連載⑫: 『じねん 傘寿の祭り』  一. チヂミ (8)

一、 チヂミ ⑧                                                                                                                                                                                 

あれから二年と少し。今、亜希は若い男女社員四人を部下に持つチーム・リーダーとなっている。人が時として迷い込む不本意な些事に翻弄されることなどなく、きっと仕事にプライベートに二十代最後の充実した時間をテキパキと送っているだろうと思って来た。その後何度も仕事をしたが、呑むのはその時以来もう何度目だろう。その多くは現場関係の連中も居て二人ではなかったが・・・。現場でも呑む場でも「男前」を崩すことなど決してなかった亜希の迷路など思ってもみなかった。                                                                            最終電車前に合わせた閉店時間だ。最後まで騒いでいた文化祭打上げ組も帰った。レジに進もうとして、皿に数片残されたチヂミが目に入った。いつぞやは、亜希は残さず食べた。その夜より本場風で美味いチヂミだったが、チヂミ自身は残されたことに納得しているように見える。                                                                                                                                                                                                                                                                     亜希を送って駅へ向かうと、駅前の広場にラーメンの屋台が出ている。                                                                                         さっき黒川一家の送別会に最後にやって来た、教師だという若い夫婦が仲睦まじく木の長椅子に腰掛けてすすっていた。あの後、黒川節を延々と聞かされたのだろう。軽く会釈して過ぎた。                                                                                                                                                                                                       「キャリアの話ですけど、あれ、あの時は胸に沁みたんですよ、ほんとに・・・。けれど、最近の私、そんな感覚失ってるんです。仕事をこなしているだけみたいな、どうでもいいやみたいな」                                                                                                                                                             「・・・・・・」                                                                                                                           亜希、それはぼくのことだ、「こなしてるだけ」「どうでもいいや」。                                                                                                                                                      「最近の私」は「最近の北嶋さん」と聞こえて来るのだった。                                                                                                                                                                                                                    「北嶋さん。あの時のキャリアにひとつ大切な要素が抜けてません?」                                                                                                                     「ん? 何」                                                                                                                                                         「年齢! 残念ながら人間は歳を取るんです。これお互いですけど」                                                                                                                                                                                                            「・・・・・・残念ながらではなく、『幸いなことに』と開き直るしかないね」                                                                                                                                                                                                                               そうは返したが、階段を上りながら思った、その通りだと。人が早くに識っている事柄に歳を重ねてから気付くというのは、単に不誠実な半生の証しでしかない、と。それがどんなキャリアになると言うのだ・・・。                                                                                                     券売機で亜希の切符を買った。                                                                                                                                                                          

裕一郎は、改札口を越えるとき亜希が言った言葉を忘れられずに居る。                                                                                                                                                「北嶋さんにしといたらよかった。北嶋さん、独り身だし」                                                                                                                                                                                       松下亜希。酔った女の戯言であっても、罪なことを言うてくれるなよ。それに俺は独り身じゃない。帰れないだけだ。                                                                                                                                                        今夜三ヶ所で呑んだ亜希は、もう、ことの終りを宣言していたと思った。さっき、黒川一家の送別会でユウくんと言い合っていた「沖縄へ来てね」「行こうかな。泊めてくれる?」も案外本気かもしれない。                                                                                                                                                                                              駅から独り住まいの自宅マンションへの、もう閉まっていて街灯も消えている商店街を歩きながら認めていた。さっき亜希と呑み始めてすぐに二人の関係に気付いたのではなく、元々知っていたのだと。                                                                                                                                                                 年初めの現場で、亜希から菓子を貰ったことがあった。現場の職人らとおやつに食べた。友人の結婚式に行って来たとのことだった。                                                                                      翌日、別の場所で同じものを食べたのだ。高志と呑んで、「うちに来いや、呑み直そう。久しぶりやから玲子も喜ぶよ」と誘われ、深夜に訪ねた。起きていた玲子が「もう呑みすぎでしょう」と咎めたが、しばらく呑んだ後、亜希から貰ったものと同じ菓子が出て来たのだ。                                                        「さあさあもうお終いや。これ、高志が業界の一泊ゴルフ旅行で貰って来たんよ、案外美味しいよ。タルト言うんよ。甘いもの食べてお茶飲んで、二人とも明日も働かんと」                                                                                              裕一郎は納得した。その時きっと自分は、瞬時に、二つの場所で出た同じ菓子を結び付けないことにしたのだと。                                                                                                                                                                                                               「この和風ロール・ケーキのどこがタルトやねん?」と酔った頭で思っていた記憶はある。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

                                                       

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