たわごと書評: 『東京ダモイ』、 高津耕介の生涯

読書: 『東京ダモイ』(鏑木蓮著、講談社、\1600)

第52回(2006年)「江戸川乱歩賞受賞」というからちょっと古いのかもしれないが、ミステリー『東京ダモイ』を読んだ。ミステリーとしての、特に後半部の「無理な組立」は横へ置くとして、シベリア抑留の壮絶な実相を描いた前半部の、ラーゲリ(収容所)での人間ドラマ、日本軍そのままの理不尽、旧大日本帝国の云わば「棄民」、ソ連の非道、などの全体構造が浮かび上がり、グイグイ引き込まれて集中して読んだ。                                                                                            *ダモイ: 家へ、故郷へ、故国へ

1945年8月、ソ連は日本のポツダム宣言受諾=降伏=軍武装解除後、満州内の可動機器の撤去・ソ連への搬出使役に始まり、捕虜のみならず日本軍将兵・在満州民間人・満蒙開拓移民団を順次ハバロフスクに集めた。人々は日本に帰れることを期待したが、詰め込まれた貨車は西へ向かった。                                                                                                                                                         「シベリア抑留」と総称されているこのソ連の行為はシベリア以外(モンゴル・中央アジア・北朝鮮・カフカス地方・他)にも及び、大戦での大量戦死者による労働力不足を補い、自国の復興やシベリア開発の労働力として活用する為のものだった。明らかに武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言」 に反する。それは、いかなる根拠もない違法行為であった。その苛烈さは、例えば、バイカル湖とアムール河を結ぶ国力維持発展に必要な通称バム鉄道(第二シベリア鉄道、総延長4200キロメートル)が、ロシア人受刑者が三年で124km基礎工事・レール敷設は60kmだったのだが、日本軍捕虜5万人が当てられたバイカル湖北方のタイシェト~ブラーツク間約350kmを僅か1年数ヶ月という途方もないスピードで線路敷設まで完了したという。つまり、そこには極寒下の想像を絶する抑留者の地獄があったと記されている。

ラーゲリでは、極寒・苛酷なノルマの重労働・長時間・極端に粗末な食事(塩スープ、黒パン300グラム等)という極限条件に加え、旧日本軍の組織の温存、民主化という名の思想教育などによる処世要領・密告・糾弾・吊るし上げと旧軍隊システムの弊害とが相乗してしまう異様な関係の中、誰もが人間を損なわれ、後年「体験」を語りたくもない者多き生き地獄だったという。朝一度に支給される300グラムの黒パンは、残し置くこと危険、盗まれまいと誰もが一度に食べてしまう。角柱状パンの切り分けに公正を期す為に箸で作った天秤の話には胸が詰まった。

ぼくら(47年生まれ)はシベリア抑留への感心が希薄な世代だと言われている。親類縁者には体験者が居ても、父はシベリア帰りではない訳で、それが理由だと言われてきた。が、それだけが理由ではない。域内平和(?)下で行なわれた戦後教育が、永く避けて来たものに沖縄米軍基地のこととソ連による「シベリア抑留」があるとの指摘もある。                                                                                         抑留と言う名の違法拘束被害者は107万人と言われ、47年~56年にかけて約47万3千人の帰国事業が行なわれたが、自由意志や婚姻で残留した者を差し引いても、40万近い命が失われたことになる。                                                                                                                         国際法上、捕虜として働いた期間の賃金は、労働証明書を持ち帰れば母国が支払うことになっているが、ソ連は永く証明書を発行せず日本政府はそれを理由に賃金を支払わなかった。2010年5月『シベリア特措法』(戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法)により一人25万円~150万円を一時支給することとなった。帰国から何年だと言うのだ。                                                                                                            *民主党は「保守・右派をも巻き込んだ全会一致の為」と言う名目で、これまで同様国籍条項を付け、旧植民地出身軍人(朝鮮人・台湾人)を排除して戦時補償・戦後補償の真の責任を回避し、一面ではその固定をむしろ強化した。

『東京ダモイ』の登場人物、高津耕介の報われることのない孤絶の生涯は、旧日本帝国と旧ソ連社会主義国の建前と実態を丸ごと問う、無名の人間の告発の肉声だ。                                                                                                                     井上ひさしは、その遺作『一週間』で「ラーゲリに持ち込まれた旧日本軍の秩序と、それを活用したソ連の戦後復興策が、無法抑留を長期化させた。日本軍は、在留者を差し出すことと何かを取引したのだ」というメイン主張を維持している。ラーゲリ内の、虐め・密告・将校(ハーグ陸戦条約で使役を免除されていた)の物資隠匿や横流し・・・・それらは、旧日本軍隊の体質そのものだった。現代の職場などの陰湿な虐めなどにも繋がるDNAだと指摘している。 国家が起こした戦争のツケを、民が支払うこととなる悲劇の中にまで、その国家を支えた民の在り方来し方が投影されるという、歴史的悲劇の構造的二重性を述べていた。                                                                                                                                                 加えて、収容所のソ連軍人の前例主義・官僚的・事なかれ・上に弱く下に強圧的で、それは旧日本軍とそっくりだと書いている。                                                             

* ソ連との停戦交渉時、瀬島龍三が同行した日本側とソ連側との間で捕虜抑留についての密約(日本側が捕虜の抑留と使役を自ら申し出という)が結ばれたとの疑惑が、斎藤六郎(全国抑留者補償協議会会長)、保阪正康らにより主張されているが、ロシア側はそのような史料を公開していない。

『東京ダモイ』。犯罪構成の超人性や、動機と実犯罪のギャップなど後半の「うん?」にも拘わらず、「シベリア抑留」の全体構造と当事者の心情を想像するきっかけを与えてくれる作品だった。                                                                                                                       

『異国の丘』 http://www.youtube.com/watch?v=9hkoI_r3MLM                                                                                   

                                                                                                               

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