者と交わり、自分を満たしていくのかを探る心の旅でもある。                                                                                                                              後日、ネット上の評にピノキオ寓話・人魚姫症候群の系譜だと書かれているのを見た。

                                                                                                                                                                                                            09年、一昨年9月公開なのだが、見逃した。見逃したと言うより、仕事現場が繁忙だったのか記憶にない。                                                                                                                是枝裕和と言えば、この前年08年の『歩いても歩いても』を観て、人に薦めたりしていたのに、本作の情報が全く記憶されていない。                                                                                         是枝裕和で検索すると、他に『幻の光』(95年、宮本輝原作、江角マキコが表現した存在不安、生と死、素晴らしかった)、                                                                                      『誰も知らない』(04年、柳楽くんがカンヌで主演賞取ったね)、『歩いても歩いても』(08年)、『空気人形』(09年)、『奇跡』(本11年6月公開)、                                                                                                                   という具合に、家族や身近な人との城内という、「そのまま」では赦し合い・舐めあい・もたれ合い・甘えあう閉鎖性や世の「黙契」の出発地でもある場の、その関係性に潜む強固なものと儚いもの、その醜と美を・圧と開を描いて来た。1950~60のアメリカン・ホームドラマ(「パパ大好き」「うちのママは世界一」?)や、60年代の和製家族ドラマ(「七人の孫」他)や最近では「渡る世間・・・」と一緒にせんといて!                                                                                  (家族を描くTVドラマでは向田邦子「阿修羅のごとく」は秀逸です)                                                                                                                                                  人が生きて行く上で大切なものが、逆に醜く惨いものが、そして他者=社会に開かれ晒されて変容して行くものが、君が生きて暮らしているほらそこに在るよと示していても、ホーム・ドラマでも家族物語でもない。家族の再建や再集合を願っているように見えて、手放しの家族礼賛には決して与しない。逆に人が生きて行くヒント、生きて行く力は、家族的なるものを越えたところに開けると言っている。その上で、家族的なるものに、たぶん在る価値を認め活かそうではないか・・・、それはヒントになり力になる、そう聞こえる。金時鐘の言葉で言えば「切れて繋がる」に近い。                                                                                                                                                     この誤解されがちで困難なテーマは、ストーリーやセリフだけでは「議論」「説明」「主張」となりそうで危うい。そこは映画の力だ。風景・間(ま)・音・香り・表情・セリフ未満の短い呟き・・・によって描いて来た。                                                                                                                 例えば、肉体は空っぽで中身が空気だと嘆く主人公にARATA(心を持ったことで惚れてしまった青年)や高橋昌也(河べりのベンチでしばしば遭う老人。元代用教員)に、「同じくぼくも空っぽなんだよ」と呟かせるシーンは成功しています。                                                                                                                  人は誰も「空っぽ」だった。今も「空っぽ」だ。老人高橋昌也にして「空っぽ」なのだ。人が人になる契機、人が人であり続ける根拠を想い、この先、人でありたいと想った。そう思わせたこの映画はまた、カメラアングル・カメラ移動の浮遊感が素晴らしい。生の浮遊性が迫ってくる。                                                                                               是非、見てやって下さい。(撮影監督:ぼくは知らないのですが、リー・ピンビンという台湾の名カメラマンだそうです)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           メイキングフィルムがある。主人公がバイト先のビデオ店で、ビニール製のカラダを棚に引っ掛けて空気が漏れる。ARATAが破れヶ所にセロ・テープを貼って手当てし、空気を栓(へそ)から入れてやるのだ。このシーンで泣くことできない人形ゆえカメラの前ではこらえ、カット!の声の度に、ビニール人形のその哀れ切なさに静かに泣いていた韓国女優ペ・ドゥナ。異邦人として異境にある人々の心情が重なり迫って来るのでした。
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