通信録: 孫正義氏記者会見  企業家の公理への可能性

孫正義氏に見る経営者・企業家の社会的役割の可能性。 

-彼の覚悟には、原発に物言わぬ**労働組合を万余重ねても届きはしない-

古い女友達がソフトバンクの主宰者、孫正義氏の自由報道会議主催になる「覚悟」の記者会見映像を送って来た。

 http://www.ustream.tv/recorded/14195781  【是非とも開いて、見て欲しい!】 

約90分と少々長いのだが、時間を忘れてジックリと見聞き出来た。原発の何たるかを説いている。                                                  かつ、エネルギー政策に関する代替案を提言している。                                                                                                                         発言の骨子は、次の通り。                                                                                                                                     そもそも福島はIAEAからも指摘されていた「老朽」原発。                                                                                                                      世界の廃炉年限は平均22年。                                                                                                                               世界の原発建設ラッシュは終っている。原発依存度は減少している。                                                                                                                                 日本だけが、なおも作り続けようとしている。                                                                                                                                                                                                            30年で総点検、その結果により「さらに10年OK」なる国内基準の、10年と言う長期の根拠を問う! 中性子を浴び続けた格納容器の鋼鈑は20年ではモロくなっており、30年は耐用年数限界。福島は40年。                                                                                                                                             原子力がコスト安という神話は事実か? 誰が、どの積算で言っているのか? 事故対応コスト、安全対策コスト、廃炉費用は含まれているか?                                                                                                                                太陽光発電のコストが、2010年の次点ですでに逆転して原子力より安くなったことをご存知か?                                                                                                                                       誰が、何故、原子力が安いと「言い続け」て来たか。電力会社の「私利」が、何故「政・財・官・学・報道・労」をまとめられたのか? 電事連に飲み込まれた自民党、電気労連・連合影響下の民主党という構造的「翼賛」が原発異論を封じ込めて来たのではないか?                                                                                                                                                                                      太陽光・地熱・風力・潮力・太陽熱・・・あらゆる可能性への研究・開発が、原子力偏重・資金集中で阻害去れて来たのではないか? 現に、スタート時にせっかく世界トップファイブに4社も入っていた、日本のソーラーパネルメーカーが、今やトップテンにシャープ1社だ。誰かが妨害している、誰だ?                                                                                                                      原発を、今一気に全廃出来ないとしても、新たには作らない・54基をひとつひとつ廃炉にして行き、急いで代替エネルギー開発に集中するべき。                                                                                                                                  「自然エネルギー財団」を設立する。                                                                                                                           東北に、復興・雇用機会創出も込めて「東日本ソーラー・ベルト構想」を実現すべし。                                                                                                                                                                             我々は原発情報のウソ(安全、コスト安・他)に「洗脳」されて来た。だが、実際を知ったのだ。知った以上、何もしないのは、子・孫・この国への背信行為だと思う。妨害・バッシングは覚悟している。企業家の責務を痛感するのだ。 エネルギー政策の転換への覚悟 を政治の求め、そのことへのいささかの不自由・一時通過する価格高の甘受を人々に求めたい。                                                                                                                                           以上。

戦後、例えばホンダの本田宗一郎、ソニーの盛田昭夫・井深大、リコーの市村清など、私企業の私利を超えて、いわば公理・道理に生きた企業創業者がいた。政治家にも石橋湛山や宇都宮徳馬、司法には砂川裁判の伊達裁判官など、この国の、一面では公理・道理を「思想」「政治的立場」を超えて実践した人物がいた。                                                                                                                                                                                                                   今、原発「戦後」ではなく「戦中」だが、この戦争に巨大企業グループと自身の命運をも賭けて発言・行動する孫正義氏に、戦後の公理・道理に生きた創業者を見る思いだ。

私事ながら、義父(妻の父:故人)は、山陰の小都市で小さな企業(衣料商社)の番頭で、もちろん左翼ではないのだが、新事業を起業(商社機能だけでは先行き危ういと、生産工場を提案・準備・実施に奔走して立ち上げる。街から離れた郡部過疎村に雇用の場を創出した一面もあった。当時その地には珍しい工場内保育所もあった)したり影の経営者役・参謀役に徹した人生を終えた。没後、義父が創設した生産工場は、残念なことに受注先=メーカーに乗っ取られることになる。                                                                        七〇年当時、娘と結婚すると挨拶にやって来た「過激派(?)」の最後尾のそのまたオッカケ程度の軽挙妄動の公判中の若造に、不満と不安を隠してこう言った。                                                                                                                         「ヤスマロ君、左翼でもなんでもいいのだ。ただ『こころざし』のない者はいただけない。志があればこの世でことを成せるかどうかに拘わらず、人生を全うできる。要は志だ」と。若き日の戦後の物資乏しき混乱期に、賀川豊彦の鞄持ちをしていたという義父の個人史を、没後数年の後に知った。                                                                                                            義父の言葉を思い出させる孫正義氏の会見だった。  ちなみに義父の名は【正宜】で、字は違うが「マサヨシ」であった。

Leave a Reply

Search