連載 54: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (10)

五、キムパ⑩

 高速艇の喧しいエンジン音で、他の乗客には聞こえないと踏んだのか、黒川が耳元に大きな声で語りかけて来た。                                                                                                             渡嘉久志の海は美しかったねえ。君も、渡嘉敷島と座間味島での集団自決と呼ばれている強制集団死を知っているよね。慶良間の海は憶えていてもあんなに美しく黙っている。本島にもあったんだが・・・。同じ慶良間諸島でも日本軍が駐留していない島では起きていない。かなり以前、有名な女性作家が軍による強制と言うのは疑わしいという本を出したのも知っているよね。軍の命令があった無かった、名指しされた軍人が命令を発した事実ありや無しやで、証言などをかき集めて言い合っている。                                                                                                                    「ええ、聞きかじってはいます」                                                                                                                    ぼくら海軍少年航空兵の生き残りに言わせれば、その双方の証言よりも、軍命令はなかったと言いたい人々の目的や、その女性作家の心情が気になるね。崇高な尊厳ある殉死だと言っているそうじゃないか。ローマ軍に包囲されたユダヤの城砦の軍民の殉死自決の故事を、度々賛美してるんだってね。沖縄の集団死は軍人じゃないんだ、女性作家は島民に崇高な殉死と言う自分の美学を代行させたいのかね。。                                                                                                                  捕虜になれば惨い目に合わされると教え、お国の為に死ぬのだと教え、民間人が軍の手榴弾を何らかの方法で手に入れる。極限状態で兵士が命令やそれに準ずる発言をするのはよく解かる。ぼくは、十七歳でもちろん志願して少年航空兵になったんだ。兵の心情も、長崎で悲惨な死を遂げた人々の無念もよく理解しているつもりだ。甘いロマンじゃないんだ。終戦時女学生だったその作家の出来なかった殉死を被せる相手は、自分自身か日本軍にしなさいって言いたい。                                                                                                      もっともぼくに言わせりゃ、君らの世代の左翼にも、自分たちがヤマトで果たせない想いを沖縄に代行さようというような心理がないかねと・・・。沖縄へ来たときに言うことすることを、自分の土俵でヤマトでしているのならいいんだが・・・。いずれにしても、沖縄に被せるのは支配者根性だよ。                                                                               ぼくは、彼女より五歳年長だがもう少しは視て来たぞ。ぼくの遺言だと思って聞きなさい。                                                                                                               敗戦直後の先輩らの行動、徹底抗戦を叫んで決起しようとしていた先輩を目の前で見ているんだ。呼びかけに応じて厚木だか岩国だかへ向かうと息巻いていた。ぼくは、長崎が壊滅と聞いていたので、すぐ故郷へ向かったがね・・・。黒川はフェリーが泊に着くまで語り続けた。                                                                                                                                                      タロウの話、千利休の話、正否はともかく倭国誇大史、もうひとつ戦争観、これはまともと言うかしっかりしていて揺らぐことなく明晰だ。奇妙なジジイだ。

オバサンの食堂で食事しているユウくんを迎えに行き、オバサンにキムパを二本差し上げ、三人で手を繋いで坂道を歩いた。                                                                                                                                        「ひろし、お前の言う通りだったよ。あのお姉さんは沖縄に居たよ。渡嘉敷島に居たよ。仕事で豊見城を通ったらしい。園の近くで見たと言ってたのに信じなかったチチが悪い。許してくれ」                                                                                                                              「いいって、いいって。許してあげるよ。あの姉さんの名前は何だったかな」                                                                                  「アキさん」                                                                                                                                                                         「ふ~ん、アキさん・・・か。ぼくは園にユキちゃんという友達がいるよ。北嶋さんはアキさんが好きだから、アキさんが居てよかったね」                                                                                                                             恋している者にだけ、見える世界があるのだ。                                                                                                                                                 「そうやな」と笑って返すと、黒川が「そうら!それが本音だろ。放っておくと大空に取られるぞ」と煽った。                                                                                                                    ユウくんが、今そのユキちゃんが大切なのだと言うことも、行き帰りのバスでいっしょなのだということも想像出来た。たぶん、それで間違いないだろう。俺には今、それが見えるのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            その夜、裕一郎は少年のような夢を見た。亜希が工房のキッチンでキムパを作っている。港で後ろ姿のエプロンの隙間に垣間見た、焼きついている肌が拡大して浮ぶ。女性の人格や抱える世界への共感と、性的な欲望の境目が、六十を前にしてまだ解からない。                                                                                          ガキのようだな・・・と平静に客観的に己を見つめようと思いながら、眼が覚めても夢は着いて来た。裕一郎はふと、その姿が話に聞いた亜希の母親のようだと思う。すると、久しく会っていない妻のような気がして来るのだった。そう、裕一郎の妻はよく、仲間から教えてもらったと言うチヂミを作ったのだ。

(五章 キムパ 終。 次回より 六章 ゴーヤ弁当 )

Leave a Reply

Search