連載 80: 『じねん 傘寿の祭り』   エピローグ (1)

エピローグ①

裕一郎が退院して向かった妻の転居先は、高度経済成長期に各地に大量に建てられた、狭い一戸建公営住宅風の昭和の香り漂う住居だった。格安家賃だからと妻が選んだのだ。部屋が田の字に配置されていて、狭いキッチンの隣に風呂があり、トイレは後年改装されて水洗になったに違いない造りで玄関の横にある。窓のサッシは全て木造で隙間風が入って来る。それが七〇年代から運ばれて来る風ように感じ、七〇年代の初め住んだ文化住宅を思い出させた。猫の額ほどの庭があって、妻がその狭い裏庭でトマト・パセリ・大葉・キュウリなどを作っていたのを思い出した。その文化住宅で央知も姉も生まれたのだ。                                                                        ギブスを外しても、帰ってきた放蕩息子のように、脚の不自由を理由に何をするでもなくダラダラ過ごしていた。実際、松葉杖生活は洗濯物ひとつ干せやしない。妻は怪我人を鞭打つことはせず、仕事を続けた。                                                                                                                                                                                                                               裕一郎は連日、リハビリに通院し、帰っては有線放送でかつて見逃した映画を観て過ごし、合間に「黒川との沖縄」を書き始めていた。黒川から二度、ユウくんから三度電話があった。最低限の生活は確保しているようだ。ユウくんは亜希と海へ行ったと報告してくれた。                                                                                                              焦る気持ちが無いではないが、松葉杖を卒業するまでしばらくこのまま居ようと決めていた。どの道、仕事は見つけなければならない。高志の呼び出しには松葉杖をついて二度ばかり呑みに出かけた。大学前駅待ち合わせの一件の真相を言ってやったが、もちろん高志は「それがどうした」とばかりに軽くいなし、話に乗って来ない振りを決め込んでいた。高志はノザキへ戻れと繰り返し言ったが、返事を保留しておいた。                                                                                                                                           八月末、玲子から朗報がもたらされた。                                                                                     黒川から現物支給された太陽作の焼物の買い手があったと言うのだ。                                                                    大陽会の会報にも載せ、黒川の大阪時代の客の何人かを辿り太陽の焼物の話をするうち、その一人が「美枝子さんなら買い手を探すかも」となり、美枝子の所在を知る人が彼女に連絡した。                                                                                     美枝子は熱烈な太陽ファンを憶えていて教えてくれた。連絡すると、その人物が買うという。太陽会の筋からも引き合いがあった。                                                                                                          その価格は、何と三点で百万以上だという。三点とも揃っているのが味噌らしい。陶芸界も不思議な世界だ。                                                                                                                                      二つのルートを天秤にかけるのも美枝子さんに失礼、美枝子さん紹介の人にしなよ、とのことだった。                                                          裕一郎は考えた。その価格は想定外だ。黒川もここまでの値が付こうとは思わなかっただろう。いや、予想していたのなら黒川も大したものだ。最後にカッコ付けやがったか。見直してやってもいい。いずれにせよ、売ったら半額だけいただいて、残りを黒川と美枝子に半分ずつ送金するか。                                                            妻に話すと「そうして上げて」と言う。何故この女性と暮して来たのか・・・、その理由を噛み締めていた。                                                                                                                      九月になった。最後のリハビリでOKを貰い、松葉杖を放し、帰宅すると赤飯が待っていた。謝辞を述べておくべきだと思って「全快祝いか、ありがとう」と言うと、「アホ、花器が百二十万で売れた祝いや」と妻は照れ隠した。今日、買い手が玲子を訪ね花器と現金を交換、無事売買が成ったという。

翌朝早く亜希から電話があった。                                                                                                                                                                                                                                                                                             今、那覇空港。東京の団体の本部へ行き、明後日かの国へ発つと言う。ギャラリーじねんでオープン直後に会って以来だ。沖縄を離れることの、あるいは仕事のスタートの、挨拶だと思いゆっくりした口調で「がんばれよ」などと言ったと思う。                                                                                               亜希は急かされているような口調だった。                                                                                      「北嶋さん、大変なんです。黒川さんを止めて!」                                                                                                                          「何? 何のこっちゃ」                                                                                                                               「最後の闘いをするって、何やらぶっそうな物も持ってるらしいの。私、昨日最後の配達の帰りギャラリーに立ち寄って、黒川さんにお別れの挨拶したんです。そのとき『君は、明日沖縄を去るから漏れることは無い。誰にも言うんじゃないぞ』って念を押されて、計画を聞きました。明後日、つまり明日九月八日に決行するって」                                                                                                                                                        「黒川さん、何をするって?」                                                                                                                        「それは言ってくれませんでした。決着をつける、母に会うんだと思いつめた表情で真っ青なお顔でした」                                                       「明日するって、九月八日・・・? うーん何の日やったかな」                                                                                             「島に帰ってからネットで調べました。一九五一年九月八日、サンフランシスコ講和条約の締結です。北緯二十九度以南、奄美・沖縄を含む南西諸島を日本の行政権から切り離すという同条約第三号です」                                                                                   「想像やけど、生母のお墓を特定出来たんじゃないか。で、たぶん、お墓は米軍基地内にあるんやないか。その関係の手続上からも関係者の同意を得られないことからも、お墓に行けない・・・それで・・・。で、ぶっそうな物って?」                                                                                                                                                                                                                          「分かりません。本人が道具は用意した、って言うんです」                                                                                   「よし、今から行く。黒川さんも、何を言うてるんじゃ全くぅ。ユウくんのこともあるのに」                                                                                      「でしょ。止めて下さい。ことが終ったら北嶋君に話してくれ、彼は解かってくれる、って仰るんです」                                                                               「遺族説得が最終的に不調に終ったんやろ。調査員の制止を振り切っての行動やろうなな・・・。分かった行く。松下さん、君は東京に向かいなさい」

 息子の結婚式は明後日だ。後日詳しく話せば妻も息子も、そして新婦:友華も式欠席を納得してくれるだろう。この話が通じるだけの関係を築いて来たとは言い難いが、人が生きて行く上で避けられない岐路、遭遇する選択場面での優先順位の決定基準を変更する気はさらさら無い。                                                                  妻に概要を伝えた。止める妻ではない。ただ、出かけるとき、妻が最後に玄関先でこう言ったのだ。                                                                                                                                                                                                                   「気を付けてな!脚まだ完全やないんやから・・・。その歳で逮捕なんかもう絶対アカンで! 帰ったら、こうして急遽沖縄へ行かなきゃならなかった理由、それをあんたなりに書いたらええよ。読ませてもらうよ」

 

 

 

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