連載 65: 『じねん 傘寿の祭り』  七、 しらゆり (1)

七、 しらゆり①  

「ギャラリー・じねん」のオープンの日が迫っている。                                                                    黒川宅から店で使える家具備品を運び込み看板の取付も終え、印刷用に写真撮影をした。ついでに表で黒川を立たせ記念写真を撮った。特急でDMを作り、黒川の名簿で五百、大空が自分の名簿で二百、カウンターバーのオーナーが二百、比嘉が三百、食堂のオバサン・ひかり園・他で三百、それぞれ名簿を提供してくれ、計千五百人宛に発送した。                                                                                                                                                                               宛名書きは、亜希・ヒロちゃん・洋子さんたち「手作工房おおぞら」組がほとんどやってくれた。

黒川と二人で焼物・陶芸作品を並べていると、比嘉が押し込んでセットした琉球弧タイムスの記者とカメラマンが昼前にやって来て、インタヴュー取材と撮影をした。何故かビデオ・カメラも回している。黒川は有名人にでもなったような気分らしく、新聞社に対してもどこか横柄なのだ。が、そこは文化部、心得たもので「陶芸を通じた、沖縄とヤマトの交流、相互発信の砦」などと煽てている。オープン前日の朝刊にカラー写真付きで載せるという。黒川はいつも以上にハイテンションだった。                                                                                                                                  それには別の理由もある。                                                                                             海へ行った翌日から、ヒモ付き金=苦労してせっかく回収したのに支払い義務のある百六十六万=預った時の言い値は二百万近いという額を、平伏して減額依頼して完済していた。加えて、沖縄の未回収の残り二件、ヒモ付きではない計六十七万は裕一郎が三日前に回収したし、黒川が身勝手にも高志に依頼したという大阪の未回収金、芦屋の自称資産家のマダムの七十五万と大阪の教師夫婦の三十万計百五万も、回収に走ってくれた高志から数日前に全額振込まれたのだ。高志は、回収するに当たって交通費や経費だけでなく時間を作って出かけた手間もあっただろうが、満額振込んで来たのだ。黒川はこういう高志らしい対応を承知して読み切った上で依頼したのだ。ジジイめ!                                                                                                                                                                            これで、僅かだが支払った大空以外の改装費用を支払っても、しばらくの黒川親子の生活維持と店運営は大丈夫だ。                                                                                                  

振込みがあった日の翌々日、裕一郎は高志からの手紙を受け取っていた。                                                                                「債権の回収自体のことはいいのだ。ただ、それほど金策に難渋しているのであれば、ギャラリー開設してもその後の運営は大変だなと危惧する。自宅ギャラリーに足を運ばなかった客が、ギャラリーにはやって来るというのが解せない。黒川氏は分かった上で玉砕する気なんじゃないのか? お前が巻き込まれ、無償ボランティアどころか持ち出し状態になりそうで気になる。お前の撤退を早期に実現し、黒川氏がいつでも閉められる道・方策を用意しておいてやるというのが、それなりの人生経験を持つ者の誠意ではないか? 黒川氏を手伝うと聞いた時に止めもしなかったぼくが言えた義理ではないのだが・・・。」                                                                                           「追伸:風の便りに松下君が沖縄に居ると聞いた。もし遭うことがあればよろしく伝えてくれ」                                                                        亜希が渡嘉敷島の工房件民芸店に居ること、黒川氏が作品を扱っていた知念太陽、知ってるよなお前も作品を所有している太陽、その甥がそこの主であること、亜希にはその関係ですでに会ったことなどだけを、簡潔に書いて手紙で返事したのだった。

手を携えて「渡し」を超えた黒川と美枝子、そうは出来なかったあるいはしなかった高志と亜希。二組の男女が採ったそれぞれの道が目の前に見えている。その明暗・破綻・悔恨・惜情・未練・・・・、そうなのだ人間はそう強くは出来てはいない。とりわけ男女間の関係や感情や、生活とか生業という厄介で本質の一部に確実に組み込まれている事柄の総体は、結局は人が生きることを描いた透かし絵の裏表なのだ。だから、強くは出来ていないのだが弱いばかりでもない。したたかでしつこく、ピュアであったり淡々としていたりもする。激情に駆られたり、成り行き任せだったり、無私の奉仕だったり・・・。その透かし絵は、それぞれの人の命の時間と同じ長さを生きるのだ。たとえ、その人が自ら命を絶ったとしても・・・。                                                                                                       裕一郎は、記者の取材と撮影をよそに、ぼんやりして窓際に立って、目の前の県道を走る車が轍でバウンドして上げる音を聞いていた。「オレは、黒川にはなれない。高志になれそうにもない」、そう思った。先のことや、オレにとって亜希とは何なのか、亜希にとってオレは何なのかなどはもちろん、高志への微妙な感情の深層の正体も表面的な感情も整理がつかずにいた。                                                                                    

記者が引き上げてすぐ、携帯電話に看板屋から抗議の電話があった。                                                                                   慌てて黒川に代わった。 

 

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