連載 79: 『じねん 傘寿の祭り』  八、 しらゆりⅡ <6>

八、 しらゆりⅡ⑥

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ドアをノックする音の強度で訪問者が男だと分かった。                                                                                                    病室は空調が効いていて程よい温度なのだが、窓のカーテンは閉じられている。強い西陽を避けるためだ。                                                                                                                                  左右から引かれたカーテンが中央の重なる部分で十センチほど隙いている。その隙間から外が見える。病院のすぐ側を走る私鉄の線路が見えた。                                                                                                        裕一郎は、ギャッチ機能で背を立て半座位になって、高架ではなく土を盛り上げた路盤に敷設された線路を何と言うのだったかな・・・とボンヤリ考えながら外を見ていた。ちょうど、電車が走り抜けるところだった。防音が行き届いているのか気になるほどの音量ではない。入院して一週間、電車の音が気になって眠れないということはなかった。                                                                                                                                      ドアの方へ首を捻ると若い二人の男女が入って来た。                                                                                                                 「戻って来たと思うたら早速これかいな。どこまでオカンに迷惑かけたら気が済むねん?」                                                                                                                                 「ちょっと、央知さん」。女性がたしなめる様に男の袖口を引いている。男は怯まず続ける。                                                                                                                                                          「オカンはお人好しにも自分が引越しに呼び戻したばっかりに・・・と悔んどるんや。そんなことにも気付けん人なんやこの人は・・・」                                                                                                                       女性は、息子:央知の詰問を遮ろうと半歩前に出て言う。                                                                                          「始めまして・・・。上杉友華と申します」                                                                                                                     「この人と来月結婚するんや。」                                                                                                       「始めまして。父親の裕一郎です。そうなんですか、おめでとう」                                                                                                                                                                                        息子は三十二歳だったと思う。裕一郎が些細なことから単身生活を開始した頃、すでに会社員で広島を皮切りに転勤を繰り返していた。今は本社勤務となり京都に居る。姉がいるが彼女は結婚して横浜に住んでいる。その頃家はすでに裕一郎と妻の二人だった。                                                                                                                       「独りでやって行けると証明できたんか、独りでは無理やったと思い知ったんか?」                                                                                                    「証明しようとなんか思うてないよ」                                                                                                    「出て行った理由をオカンに説明できたのか?」                                                                                      「いや、解からんやろう」                                                                                               「自分に対しては出来てるのか?」                                                                                                           「それはもっと解からん」                                                                                                                                                    「何やねんそれ、独り旅ってか、贅沢な・・・。何の責任もないガキが、カッコ付けて北へ行くみたいな自己愛だけの放浪かい?」                                                                                                                        「俺は南へ行ってたんや」                                                                                                                                  「茶化すなよ。まあええわ、罰当たって脚折ったんやな。姉ちゃんもそう言うとるぞ」                                                                                                         「央知さん・・・」上杉という女性が、又央知の袖口を引いている。

石垣島の民宿のベランダで電話で話したとき、妻は「引越しするから手伝いに来る?」と乗りやすい依頼を振ってくれた。引越しを手伝うという大義名分を得て、求めに応じて帰阪したのだ。その引越しを終え、小物を運ぶ為に借りていたレンタカーを返しに行く際、事故に巻き込まれた。                                                                                                         坂道を下った処に在る大きな交差点、赤信号で停車していた。裕一郎の車は前から四台目。すぐ後ろにもう一台乗用車が停まった。                                                                                                     右折車用に右折車線があり、直進車は左車線に並んで停まっている。バックミラーに大型のトラックが写った。そのまま進行すれば、右折車線に進むことになり、交差点まで進んでは車線変更出来ない。直進したいのだろうそのトラックが左車線に割り込もうとした。加速しているのではないか、強引だなぁと思った瞬間、ガチャーン・グチャっという音がして、前後から挟まれた車は大破。後ろの車を含めた計五台は押し出され最前列の車は交差点の中にいる。裕一郎はどこでどうなったのか判らぬまま、激痛走る左脚を引きずり車外に出た。後ろの乗用車の運転者はまだ出て来ない。最前列の軽トラックはワインを満載していて、道路に瓶が散乱して、割れた瓶からワインが流れ出ている。ほどなく、全運転者が車外に出てきた。奇跡的に全員命に別状は無いようだ。ガソリンの臭いが漂って来た。引火の恐れありと誰かが指摘して、車との距離をとった。信じられないことに、裕一郎の車は、大げさに言えば運転席と後部座席が引っ付いていた。                                                                                                                                                      衝突して以降のことは何が何だか分からないが、直前のトラック割り込みに至る映像だけは、スローモーションで再現できた。                                                                                                                                             救急車が来て、全員が病院に搬送された。激痛の脚は骨折していた。挟まった足首がカエルの足が捻れたような状態でのことのようだ。くるぶし=腓骨の下部の骨折ということだった。左足膝下から指の付け根までギブスを固定した時には、内出血で爪先に血が溜まり腫れて濃紫色を帯びていた。二週間で退院。ギブスを外すのに四十日前後、松葉杖なく自立歩行できるようになるには二ヶ月強を要すらしい。                                                                      央知に言われるまでもなく「罰が当たった」と思った。                                                                                             当然、まだ引越し先では一度も寝起きしていない。退院すれば、そこへ帰ることになる。                                                           裕一郎は、受容れてもらうための当然のペナルティを支払ったのだと納得していた。そのペナルティの支払いにも妻の介助介護を必要とするのだが・・・。しかし、怪我は痛く不自由なのだが、たぶんそのお陰で妻が積もる言い分の発言を手控えたと思う。いや、ほとんど言わなかった。代わりにこう言ったのだ。                                                                                               「退院したら、家を空けてまで過ごした『お値打ち』の日々を、書いてみたら? せめて沖縄三ヶ月だけでも・・・。読んでやるよ」                                                                                                 値打ちなどありはしないのだ、困った。『お値打ち』か・・・。                                                                                                                   

「あと一週間初期リハビリをして退院や。しばらく松葉杖やな」                                                                                                                        「しっかり噛み締めたらええよ」                                                                                                       「そのつもりや」                                                                                                         「結婚式には、松葉杖で無理して出席せんでもええんやで」                                                                                                                          「・・・・・・」                                                                                                             「いえ、是非出て下さい。私は父が亡くなってますので有り難いです」                                                                  「ありがとう。体調が許せば出席させてもらうよ」。上杉友華が裕一郎をしっかり見てニッコリ頷いた。                                                                       央知がそれまでの口調の角をやや削って言う。                                                                                                                           「入院費・治療費は大丈夫なんか?」                                                                                          「その点は大丈夫や。事故は百%相手方に非があって、運転手も認めてる。全部保険で出る」                                                                    「収入の補償は?」                                                                                                                                 「俺、収入証明なんか無いんで、主婦扱い、主夫やな。実際、沖縄で主婦してたんやが・・・。主婦は日額七千五百円やそうな。友華さん、七千五百円ですよどう思います?」                                                                                                     「収入証明できる仕事を続けます」友華が笑って返した。亜希と変わらぬ年齢だろう彼女の毅然とした返しを聞きその笑顔を見て、央知がこの女性を選んだことに頷き、「息子をよろしく」と念じていた。                                

二人が帰った後、不覚にも涙がこぼれた。                                                                 ユウくんと二人の生活をして見せると宣言し、曲りなりに、実際相当曲がっているが、曲りなりに続けている黒川、松山の温泉旅館従業員寮に居る美枝子、沖縄から再びかの地へ発つだろう亜希、黙して若い女性と別れたのだろう高志、やはり放蕩には違いない数年の果てのうらぶれ男を受容れた妻、彼らの人生・・・それが押し寄せてくるのだった。                                                                                                          それは、怪我・入院という苦境ゆえの弱気だけが思わせた心情ではないのだ、そう自覚していた。

(八章、しらゆりⅡ 終    次回より エピローグ)

 

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