歌遊泳: 人生いろいろ 咲き乱れたい

浜口庫之助さんを偲ぶ
 
品川宿から仕事や遊興や時に**に出かけるに、普段は「新馬場駅」から京急に乗る。
「新馬場駅」は、運河を挟んで北馬場駅と南馬場駅と二つ駅が在ったのを、
運河を跨ぐひとつの駅にした駅らしい。だから、やたら長い駅なのだ。
が、各停しか停まらないので、急ぐときはひと駅蒲田寄りの「青物横丁駅」へ歩く。
ここなら、各停・急行とものOKなので、すぐ乗車できる。
その「青物横丁駅」のホームに流れる曲(駅のテーマ曲?)が、何と島倉千代子の『人生いろいろ』なのである。浜口庫之助の作だ。
訊くと、お千代さんの出身地だそうだ。『からたち日記』の娘は、実家が反対する結婚とその離婚、取り巻きにむしり取られた数億の借金、                        姉の入水自殺・・・。  戦後社会と私的『人生いろいろ』を生き抜いたのだった。アッパレ!
小泉のふざけた国会答弁でさらに有名になったが、87年発表の歌で、90年代カラオケ全盛期に
おばちゃん達が軽快に「人生いろいろ、男もいろいろ♪」 「女だっていろいろ咲き乱れるの♪」
 と唄うのを、ぼくはいささかの嫌悪感を持つこともなく観て聞けたと思う。
吉本マザー・シップ論を持出すまでもなく、母性の底力(?)のひとつは「開き直り」と言っては不正確、「乗越え」と称すべき転位なのだ。
「おんな」「女」「女性」が、この「境地」(?)に立つまでの道のりは100人100様、茨の道か、蛇の道か。
「青物横丁駅」では、この曲に背を押されて乗車するのだ。何と心強い(苦笑)ことか!
 で、品川たそがれ親爺はいつ咲き乱れるのかね?
 
『有難や節』(60年 守屋浩) http://www.youtube.com/watch?v=mZCPcWR2EdA
『バラが咲いた』(66年 マイク真木http://www.youtube.com/watch?v=WIfCZXvAR6c&feature=related
夕陽が泣いている』(66年 ザ・スパイダースhttp://www.youtube.com/watch?v=TqU7oIg1I8c
『夜霧よ今夜も有難う』(67年 石原裕次郎http://www.youtube.com/watch?v=56IrKvDtSJY
『粋な別れ』(67年 石原裕次郎) http://www.youtube.com/watch?v=qvlNS1x7dCs
『花と小父さん』(67年 伊東きよ子、植木等) http://www.youtube.com/watch?v=HWjA90042fo 植木等さんのは見当たりません。
『みんな夢の中』(69年 高田恭子) http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=16vZEfMig1c&feature=related
『空に太陽がある限り』(71年 にしきのあきら) http://www.youtube.com/watch?v=Z2B1tVf_5fA 
『人生いろいろ』(87年 島倉千代子) http://www.youtube.com/watch?v=vZ5VWKeWfcA
                                                              http://www.youtube.com/watch?v=lJOH9NN_TMA
 
40年前、20歳を数年過ぎた小僧だったぼくに、たぶん19歳だった小娘が、
流れていた伊東きよ子の『花と小父さん』を指して、「これ、エロチックでしょう?」と言ったのだ。
「おいおい、分かっているのかい?」と思ったが、
例えば小娘が背伸びして言う「精神的娼婦」という言葉のように空回っていたとしても、
借物の党教義をオウム返しにしか語れない左翼小僧よりは誠実だったような気がする。
その元小娘とは今も交流があるが、彼女は『花と小父さん』から『人生いろいろ』までの時間を、
たぶんその「誠実」(?)を抱え持って生きて来たのだと思わせてもくれている。
浜庫は、そうした「危うく軽い」かつ「適度に重く」「したたかな」人生を肯定的に呑み込む「大物」だったと思う。   90年12月没。合掌。

2 Responses to “歌遊泳: 人生いろいろ 咲き乱れたい”

  • 吉本研作 says:

    歌は世につれ世は歌につれ、歌は時代そのものですね。遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん…。
    頑張っていますね。いいおもちゃでしょうブログは。あれもこれも書きたいと。
    太宰生誕百年で銀座のバー「ルパン」の写真を最近よく眼にしますね。こんど行きましょう。
    あの写真を撮った林忠彦の「カストリ」なんて写真集いいですね。敗戦後の貧しくとも未来があった時代。
    エログロ、ナンセンスですが、まだ戦前の紳士の匂いがかすかに…。額縁ショーなんて!
    同時代を描いたジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」なんか読んでいると、子供心に見た風景が彷彿されます。
    ヤミ市、浮浪児、パンパン、買い出し、進駐軍…。闇があったんですよ。

  • yasumaroh says:

    コメント有難うございます。
    ブログがいいおもちゃ? ハイ、そう思います。
    メールなどで発した言い分を再発信が基本なので、読み返せてよろしいね。

    「貧しくとも未来があった」・・・そうなんでしょうね。
    敗戦後の焼跡・飢餓・闇市・・・・、その中の混乱や貧困から人は希望を持てたのだ。
    それが本来の社会と人の豊かさだとしたら、今日は実に貧しい社会ではありあまね。
    思うに、敗戦後に「あり得た」はずの「無意識に求めた」だろうモノを(実現可能性云々ではなく)、
    ついに「正式」には要求しなかった「人々」「社会」「政権」・・・そこからでしょう。
    その原因は何でしょう。アメリカ? 沁みついている天皇制? そこどころではない生活?
    その全てでしょうが、65年経って様々にツケが回って来ていますね。
    人々の深層心理も、実はどうなんでしょう?

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