歌「100語検索」 34、 <散>

桜は嫌いだ!

別・離・忘・去・逃・棄・折・流・ちぎれ・倒 (http://www.yasumaroh.com/?cat=26 )それでも納得しない「お国」は「砕けよ」「散れ」と言っている。                                                                 「散る」はそれこそ修復不可能、命の終わりだ。                                   

花と言えば「桜」だと、一体誰が決めたのだ。                                                                                                      古来、花は「梅」だったと思う。花が命を終える場面を表す日本語は実に見事にその瞬間を捉えていて感じ入る。桜は「散る」、椿は花びら全てが一気に落ちるので「落ちる」と表し、罪人の斬首を連想させて喜ばれない。                                                                                                                 牡丹は大きすぎて自らの重みに耐えかねるように朽ち行くので「崩れる」と表す。                                                                                                梅の花は独り密かに命を終えるが、その様を「こぼれる」と表し奥ゆかしい。                                                                       桜のあの散り際は、どうも騒々しい。辺り一面にこれでもかと花びらを撒き散らし、前夜までのバカ騒ぎ酒宴を呪うように人間どもに反撃している。                                                                                                                                     桜をネタに呑み騒ぐ人間(もちろん私を含む)どもも、これ見よがしに咲いた挙句過剰な反撃に出る桜も、どうも好きになれない。                                                                             桜に責任はないが、好きになれないのにはもうひとつ理由がある。                                                                    仏教用語「散華(さんげ)」を拝借僭称して、「お国」の為に命を失った人々の最期を表すに使った詐術のことだ。                                                                                            「散華」:仏や菩薩が来迎した際に、讃嘆するために華を撒き散らし降らしたという故事にちなんで行なわれる。                                                                                                                                                            法要などに散華が行なわれ蓮などの生花が使われていたが、蓮華を模った色紙で代用する。                                                                                                                           ここから、「散る」に最も相応しく儚さを象徴する花を求め、日本人(?)の死生観・無常観・「もののあはれ」など儚さを美しく感じる風土感性(?)にマッチするとして、見事に散る桜の花を散華のシンボルに誰かが祀り上げた。                                                                                                                             日本軍兵士の戦死を美化するに際して、「玉砕」とともにそれを美化する表現として「散華」が採用されたのだ。もちろん、事故・病死・空襲・非戦闘員・他国の兵士のそれは「散華」とは言わない。【ウィキペディアより要約】(靖国の合祀基準そっくりだな)                                                                 そして軍国用語とされちまった「散華」のその華は下記歌謡にもある通り「桜」なのだ。                                                                                                                                 ところで、先日偶然、万葉集に登場する植物ベスト・テンを知った。(数字は登場回数)

1.はぎ(萩)141                                                                                                                     2.うめ(梅)116                                                                                               3.たちばな・はなたちばな(橘・花橘)107                                                                                       4.すげ・すが・やますげ(菅・山菅)74                                                                                          4.まつ(松)74                                                                                                                       6.あし(葦)55                                                                                                                      7.ち・あさぢ(茅・浅茅)50                                                                                                               8.やなぎ・あをやぎ(柳・青柳)49                                                                                                    9.ふぢ・ふぢなみ(藤・藤波)44                                                                                                             10.さくら(桜)41                                                                                                                           「桜」は何と第10位と下位だ。

 

ひとはいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(紀貫之:古今集)                                                                                                                   これは、前段に、『初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程経て後に至れりければ、かの家の主、かく定かになむ宿りはあると、言ひ出だして侍ければ、そこに立てりける梅の花を折りて、よめる』とあり間違いなく梅。                                                                                                            東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな(菅原道真:901年、京を追われるに際しての作歌とされる。拾遺和歌集)                                                                                                                                 これらは梅だが、この前後から梅から桜への変遷があり、それは古今集編纂前(905年奉上)の時代だと言う。                                                                                                                    ヤマトが全国制覇(701年。唐、列島を代表する王権として大和を認知。呼称を「倭」から「日本」に改める。旧唐書:『倭伝』のあとに『日本伝』あり。『或いは云う、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併(あわ)せたり』と記載されている )、を成し遂げて以降、                                                                                                                                 つまり品川宿「たそがれ自由塾」が主張する「倭」(九州王権)から「ヤマト」(近畿天皇家王権)への覇者移行の後二世紀の間に、梅~桜の主役交代があり、根深い事柄だと思う(勉強不足で直感でしかありません)。                                                                                                                                                                                                                                                                                                              品川塾塾頭は、紀貫之も菅原道真もよく知る古の九州王権の存在を匂わせているのではないか、と考えています。                                                                                                                       梅は中国出自の植物で、万葉では大宰府での歌や貴族の庭に咲いているのを詠んでいて、東国の歌には登場しないそうだ。やがて桜が花の主役となった。                                                                                                                                                                    「桜」が、軍国日本が差し向けたサクラ(啖呵売の仕込み偽客)役の呪縛から解放され本来の桜に戻るなら、その美しさ・「あはれ」を認めもしたい。このままでは、桜の側も迷惑だろう。

『同期の桜』 http://www.youtube.com/watch?v=yY6WraxaTZk&feature=related 作詞:西条八十                                                                                                                                                                    『名月赤城山』 http://www.youtube.com/watch?v=rEF4UGJhHZs 東海林太郎                                                                                           『この世の花』 http://www.youtube.com/watch?v=6_rSk4-EOlk 島倉千代子                                                                                            『緋牡丹博徒』 http://www.youtube.com/watch?v=1r-K-FSyiBA 藤純子                                                                                                    『終着駅』 http://www.youtube.com/watch?v=DxRV_Txt3bw 奥村チヨ                                                                                                          『恋人よ』 http://www.youtube.com/watch?v=HM_2yAW_vZg 五輪真弓                                                                              『エリカの花散るとき』 http://www.youtube.com/watch?v=dParcpK1DAM 西田佐知子                                                                                             『昴』 http://www.youtube.com/watch?v=I0oq0k2GfIc 谷村新司                                                                                                       『ひとり咲き』 http://www.youtube.com/watch?v=_cmcjSmBlXY チャゲ&飛鳥                                                                                                       『さくら(独唱)』 http://www.youtube.com/watch?v=KnjxtkgrFh4 森山直太郎                                                                     『島唄』 http://www.youtube.com/watch?v=DKB41krUnVU 宮沢和史

他に沢山ある。日本人は「散る」が好きなのか? 何せ、かつて人々は内に抱えた心情の行く先を「散る」へと収斂させる力学下に生きざるを得なかったのだ。戦後そこから出たはずなのだが、何やら雲行きは怪しい。そこへ行くと、女性の「散る」は「お国」の要請ではなく、己一人の決断で桜本来の「散る」を奪い返しているように聞こえるのだが、それはぼくだけか?                                                                                                                                                            ともあれ「散華」(パクリ、僭称の)はまっぴらだ。

『ジョニーの子守唄』アリス、 『東京流れ者』渡哲也、 『夢は夜ひらく』藤圭子、 『学生時代』ペギー・葉山、 『網走番外地』高倉健、                                                                                                                  『湯の町エレジー』近江俊郎、 『東京ラプソディー』藤山一郎、 『伊勢佐木町ブルース』青江美奈、 『からたち日記』島倉千代子、                                                                                            『花咲く乙女たちよ』舟木一夫、 『空に星があるように』荒木一郎、 『花と蝶』森進一、 『大利根無情』三波春夫。

 

 

 

 

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