連載 48: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (4)

五、キムパ ④

チヂミは魚が入ったもので、海鮮チヂミの一種。炭水化物の重複など感じさせない「おかず」に仕上がっていた。さすが、母の味だ。黒川が美味い美味いと次々食べながら黒川流突込みを入れる。                                                                                                                  「母の味はどっちかね? この海苔巻き?チヂミ?」                                                                                                           「両方です。昔、母がたまに作りました。母は私が学生時代に亡くなりましたが、二・三年前から月に一度は食べたくなりましてね。わたしにとって母の懐かしい味なんです」                                                                                                                              「う~ん、母ねぇ。沖縄は海だ。海は母だ、ぼくには個人的にも沖縄は母なんだが。ほれ、海という字にはちゃんと母が居るだろう・・・これは三好達治の詩が言っているんだが・・・」                                                                      ここで、黒川講義だ。その場に居る者に順に視線を向けながら語る。                                                                                                                  知ってるように胎水、胎児が浮かんで発育する羊水だね、その羊水は生命誕生の頃の古代海水の濃度に近いらしい。地球誕生が四十六億年前、最古の生命が海で生まれたのが三十数億年前、多細胞生物の出現は約十億年前、哺乳類の登場は二億年強前、類人猿との共通の祖先からヒトが分岐したのが約五百万年前、現在の人類の祖先がアフリカを出発したのが十万年前だと言われている。我等は、生命三十億年の進化の旅を、羊水の中で十ヵ月で体験するんだ。ね、海は母だろ。裕一郎が「お話が壮大すぎて・・・」と振ると、黒川は「悪い、悪い。話が反れたね」と視線を亜希に固定し直して続けた。                                                                                                                                                                                             「で、君のその母は朝鮮人なのかい?」                                                                                                            黒川流の問いに顔を顰める人もいるだろうが少し違うのだ。そこには、国籍や民族などに拘らない身に備わった素直さがある。イタリア人かい?アラブ人かい?と何ら変わらない。                                                                                                   「母の父つまり私の祖父は朝鮮人、祖母は日本人です。だから、母は二分の一、私は四分の一の朝鮮人ということになるのかな。私の中の朝鮮は四分の一もなくて小さくて、なにか中でモヤモヤしてますけど」                                                                                                                                                                       「なるほど。君が、沖縄男の子を産めば、朝・琉・日の合作だ。ガハハ」                                                                       「それは、単なる遺伝子的な話でしょ。そうじゃなくて、身に沁み付いた文化や歴史や感覚が欲しいですね」

亜希は、家庭と言うか近親者や育って来た境遇を想像させない女性だったと思う。「身捨つるほどの恋路はありや」と詠んでも、背伸びを感じさせたり違和感を抱かせたりはしない雰囲気が身に備わっている。その「属性に依らない」とでも主張しているような面構えと、何かを射抜くようで、逆に赦しているような遥か遠くを見ているような目、情が熱く深いとすればそれを自然に隠す効果を発揮する、穏やかで控えめな笑顔。それは母親譲りか・・・。                                                                                                                                    亜希の母親となれば一層想像できないが、亜希の学生期に亡くなったと言うから、一〇年ほど前なのか。亜希の年齢から考えると、たぶん高志や自分と同世代だろう。早くに逝ったのだなと思うと、つい何か言いそうになって思い留まった。何を言おうとしたのか自分でも判らない。                                                                                            黒川の「個人的にも沖縄は母だ」は何のことなのか気になったが、訊く間もなくまた、黒川が不躾に語り始める。                                                                                              「母上が亡くなられては、父上も大変でしょう。逢って励ましているかね?」                                                                                                      「ええ、まあ大変と言うか」と亜希は口を濁した。                                                                                                                                  裕一郎はすぐに思い出した。黒川送別会の後に呑んだ店で、亜希は確かこう言ったのだ。「母親の轍は踏むまいと思って来たんです」と。いま、亜希の返事が不確かななのは、その「母親の轍」に関わる事柄ゆえのことに違いない。父親が、母を棄て女に走ったのか?だから、大変も何ももう関係ないと。いや、不自然だ。亜希はあの時、妻子ある高志との関係をそう言ったのだ、「母親の轍」・・・と。母親は、妻子ある男との「不倫」関係の中で亜希を産んだのか。いや待てよ、亜希は姉と兄がいると言っていた。どうも判らない。想像を逞しくして考えることではないと思考を中断した。                                                                                                                       ヒロちゃんが黒川に噛み付いた。                                                                                                                        「ちょっとそこのジイさん、何やねん、合作やとか父親がどうのとか、放っとけや!」                                                                                                                                                                           黒川は驚いて補充した。                                                                                                                                                「いや、ぼくが言おうとしたのは、この国の住民は、元々その合作だと、」                                                                                                                                                                               「言い方が悪いんじゃ! いきなり何人やとか・・・。亜希さんが誰の子を産もうが、亜希さんの父親が誰であろうが、あんたに関係ないやろ!」                                                                                                                           「ヒロちゃん・・・」と、大空と亜希が同時に嗜めた。ヒロちゃんがふくれている。                                                                                               「亜希さん、このジイさんに言うたりや・・・。戸籍上の父親は母と離婚しました。実の父親は認知せんと逃げ続けてるインテリ左翼教師やって」                                                                                              「ヒロちゃん、いきなり何人かと訊いても失礼でも無礼でもない社会を作りましょうね」と大空が言うと、亜希が優しく続けた。                                                                                                                                             「私の父親のことは、隠す気はないけど言わなくてええんよ。言う必要がある時には私から言うから」                                                            ヒロちゃんのふくれっ面は変わらなかった。                                                                       

黒川が「失礼した」と頭を下げたが、何か語って終えないと気が済まない男、もちろん変化球を投じた。                                                                          「ぼくはねぇ、陶芸の世界に居るんだが・・・」とやり始めた。                                                                                                        焼物の源流と伝播の話だった。中国も朝鮮も琉球も日本も・・・、東アジアが全てが包み込まれる話だった。どちらかが一方的に発信し、一方が受信するだけの伝播ではなく、相互交信・相互影響の賜物だという。中国古陶器が陶器の源流だろうし、七世紀百済では緑釉を施した見事な作品がすでにあり、九世紀新羅では青磁が作られ始めている。一五世紀李氏朝鮮には雪のように白い白磁がすでにあり、一六世紀末の「壬辰倭乱」、日本では「文禄・慶長の役」と教えている秀吉軍の半島侵略では、多数の陶工を日本に連行してまで、その技術を盗もうとした。                                                                                                                         ところが、縄文期にまで遡ると、鹿児島県国分市の高台の「上野原遺跡」には、紀元前七千五百年つまり九千五百年前の土器が出土する。これは当時としては実に水準の高い土器で、どうやら火山地帯ゆえの偶然を師として、早くから土器製造技術を持っていたのではと推測されている。佐世保瀬戸越で発掘された一万二千年前の土器、青森県外ヶ浜で見つかった一万六千年以上前の土器が世界最古と言われている。上野原は六千三百年前の薩摩硫黄島:海底喜界カルデラの大噴火、西日本が埋もれ、九州では何と火山灰六〇センチの積灰、南九州で動植物全て消失するのだが、優秀な土器を使いここに生活を営んでいた人々とは誰なのか? どこと繋がる人々か?                                                                                                                           有名な、青森県三内丸山遺跡、五千五百年前なのだが、ここからは土器・木製品・装身具・編み物・漆器などが見つかっている。漆器・・・、漆だよ防腐だ。アスファルト塊なども見つかっている。新潟県糸魚川のヒスイ、長野県和田峠の黒曜石などから、交易規模も覗える。これは面白いだろう?                                                                                             先を聞きたくなる話だったが、大阪のギャラリーじねんで何度も聞かされた、最後は倭人の原圏-朝鮮半島南端部の伽耶と北部九州に跨る倭-邪馬壱国-倭国-ヤマトによる倭国乗っ取り、へと進むのだ。黒川の自説「ユーラシア大陸東部沿岸文化圏」の復権という自称ロマン構想の根拠を示す話で、どこかで止めさせないと朝まで続く話だった。黒川も自覚していてこう言った。                                                             「まぁ長くなるので、今日はこのくらいにしといて上げよう」 ん? ハイ、これくらいにしておいて下さいナ。                                                                                                                                                                                                                                   

                                                                                                                

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