どないなってまんねん あれとこれ
おい、どないやねん?
「エネルギー政策意見聴取会」に電力会社社員。「原発事故で人は死んでいない」??? 。 福井志賀、大飯の直下に活断層。 六ヶ所核廃棄施設直下に活断層。
オスプレイ、安全確認されるまで運行しない(カーター米国防副司令官)? 釜山を出航してよう言うなぁ! 「***まで陸揚げしない」やろが! ちょいガス抜きして、近い将来、安全確認する、と言うてまんねんな! 10年4月、アフガンでのオスプレイ事故、米空軍事故調(ハーベル元空軍准将)へ空軍から圧力。 野田首相 『米国が決めればどうしようもない』と発言。米フリーパス論だ。 参考TV番組: http://www.youtube.com/watch?v=a40kSHHRD1c&feature=youtu.be
プロ野球選手会、WBC不参加表明アッパレ! 米大リーグ及び選手会が上がりをボッタクリ。しかも、負担の多い出場に狩り出されるのは日本・中南米選手。アメリカはベースボール縁日の出店地割胴元か? これTPPと構造そっくりですな。
橋下スキャンダル、出来れば政策論争か弁護士稼業にまつわる弱者虐め事実での逆風を期待したが、この際女性スキャンダル・擬似恋愛沙汰・下ネタでもOKとするか・・・。しかし、ミッテラン元フランス大統領の隠し子騒動に悪乗り攻撃しなかったフランス国民の例もあり難しいところで。 あるアンケートでは女性支持が20%減だそうで・・・。
つぶやき: 子育ての 「私」性と「公」性
虐待に遭遇して。 街・子育て・生活・仕事・・・八方窮した母、 学校に馴染めぬ二年生。
若い母親(多分30代半ば)による児童(小学校低学年)虐待というか、連続して行なわれる幼児への暴力を目撃することになった。
事務所横にある駐車場の前の四辻交差点を、通学児童が8時15分前に毎朝集団で横切るのは知っていた。 5月下旬、たまたま進行中の仕事現場のビル側都合で、昼前に変則現場入りで、駅に向かう時間帯と通学時間が重なることになった。背中に集団登校の話し声などを聞きながら、駅へ向かうこととなった。 現場へはもう少し遅く出ても間に合うことが分かり、翌日はゆっくり出かけた。集団登校から遅れること10分、泣き叫ぶ男の子の声を聞いた。泣き方が尋常ではなく、女性の怒声が響き渡っている。気にはなるのだが、後ろ髪引かれる想いで背に声だけを聞かされ駅に向かい、その母子の姿を視ることは出来なかった。
さらにその翌日、又しても同じ泣き声と怒声、ドンやパチンというような殴打らしき音や鞄か何か持ち物が散乱する音などが聞こえた。その日は現場に遅刻を覚悟で、駅への歩を止め、声と音のする交差点方向へ戻り始めた。やや歩くと20Mほど先に母親と男の子を見つけた。母親が逆上している。殴る蹴るに及んでいる。「早く行けぇ~」「グズグズしてるからみんなに遅れるんだよぉ」。男の子は民家の外壁に当たり、肘から少し血を流している。顔が腫れているように見えた。母親の横には妹だろうか男の子より幼い女児が立ち尽くして居る。また、男の子の頬に母親のビンタが飛んだ。男の子はもう泣き叫ぶしか出来ない。妹はどう対応すればいいのか分からないまま、「お兄ちゃん可哀そう・・・」という言葉を噛み殺して口を横一文字に閉じて、堪えている表情。 ワシが制止しよう、声をかけよう、いや難しいな~かえって逆効果か?他人が子の側に立つことで子への怒りが倍化しまいか?と躊躇しながら母子に向かおうとすると、近くを通りかかった年配の通勤女性が何か語りながら母子の間に入って行く。 「お前が同情を引こうとオーバーな動きすっから、云々・・・」案の定、他人の制止が子へのさらなる怒りを呼んでいる。通勤女性は見るに見かねて意を決しての行動だから下がらない。 「お母さん、昨日も一昨日もじゃないですか、そんなに一方的に・・・」と言ったきり涙ぐんでいる。 遅れて加わったワシは「オカアはん、ちょっと待ちなさい!ともかくそこまで殴ることないやろ。一体何やねん?何でやねん?どないしたいねん?」 「家事も、仕事も、妹の保育所も、何もかもこいつにムチャクチャにされてんだから。あんた、口出すんならこの子の学校嫌いと付き合ってみなよ。何もできなくなるからさ!」
母親の興奮状態は変わらなかったが、四辻近くの数軒の母親やお婆さんが出て来て母親を囲んだ。顔見知りらしき人が、男の子の肩に手をやり学校方向へ歩き始めた。母親は妹と別方向へ歩き始めた。 ご近所さんから大体の話を聞いた。 母子は、昨秋転居して来た。兄は二年生、妹は保育所の上から二番目の組。兄は新しい学校(この区の小中一貫公立校だ)にまだ慣れず毎朝グズグズして集団登校に間に合わず、毎日のようにこの四辻でグズって大事になるらしい。小学校へはこの四辻別れ道で右折れし、保育所へは直進。兄の言い分は、あと70Mほどの保育所まで母親といっしょに妹を送りたい、それからちゃんと小学校へ向かうよ。だから、この四辻で独りにしないでくれ! 母親は、保育所へ向かい、またこの四辻まで引き返して・・・ということなど、兄ちゃんにも自分の仕事にも、時間的に精神的に出来っこない。さっさとここで学校へ向かえよ!となる。 学校に行きたくない兄ちゃんを、ならばしばらくこのように対処して・・・などとする代案など思い浮かばない。代案があったとして、母親にはそれへの準備、その運営の手間暇、その余裕が無い。今日も、仕事の時間が迫っていて落ち着かない。あゝ、負の連鎖だ。
大都会で、しかも転居して来て半年、まだリズムを確立できないこの母子は、他の母子がそうであるように、自分たちの力でこの難局を乗り切るしかないのか。「公」が何か手伝えるだろうか。小中一貫制、私学に勝つ? 教師偏差値の底上げ? 児童の学力アップ? おい、品川区、品川区よ「オレの話を聴け!」
あえて言うが、 孤独で、行政が持つ「手伝う」方法と力に不案内で、己の力量と課題の不釣合いに圧し潰れそうな窮状が「兄ちゃんへの暴力」となってしまうこの母子に、 母親が手伝ってくれと言うまで手伝わないのではなく、何か手伝いましょうか?何を手伝えば助かりますか?と、 行政の側から声をかけなアカンのとちゃうんか!
あれこれ想像した。 母子家庭か? 兄妹の父親は同じなんか? 父親はいるのか? いるならどうしてるんや? 妹はその父親の子で、兄は前夫の子か? 複雑な事情が絡んでいるなら、オカアはん、この子死んでしまうで。あんた、この子を殺してしまうで。ワシは大阪から単身赴任で来てるねん。孫もおる歳や。よそ者やから、近所にアレコレ言う付き合いもない。現場の都合で、この出来事に遭う機会もたぶんこの先はあまりない。そやから、安心してブチ撒けなさい。聞きまっせ。
仕事・育児・家事あんたも大変やろけど、この子も大変なんや。学校に馴染めず、多分クラス・メイトや担任にもなつけず、オカアはんあんたよりシンドイかも分からんぜ。学校・クラス・友達との回路を開けない・築けないこの子の拠り所、最後まで味方に立ってくれるのは、オカアはん、あんたやろ。子にとって母親は最後のセイフティネットやぞ! 独りで無理なら、勤務先・区・都・国・ご近所、誰の力を借りてもええんやで。
その日、8時まで予定の現場の管理・あと仕舞いを大工の棟梁にお願いして2時半に早退した。 昼までにこの区の「子育て支援児童家庭相談」「子ども未来事業」「家庭あんしん」などの部署名称を掴み、緊急電話した。臨場感の下で話したいと、四辻まで来て欲しいと要望し、4時に我が事務所兼社宅へ来てもらった。
あれから約二ヶ月。 ようやく、当ブログに書く気になる展開とはなった。「公」務員の誠実と矜持に出会えた。若い母親の宣言も聞かせてもらった。 詳細は次回。
さよなら原発10万人集会 代々木公園
「脱原発」を訴える大規模な市民集会「さようなら原発10万人集会」が16日午後、東京・代々木公園で開かれた。ノーベル賞作家の大江健三郎さん(77)らが呼びかけた署名運動「さようなら原発1000万人アクション」の一環。約17万人(主催者発表)が全国から集まり、原発の再稼働に踏み切った野田政権に方針撤回を迫った。
「たかが電気のためになんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか。子どもを守りましょう。日本の国土を守りましょう」。集会は午後1時、呼びかけ人の一人、音楽家の坂本龍一さん(60)のあいさつで始まった。 続いて壇上に立った大江さんは、6月15日に約750万人分の署名の大半を野田佳彦首相あてに提出した翌日に野田政権が関西電力大飯原発の再稼働を決めた経緯に触れ、「私らは侮辱の中に生きている。政府のもくろみを打ち倒さなければならないし、それは確実に打ち倒しうる。原発の恐怖と侮辱の外に出て自由に生きることを皆さんを前にして心から信じる。しっかりやり続けましょう」と訴えた。 落合恵子さん、鎌田慧さん、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さんらの顔が見える
ぼやきでは終われないぜ: 元知事の正体
強引な庁舎移転計画失敗の大損失を隠すために、次々繰り出す「攻撃的言辞」
TVニュースに登場している橋下大阪市長(知事時代からの)の、敵を作り出しその欠点や不備だけを一方的に責め立てる手法にウンザリしながらも、またしても画面に向かって反論していた。例によって「生活保護不正受給」の話だ。長妻昭、民主党副幹事長(元厚労相)が相手だった。 彼は言う。貴方のような国の機関に座っている役人は、不正受給を摘発するに必要な「摘発した不正額を上回る」費用と戦力を割かれる職員の貴重な時間など、我々現場の苦労を解かっていない。摘発した金額は自治体に回収義務がありそれを前提に国からの次の支給額から差っ引かれる。自治体が一方的に負担を背負うことになり、じゃあ摘発なんか止めておこうとなる。そうでしょう? このように何かにつけ政府は形式主義、馴れ合い、無駄ばかりなんです、と。言動と実際の行政運営には職員不信を公言しながら、ここでは「我々現場云々・・・」と場所移動だ。弁舌の巧みさと言うか一種の技術だ。 この摘発を巡る指摘は正しいというか「その通り」だが、長妻氏がその構造に無知である訳はなく、こういう論難スタイルはTVの短いやりとりでは、「ちょっと待ちなさい。私に限らず、福祉行政を担ってきた者はそうした構造は百も承知しており、その改善にはまず、云々・・・」と以下説明をする間もなく司会者は橋下の威勢の良い言い放しで、マイク順番を断ち切る。大体そういうパターンだ。攻撃する側はワンイシューで責め続け、反論側は問題の整理説明に時間を要する限り「弁明」に聞こえてしまうから苦しい。
ふと「この手法、この論法はどこかで見たぞ」と思った途端、何やら胸と背中にキリキリと鈍い痛みが走った。そうだ、身に覚えがあるのだ。聞き覚えがあるのだ、責め続けるだけの論法を。60年代末前後に確かに見た。自らもそこに居たのだ。 逆に問われ質され責められる局面には、全く弱く、弱さを知っているからひたすら責め続けられる課題を、次から次へと繰り出せる攻撃課題を機関銃のように連射していた。 攻守逆転が予知される場面では素早く、「論点を反らすんじゃない」「今は、その課題を論じているじゃない。誤魔化すな」と予防線を張り・・・、という具合。全共闘がそれだった。 (もちろん、根本思想も少数者・弱者への想いも、人権感覚も、全く逆だったとは思うが、その「手法」は似ていたと認めたい。本来、思想と手法は当然深く関連している。ならば、根本思想などと他言するその思想そのものが、極めて表層的であったと認めざるを得まい) 彼の土俵で、ディベート式の「口論」場で守りの相撲しては勝ち目は無い。こちらから攻めるべし。
橋本徹。97年弁護士スタートは、左派というか人権派樺島弁護士事務所だった。ボス弁とは仲が悪かったと述懐している。98年、自身の事務所を開設。消費者金融大手の「アイフル」の子会社、商工ローン企業「シティズ」の顧問弁護士となる。「シティズ」は、「利息制限法による引き直し計算とそれを前提にした特定調停・個人民事再生に応じない」、弁護士・司法書士・被害者の会からは極めて問題のある企業として知られていた。この時代を含め法廷で8年間負け知らずと豪語している。が、何に負けなかったのか? 弱者に負けなかったと嘯いているのだ。吐き気がする。 高金利であろうが「借りたもの返さなければならない」という「真理」の片面だけに立った弁護活動の思想は、そのまま今日の府政・市政に反映している。(もうひとつの「真理」とは、利息制限法の範囲であっても度を過ぎた高利は自然法に反するということ)。例えば、橋下府政and市政の実際は下記のごとし。
【教育】【文化】【公務員】【労働現場】 1年期限の講師を急増、私学経常費助成を大幅削減、学校警備員補助を廃止、府立高校教務事務補助員等を雇い止め、青少年会館を廃止、跡地を長谷工に売却、センチュリー交響楽団補助金を廃止、国際児童文学館(吹田市)を閉館、国際児童文学館(吹田市)を閉館、青少年野外活動センターと府民牧場を廃止、クレオ大阪(大阪市立男女共同参画センター)5館廃止案、放課後児童健全育成事業(学童保育)の見直し(廃止検討)(西成の「こどもの里」HP=http://blogs.dion.ne.jp/kodomonosato/archives/10725887.html )、職員給与7%カット、組合事務所貸与の中止、その弾圧の民間への波及 などなど 【福祉】 高齢者住宅改造助成と見守り訪問を廃止、障害者・福祉団体への補助金を廃止、救命救急センターの補助金削減、公害患者死亡見舞金を廃止、ピースおおさか補助金を削減、軽費老人ホーム(ケアハウス含む)運営助成費を改悪、などなど
私学助成削減の再考を求めて来庁した高校生に、「変えたいなら、勉強して君が知事になって変えればいい」と言い放ったのは有名。 一方で、弱者のささやかな希いを不充分でもやっと事業へと繋いでいる予算をカットしながら、一方で、特別顧問・参与なる民間人を大量に任用しており(顧問:前市長時代3名→16名、参与34名、計50名)(誰かがNKB48と名付けた)、報酬も増額している。職員も議員も不要だと言っているに等しい。議会や「もの申す職員」は不要で、首長様の言うこと忠実に実行する職員と、首長様の意向を具体政策に「翻訳」してくれる「ある方向性」を共有できる識者・学者・弁護士・会計士が居れば充分。彼にとって、新知事を含め「匿名」のロボットでいいのだ。
言わせてもらうが、「こどもの里」はじめ、削減・廃止の各施策・事業の費用は、府庁舎移転の失政による損失に比べてどうなのよ?! あんたが二度の反対決議を押して強行した 府庁移転計画・WTC購入(85億円)・WTCの改修工事(30億円)、3・11に地震で震度3だったが揺れが10分間継続ビル内360ヶ所破損 、専門家から府庁舎として使えないし防災拠点などとても無理との指摘を受けた。東南海地震では「倒壊の可能性も検討すべき」とも言われている。また想定される津波ではWTC地域は水没すして電気系統パアです。 あんたが言う、「二庁舎並存(上町現在地とWTC地域)」で被る損害は、今後30年で1200億円だという。 橋下君、そのマイナスを取り戻すために、あれもこれも縮小・削減・廃止してるのですか?http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/47728cd2ca711e56d63330d4a35e6783 府政の財政の実際についても、 『橋下府政の3年9ヵ月で府財政は劇的に好転したと信じる人も多い。しかし今、府の財政指標を眺めてみても、「再建した」と言えるような改善は見えてこない。それどころか、借金は増え続ける一方だ。なぜ、これほどイメージと実態がかけ離れているのか。「橋下改革」とはいったい何だったのか。ほんとうのところを検証するべきだろう。仮に黒字になったとしても、それで府財政が健全だという話にはならない。ここには府債残高とその返済能力、資産などはまったく考慮されていないのだ。それを知ってか知らずか、「11年ぶりの黒字」「改革の成果」と橋下の手腕を讃えるような報道が「改革者」のイメージを作ってきたといえる。』 と詳しくその実態を示すレポートがある( http://gendai.ismedia.jp/articles/-/26964 )。 マスコミが自ら作ったイメージの間違いを認めたくないばっかりに、イメージの拡大再生産を計っているのだ。
橋下政治を要約すれば、
もっと儲かるはずの強者の利益が、弱者への配慮によって損われる「理不尽」を阻止し、
市場原理主義に基づき、社会福祉施策を縮小・廃止し、教育に政治介入し、
公務員に対する強権政治で公共の仕事を縮小させる(つまりは「公」の任務の放棄) 差別・選別・排除の政治である。「公」を解体する使命を帯びた政治である。 次に来るのは、橋下維新派の支持階層・支持者自身が排除され直接被害を被る政治体制なのだ。 そこを解かり易く人々に届ける努力を怠ってはならない。 取り返しが付かなくなる前に・・・。
たそがれ映画談義: 女優 L・Aの隠居、ヴィスコンティ不在のイタリア映画
ヴィスコンティ&女優 L・A
ルキノ・ヴィスコンティの作品を最初に観たのは64年高校二年だ。作品は『山猫』だった。 65年:高三になって、確か60年に公開されたというある古い映画を、行ったことの無い名画館で映っているのを見つけ、「ヴィスコンティの前作を観るべし」と理由を付けて出かけた。神戸新開地の「大洋劇場」(記憶不確か)という名の上映館を捜し訪ねた。 アラン・ドロン、アニー・ジラルド、レナート・サルヴァトーリ、クラウディア・カルディナーレなどが出ていた。『若者のすべて』だ。 その後ヴィスコンティ作品は 『地獄に堕ちた勇者ども』(69年)、『ベニスに死す』(71年)、 『ルードヴィヒ』(72年)、『家族の肖像』(74年)、『イノセント』(75年、日本公開79年)、と観て来た。ヨーロッパの文化や伝統の死に立ち会う者の悲哀と、ヨーロッパへのいささかの(実は根本的で深い)矜持が、アメリカ的・即物的・効率優先のイズムに圧し潰されて行く景色を受容れざるを得ないことへの切情濃厚な70年代の作品には、間違いなく「死」ということへの彼の意識が重なって見えていた。ヴィスコンティは「死」を意識している。凡感なぼくにもそこはビンビン伝わって来た。 遺作となった『イノセント』では、撮影の後半期になってヴィスコンティの病状進行したが、押して現場入りし最後まで車椅子上で演出した。が、封切を見ることなく他界した。76年3月没、満69歳。ヴィスコンティについては、ヨーロッパをそれなりに知っていないことには語れないが、ぼくなりの切り口でいつか語ってみたい。 彼の死後、「ヨーロッパの擬敗北」と「伝統への矜持」を言内外に語る「堂々たる」ヨーロッパ映画に出会えていないように思う。
出自はミラノの伯爵家、生涯イタリア共産党員、バイセクシャルであることをオープンにしていた。そのヴィスコンティならではの純粋美的芸術的視点(?)から、彼に「ヴィーナスの体をしている」と言わしめ主人公の妻役に採用させしめた女優を、観ようという俗情に大いに駆られて、労働争議でバリケード占拠していた社屋を抜け出し、遺作『イノセント』を観に行ったのだったと思う。その女優の名を知った。ラウラ・アントネッリと言う。 後年『イノセント』を再度観て、その女優を別の機会に観たことを思い出した。TVで放映されたイタリアン・エロチック・コメディなるジャンル(艶笑劇?)の映画『青い体験』(73年)の女優ではないか。吹き替えの声優が、ヘップバーンや『銀河鉄道999』のメーテルの池田昌子さんだったので、よく記憶していた。 最近、その女優の経歴やその後を知った。 1941年イタリア領だったクロアチア生まれ、65年映画デヴュー、映画『コニャックの男』で競演したジャン・ポール・ベルモンドと71年ごろから10年近く愛人関係。75年のヴィスコンティ遺作『イノセント』以外にも、エットーラ・スコラ、マウロ・ボロニーニなど大物監督に使われた。『青い体験』と『パッション・ダモーレ』(81年)では、イタリアで権威あると言われる映画記者協会が選出するナストロ・ダルジェント賞主演女優賞も受賞している。
1991年、50歳で出演した『Malizia2000』(『青い体験』の原題が「Malizia」)で、プロデューサーと監督から「しわを隠せ」とコラーゲン注入を勧められ手術を受けて失敗。最後の映画となった。同年、自宅でコカインが押収され禁固刑判決(抗告の後、判決取消)。現在71歳だなぁ~。 イタリア映画。戦後すぐのデシーカ、フェリーニ、ロッセリーニから、ヴィスコンティ、アントニオーニなどへ続く映画作家たち、『靴みがき』『自転車泥棒』『にがい米』『道』『鉄道員』『刑事』『甘い生活』『ふたりの女』『鞄を持った女』『太陽はひとりぼっち』『ブーベの恋人』『誘惑されて棄てられて』『アポロンの地獄』『ひまわり』『山猫』『地獄に堕ちた勇者ども』『ベニスに死す』『家族の肖像』『イノセント』などの作品群、シルヴァーナ・マンガーノ、シルヴァ・コシナ、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジーダ、ジュリエッタ・マッシーナ、クラウディア・カルディナーレ、ステファニ・サンドレッリ、ラウラ・アントネッリなどの女優さん。ハリウッドがちょっかいを出す、欧州の側も半ば喜んで尾っぽを振る、本来の個性・美点・美学が損なわれる・・・。けれど、女優は、気付き最後に故郷に戻って来る。戦後の、ハリウッドとヨーロッパ映画界との関係の経済版が今日のグローバリズムだと言えなくはない。
映画は、テーマ・パークなんかで再体験することでも、こけおどしのセット見学でもジェットコースター感覚の投機ごっこでもないのだ。 USJになんか、絶対に行くものか! ハリウッドに席捲され、慌て恐怖し・・・、60年代末70年代の日本映画でのヤクザ映画、ロマン・ポルノのごとく、イタリアではマカロニ・ウエスタン、イタリアン・ホラー、イタリアン・エロチック・コメディという流れとなって行く。 自身もハリウッドに「進出」し、個性をやや歪められた時期(つまりハリウッドばりの「肉食系」体形作りとファッションやヘアスタイル)も持つラウラ・アントネッリの、盛衰変遷・寂しい終わり方にも、ヨーロッパの悲哀が見えてしまう。 『イノセント』と少しの作品以外は、イタリアン・エロチック・コメディに終始した女優人生だったが、ヴィスコンティの言う「ヴィーナスの体」(母性へと連なる、それこそヴィーナス系のたおやかさ)と醸し出す雰囲気や陰ある表情が、アンチ・ハリウッドやイタリア内亜流(クロアチア)を主張していた。ご苦労様でした。 *ヴィーナスの体を無修正でご覧になりたいむきへの情報: http://filmscoop.wordpress.com/2009/08/13/laura-antonelli/ http://bigi.umu.cc/antonelli-p.html
ぼやき: 民主党政権を嘆いても・・・
【民主党政権七大罪】国民各階層を貫く対抗戦線=社会的左派の形成を一から創る営みに、出来る範囲と方法で尽力すること、そうすることが、 曲りなりにも在ったその一つの存在の、自業の解体過程に無力だったぼくたち敗残者に、「残」された仕事だ。
【安保防衛】 何と自民党防衛政策ブレーン(軍事イデオローグ)、民間人学者(?)の森本氏を防衛大臣に任命。 日米安保(軍事同盟)を直ちに根本改変できないのは理解できるが、沖縄基地問題・日米地位協定・各種密約の開示・他、自民政権には出来ない戦後日米関係の別の展開へのキッカケを作ること完全放棄だ。それが人事に顕れた野田首相の本音。 (野田氏は集団的自衛権行使容認論者。それは、松下政経塾の塾是でもある。ちなみに現政権の松下政経塾出身者は、野田氏、玄葉外務、松原国家公安、など。党には前原政調会長、樽床幹事長代理、原口元総務相、福山哲郎など多数) さながら、松下政経塾政権だ。旧民主党、日本新党、松下政経塾、旧社会党、旧民社党、さきがけ、旧自由党、他 その「反自民」寄せ集め集合体には、当然ながらいまだ「綱領」さえない。 【安保沖縄】 欠陥機種オスプレイの普天間配備を強行。普天間~辺野古案を推進。1945年に米に売り渡した沖縄、基地集中の沖縄、普天間撤去・海兵隊撤収から戦後日米安保体制の見直しへと進む、その第一歩を刻もうとしない。だから防衛大臣人事もこれだ・・・。 【勤労、生活】 非正規・派遣・パート等、経営効率化の為の野放し財界寄り雇用形態が続いている。抜け道や逆手運用(一定期間後の正規採用回避の為の期限前解雇など)への再度の法改正は進まない。 【エネルギー政策】 大飯を再稼動するし、「脱原発」への方向性は打ち出しもしない。「原子力規制庁」設置法案(民主党案)には当初無かった文言「安全保障に資する」ことを書き加え(自公提案)、「核」を「安全保障」と絡ませる保守派の本音に同調。核廃棄物対策・廃炉プラン無し・アジア等への原発輸出・原発基軸を前提にした各種政策。 【農業、対米】 安全基準・国土条件に合った生産方式などを無視、工業製品・医療・保険・労働・にも拡大・・・・のTPP。「公平」な競争とは名ばかり、アメリカンスタンダードを強制するTPPを推進か? 軽自動車の税優遇措置がアンフェアだって? 【教育・子ども】 旧政権の教員バッシング・国家主義統制を放置。歴代文部科学大臣のコメントはどの政権の発言か分からぬ状態。 子ども手当て騒動も、現金支給などではなく「学校給食無償」「高校無償」、保育所増設など待機児童対策に当てよ。 【政治運営手順】 消費税アップは、税と社会保障費負担(健康保険・雇用保険・労災などの総計)の収入に対する比率から言えば自ずと有り得べき論議かもしれない。が、負担率増論議よりも、使い道論議を・・・という風土構築の努力がない。しかも、選挙を経ずして消費税アップは決めないとしていた約束の堂々たる破棄・正面突破は、民主主義否定の暴挙と言うしかない。
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はてさて、小選挙区に支持政党候補者の居ない選挙民が、次善の策として民主党に投票したのは、この政権が「社会民主主義的」的政策や運営を少しはするだろうと、淡い期待を抱いたからだと思うが・・・。 上に挙げた七つの領域の一つでも「社会民主主義的」的政策を採れよとは思うが、やはり七つはそれぞれに別のことなのではなく強く繋がり結びついている事柄なんだと改めて思い至る。そしてやはり、政権や政党ではなく、それぞれの領域の現地・現場の抵抗戦の有無が全ての始まりだと改めて強く思う。総評の解体、社会党の消滅、小選挙区制・労働者派遣法の成立(やり過ごし)、各種規制緩和の波、新自由主義経済の猛威・橋下の登場・・・。 社会が一つの流れにあればこそ、それを阻止するのは現地・現場の抵抗線だと肝に銘じたい。
例えば、反原発の集会デモに参加して、日本の基幹産業の大手労働組合の隊列に出会ったことがありますか? 原発・安保・沖縄に関して大労組と民主党((の内の大方の傾向)は、ぼくらと同じ方向を向いているとは思えないし、最近の国会事情を見ていると、民・自・公の三党連立政権かい?と言いたくなる有り様。 次期総選挙は、その大連立か、それともハシズムかという最悪の選択の選挙なのか? そうさせない為には、現場・現地、労働現場・生活現場・消費現場での目に見える民の抗いの積み重ねしかない。 例えば、橋下の違憲アンケートには、保留しようが何をしようがアンケートを実施したこと自体が「憲法違反」「不当労働行為」「労組法違反」だと、大阪の「市民職員連名」の法廷闘争と労働現場闘争を開始すべし!
読書: 『「一九〇五年」の彼ら』 -②民主党政権とAKB総選挙
『「一九〇五年」の彼ら -「現代」の発端を生きた十二人の文学者- 』 (関川夏央著、NHK出版、¥780)
何の為の「公」なのかを巡って、ぼくが得たヒントもある。 1911年(明治44年)9月、平塚らいてふ・長沼智恵子らによって「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。」に始まる創刊の辞を掲げた『青鞜』が発行される。冒頭に与謝野晶子の詩が掲載されたそうだ。「一人称にてのみ物書かばや。われは女(おなご)ぞ」とあるのだそうだ。
なるほど、「一人称にてのみ物言わばや。われは民ぞ」だ。個々の「私」、その実現・確立・確保・保障の為にこそ「公」は在る。政治や総選挙から遠い、若者・中年男らがAKB総選挙(?)に一喜一憂し、日本武道館に詰めかけた一万人や、居酒屋やレンタルビデオ店のモニターTV前では、開票速報に投票者たちの歓声と溜息が交差している有り様だという。この狂想曲の仕掛人は、かつて「天皇在位20周年祝典」のセレモニーを演出したりしていた。「日出づる国の」と「祝典賛歌」を奉じていた。「祝典賛歌」と「AKB総選挙」が深いところで繋がり共犯関係にあることの証左であろう。 大新聞社発行の月刊誌にコメントを寄せる学者は、この総選挙狂想曲光景を肯定的に捉え分析した挙句、仕掛人の思惑に便乗する各種メディアと投票者の「あてがい扶持」文化の「危うさ」への警鐘ひとつ語りはしない。
消費の大部分が「誘導された欲望」に支配され、渋谷の街は「誘導されたファッション」に包まれた若者で今夜も溢れ、大新聞やエセ公カルチュアは奴らの企画演出の狂想曲に易々と乗ることで、本来責務の放棄を忘れらるのだ。 100年を費やしてなお、この国には「公」が無い。それは、「私」そのものがないからなのだ。 政権にしてからが「公」が無いから、原発再稼動に走り、普天間-辺野古を言い続け、公約違反の消費税強行を実質大連立で乗り切ろうとしている。民・自・公とは、議会の8割、つまりは大政翼賛会なのだ。 「公」の無いところには、擬制の「エセ公」が「公」を僭称して登場するぞ。国家神道・武士道・大和魂などではなく、それを活用したとしてもメインは「新しく」「カッコよく」「人々に支持され」て登場するだろう。そうハシズムはその一例だろう。 1905年からの約100年の曲がり角に政権を手にした民主党は、その意味も、その使命も、何も分かっていない。民主党の「私」さえすでに氷解し去った。 新聞紙上に民主党政権へのブラック・ユーモアが出ていた。政権の無策・「羅針盤喪失航行」を述べて「民主党は要らない」ではなく「自民党は要らない」と説く。曰く「自民党の仕事は、全て民主党が行なっているから」と締め括る。 社会民主主義的「的」政権や、ヨーロッパ左派政権を構想して期待した人々も、いよいよ民主党を見限る時期に来ていよう。 「私」の確立による「公」の展開・・・、下手に政権にある限りその構想への妨害でしかない。この国のなけなしの「抵抗勢力」「総結集を想定できる潜在力まで溶解せられては、再建の支障だ。それよりは、 対立軸が明確であり、相対的「左派」の異議申し立てが常に一定の社会的波及力をもって存在する・・・、今ならまだその復刻へと舵を切れる。民主党政権への一切の幻想を棄てることが、「私」の確立であり、従って「公」への道なのだと、一年かけて想い至った次第である。
読書: 『「一九〇五年」の彼ら』 -①日露戦から100年強
『「一九〇五年」の彼ら -「現代」の発端を生きた十二人の文学者- 』 (関川夏央著、NHK出版、¥780)
読書とほぼ無縁の学生期を過ごした身ゆえ、その後の労働や生活、社会的闘いや個人的表現願望・・・などで否応なく出遭わざるを得ない、先達のあれこれの考え(思想)や書物が、一般の人にとっては遠い学生時代に読み込んだものだったりする。こっちは後追いで斜め読みなどして半端なことだ。
そんなぼくでも、漱石・啄木・晶子・光太郎は多少知っていて、明治期文人の格闘の意味を歳を重ねるに従って考えるようになっていた。 格闘=西欧を追いつつその模倣ではない独自のものを求めた精神の彷徨、日本独自(それ以上に己独自の)の立脚地点を求めながらも、国際的には「脱亜入欧」ではなく、内的な拠り所は大和魂・武士道・国家神道・天皇・軍国でもない「別のもの」を探しあぐねた格闘。その格闘を考えることが今日的に有意義だろうことは、その格闘が西欧対日本という座標軸と、近代的自我対国民国家あるいは「公」対「公僭称体」という座標軸の複合重層の連立方程に在り、明治近代国家完成から100年強を経てなお堂々巡りを繰り返しており、我と我が身がそこに棲む「公」なき我と社会だからに違いない。 60年代以前の若者が、マルクス・レーニン主義を「公」と見定めそこへ傾斜したのは理のあるところだった。しかし、誤解を恐れながら言うが、それは本メモ末尾でぼくが言う「私」の確保の為の「公」ではなく、公による「私」の統治論でしかなかったのではないか? 冷戦終了・東西ドイツ統一、ますます「公」が見えない中、後年「オウム」教団に医師などのインテリ層が大量に帰依したことも、元々は「公」の希求だったと言われている。人は誠実であればこそ、混迷に在ってオウム的で ある場合がある。
以前、関川夏央著・谷口ジロー画になる劇画『「坊ちゃん」の時代』全五巻を読んで、劇画で明治のダイジェスト摘み食いみたいで反則技っぽくもあったが、なんのなんの、その構成力と説得力・臨場感は見事で魅せられたものだった。そこからいくつかの読書に及んだ。劇画恐るべし、いや昔国語や社会の教師たちはその先への魅力を、この劇画のように伝えるべきだったのに・・・、などと考えたものだ。青年期明治には、人間の青年と同じようにその後100年の全ての要素が、瑞々しく毒々しく背伸びであったり矛盾の「外化」であったりして、いっぱい詰まっている。劇画はそれを見事に描いていた。 http://www.yasumaroh.com/?p=1738 最近同著者の『「一九〇五年」の彼ら』を読んだ。1905年、日露戦の戦勝に沸き立つ世論と新聞、この国威発揚の時間に明治は国民国家としてのピークを迎えていた、との明治観・国民国家観・その後の軍国への道筋観・・・、読むべしと直感して購入した。 青年明治が、壮年へと向かう。アジア・西欧との関係、国内の諸案件、近代国家としての軋みと軍事国家への傾斜、1910年「大逆事件」・韓国併合・・・。内外の社会状況は近代的個人に有無を言わせず迫って来る。 ここで取上げられた十二人は、それぞれ自己アイデンティティをどう確立したか。 関川は、十二人を「現代」の発端を生きた人々として、1905年という国民国家のピークから現代へと連続する社会の中の個人という文脈と、この100年と今以降の先を貫いて在るはずの「国民国家と近代的自我との相克」という文脈から、「公」へのヒントを探ろうとしている。 ぼくにとっては初耳エピソード(平塚らいてふ・森田草平の事件と、漱石・三四郎・里見美禰子)なども多数あり、十二人の模索はスリリングである。 関川による十二人の取上げ方の紹介は、それこそ孫孫引きなのでここでは遠慮するが、ぼくの場合何人かについて「ああ、これを読んでみるか」と思わせてもくれた。それぞれの読者にそう思わせてくれるだろう本だ。 それにしても、読むべき時期を何も読まずに過ぎ来たったものよなあ。
つぶやき: (元)生活保護受給者から 怒りの通信
元:生活保護受給者(知人)から怒りの通信
肝炎発病(証拠は無いが、注射針使い回し等による「公」的伝染の可能性大)によって労働ママならず、治療・通院・入院に明け暮れ、焦燥と失意の20代を過ごし、数年間の生活保護受給によってようやく「生」を「現実」へと繋いでいた経験のある知人から、怒りのメールが届いた。
自民党「生活保護に関するプロジェクトチーム」(某女性議員ら)が、某芸能人の母親の生活保護受給への疑義を声高に叫んでいる。不正受給撲滅・不適切支給根絶・親族の扶養の奨励を訴えるキッカケにしたいと言うが、不正と呼べるかどうかは曖昧で、自民党の方針「生活保護給付水準の10%カット」「食費・衣服費の現物支給化」「支給期間の有期化」などの社会保障の抑制政策への地ならしの動きと見える。 そもそも親族の扶養(成人した子の親に対する扶養)は「その者の社会的地位に相応しい生活を成り立たせた上で、余裕があれば援助する義務」であり、その程度は「話し合い合意」をもととする、となっている。 制度上の「許容範囲」を知らぬ振りして発せられる、「受給憎し」が先行する感情論は、「吊るし上げ」「見せしめ」としての役割を担って登場している。 それはあたかも、あっちもこっちも不正受給であるかのような、「扶養」「援助」しない受給者の親族は「不心得者」であり、常套句「非国民」と言いたいに違いない、強迫言説だ。
このご時世、税や社会保険の支払にさえ窮する勤労者は、職を失う可能性に日々晒され、ローン(でなければ都市部なら高額家賃)や、医療費・教育費等々に追われ、生活保護受給者が近親に居たとしても、「扶養」「援助」し難い状況に違いない。この知人の場合、兄弟などに所定の用紙に「援助無理」の一筆を書いてもらい、それを依頼するそのこと自体が「言いようの無い負目・屈辱感・無力感」として作用し、それこそカラダと心にこの上なく悪いことだったと振り返っている。 また酷暑を越える為のクーラーを「贅沢品」と指摘されたり、再入院に備えたほんの僅かの預金を「財産ゆえ減額の対象」と、こころない岡っ引役人に言われたりと地獄の日々だったという。
知人は、幸いにして闘病10数年の後、インターフェロン治療が奇跡的に効き、ほぼ完治し社会復帰した。 知人は言う。生活保護受給に絡みつく厭な思い出は千も万もあるけれど、生活保護制度には感謝している。「公」務の何たるかを承知している、「まっとう」な「公務員」にも出会えた。制度とその公務員のお陰で、自分の「生」と現実社会との関係を断ち切られる寸前で、皮一枚繋がって来たのだ。制度を活かすも殺すも、運用する人間の智恵・感性・心根だとつくづく思うなぁ・・・、と。
知人は、やがて生活保護受給を終了し、知的障害者・重度身体障害者の支援施設の職員となり、25年以上になる。 某女性議員が某芸能人に返納せよと言ったとか言ってないとか、だそうだが、知人の場合、「公」から受けた「自立準備期間の生活資金」を、そうやって「公」(的取組み)へ返している。いや、受給期間からすれば、十二分に返した。某芸能人が返すべきは、当初扶養援助がママならぬほど、どれほどの不安定収入だったか、そして生活保護がいかに「生存」の最後の砦だったか、などの制度の意味「公」論を説いて社会に返すことだ。 その上で、40万のローンを支払い、母親はそのマンションに住み・・・というのは彼のその後も続く高収入からして、いささかクエスチョンではある。制度を広く論議するサンプルを提供するをもって、応えたとぼくは理解しよう。
某女性議員よ! 貴女は、某芸人の母親の件にこれほど大声で居丈高に叫ぶが、では聞く。 貴女は、厚労省の覚えも目出度き、北九州方式(数値目標をノルマとして決め、保護件数を抑える)が、2006年4月~5月の二ヶ月間に、申請に際し、申請書を交付せず、受付自体を拒絶し、3名もの餓死者を出した事件に対し、今回の「口撃」の100分の一、いや万分の一でも、やがて「自民党・生活保護に関するプロジェクトチーム」の主要メンバ-となる「知性」(?)の一片を動員して発言したのか? マンションを売却し、40万のローン負担が無くなれば、某芸能人は母親を扶養出来ただろうが、それは制度と個別の事情を精査した上で発言したい。けれども、40万に目が行き、時間と労力を使う者が、一方で餓死者を作る(間接的殺人だ)という反福祉構造には何ら反応しない・・・、これは、どうしても理解納得できない。
生活保護受給者は、スウェーデン:4,5%、 フランス:5,7% イギリス:9,27%、 ドイツ:9,7%、 アメリカ:13,05%、そして日本:1,57%だそうだが、であるなら、日本は極めて低い水準ということになる。日本が、生活保護野放し天国かのような悪宣伝は誰がしているのだ? また、いわゆる「不正受給」は、総額年間129億円(これ自体大変な数字だが)で、しかも支給総額の0,4%である。 不正受給・不適切給付を野放しにせよと言いたいのではない。騒ぎ立てる「問題点」「疑義」と、餓死という間接殺人を前に、「公」は何処(いづこ)にありや、「民」は何を為すべしや? と自問しているのだ。制度には、必ず不備や瑕疵があり、不正があったり不具合がある。それは、糾され是正されねばならない。だが、その「不正」と、制度の目的・趣旨を根底から否定する「不正義」とは全く違うのだと強く言いたい。
ニート攻撃があった(今も言葉を変えてある)。不安定雇用形態を推し進める側の意図ある悪宣伝だった。 公務員バッシングが続いている。人口当たりの公務員数は日本は極めて少ないことが明らかだ。効率万能・数値化のハシズムは、「公」務を、公務員を、解体しようとしている。公務員が「公」を行なえない。( http://www.yasumaroh.com/?p=14034 ) いま、某芸能人バッシングから、生活保護受給バッシングへ、保護費削減へ、あらゆるセイフティネットの解体・放棄へと進み始めている。その全体構造を忘れないでいたい。*********************************************************************************************************************************************************
小説『舟を編む』(http://www.yasumaroh.com/?p=14019 )、映画『オレンジと太陽』(http://www.yasumaroh.com/?p=14566 )、この度の「生活保護バッシング」・・・。「公」とは? と思い続けている。 国家ではない。国家意志や宗教や政党ではない。特定の思想でも、特定の団体でもない、真正の「公」。 殖産興業・富国強兵のスローガンの下、国家形成を急いだ明治国家が国民国家の完成をみたのは、1905年「日露戦争」勝利(露の極東支配を阻止したい英・米の意向の産物だそうだが)による国威発揚のピーク期であり、残念ながら「戦勝」を土台にした『極東ロシアの一部を分捕るまで下がるな』とポーツマス講和に反対した市民・新聞などの軍国・皇国ナショナリズムとワンセットだった。 明治の知性は、武士道・大和魂・軍国日本・天皇などに依りかかることなく、「公」を追い求めた。「私」・・・、排他的でなく、競争ではなく、物理的私利ではない「私」の追及が、つまるところ「公」への入口だと見定めたと思う。「公」論議はともかく、近代的自我と国家との相克、社会的「公正」実現を希求するゆえの政治思想、戦争・侵略・欧米スタンダードへの抗い 等々・・・、100年前に明治人が立向かい、その後100年「現代人」が迷走た課題は、現在もそのままそこに在るのではないか? 今、2012年(1905年から、100年と少し)、100年を経た我等が「公」が見えぬ「ていたらく」ゆえ、明治国民国家が歩んだように(もちろんカタチと位相を異にして)「公」ではないものによってことが進みかけている。ヤバイ! 大飯再稼動、沖縄普天間-辺野古、ハシズム、大連立・・・ 殖産興業・富国強兵・日清日露戦・大逆事件・日韓併合・大正デモクラシー・軍閥・国際連盟脱退・二二六・対中戦争・太平洋戦争・沖縄地上戦・原爆・敗戦・沖縄処分・焼跡闇市・朝鮮特需・60年安保・所得倍増・高度経済成長・東京オリムピック・一億総中流・モーレツ・60年代末叛乱・沖縄県再発足・国鉄民営化・総評社会党解体・バブル期・バブル崩壊・規制緩和・雇用形態崩壊・年金瓦解寸前・阪神大震災・オウム事件・セイフティネット再編・少子高齢化・東北大震災・原発事故・・・・明治国民国家の100年は終わったのだ。民主党政権はその曲がり角に登場したはずなのだが・・・
先日、関川夏央著:『「一九〇五年」の彼ら-「現代」の発端を生きた十二人の文学者-』(NHK出版:\780)を読んだ。十二人の、悪戦苦闘の意味を少しは知りたい。「公」へのヒントをもらえるだろうか。 帯にはこうある 「私たち現代人の『原形』がここにある」。 十二人の氏名は、右画像クリックで判読出来ます。
-現実とヴァーチャルの間(はざま)で- 友人Aの40年
事件から40年、 あるシンポジウムに参加して
40年前1972年、世間を震撼させた事件があった。そこに至る経過や事情は長くなるので省略する。60年安保闘争時の全学連主流派(いわゆる安保BUND)以降の歴史をここで述べる知識も資料も時間も力もないので・・・・・。 後年「あの事件によって若者の政治離れ、闘い離れが加速した」と言われた某事件だ。籠城・銃撃戦はTV中継され日本中を釘付けにした。若者を「離れ」させたと言われるのは、銃撃戦のあと明らかになった山岳ベースでの「仲間殺し」によってである。誰も皆、我が耳と目を疑い「そんなはずは・・・」と絶句したのだ。 5月13日、目黒区民センターで、事件の当事者(生残り、従って加害の実行者でもある)たち。事件を起こしたのは、二つの異質な組織が合流して成った新党だが、その一方の組織の創設者=初代議長(合流時獄中)、この事件に発言してきた表現者・識者、そんな面々をパネリストにシンポジウムがあるという。合流前の、そのパネリストの元議長の組織に一時期関ったという、友人Aと会場へ向かった。 400弱の席は六~七部の入り。金廣志氏の名司会もあり、切り口を変えての五時間強に及ぶロングシンポだった。 ぼくの関心は、もちろん「前段階武装蜂起」や「先進国に於ける継続的な武装闘争」「山岳ベース方式」の当否、出自や思考スタイルの違う組織の合流=新党という無理の実際、中心メンバーの資質・性格・欠陥に事態の因を求める類の謎解き、そもそもそうやって作り出す社会の姿は?・・・、 などには無い。 40年というぼくの時間の中で、それらの設問とは別のところで、ぼくはぼくなりに事件を考えて来た。 権力・国家の「論」が過剰に語られるわりに、「社会論」は手薄だったし、こちら自身がそれらの設問には答える知恵も知識も経験もなく、やがて現実の仕事や生活、多少は関った労働現場の「闘い(?)」を通じて自分なりの「気付き」や「見定め」を苦く得て来たはずだ。 山本直樹による劇画『レッド』(講談社、現在第6巻)が、2010年文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞したという。ビックリだ。文化庁に「何するねん」と異議を唱えたいのではなく、事件は確実に間違いなく「歴史化」され文字通り「劇画化」されつつあると思うのだ。ゲームソフト化されつつあると言えば極論に過ぎるが、ヴァーチャルな体験として若い読者に届いているかのようだ。パネラーの言によれば、『新撰組みたい、カッコいい』 『新撰組にも同志殺しがあったよね』 などと登場人物の誰彼を土方・沖田・他隊士に擬えての「ファン」まで存在するのだそうだ。
劇画『レッド』は、事件を克明に追っているのだそうだが、発言者から、社会はこの劇画に賞を与える程、余裕をもって成熟しているのか、あるいはあの事件は劇画のモデルほどの意味合いだけは頂戴したということか、と皮肉自嘲発言があった。 シンポのまとめも感想も書けそうに無いので、以下いくつか耳に残る発言を拾って報告に代えることとする。
☆ 後年(すでに今が後年だ)、あの時代を逆照射する凍るような光源として語られ研究されるのは、たぶん「東アジア反日武装戦線」であり、集団性の病理と政治にまつわる暴力の暗部として刻印されるのは、 「革共同両派間+革労協」の死者総数100名を越える「内ゲバ」であって、それらは陽が差す表には出て来ないし、ましてや当事者が実名顔出しで語ることなどないだろう。 当事件の当事者は、その意味で立派と言うか、BUNDっぽいというか、壇上で懺悔せよと言いたいのではないが、何を抜け抜けと・・・に類する声も聞こえて来ように、そこを越えて「伝えよう」とする姿勢は認めたい。
☆ 若松映画作品の数々の受賞や、山本氏の劇画の受賞によって市民権というか「表」の歴史物カルチュアにされてしまう危うさを思う。「表」ということは、市民社会に認知され、いわば文化の消費過程に組み入れられるということであり、消費される文化に相応しい重量が与えられるだろう。けれど実は、当事件というのは消費させてはならない種類の事件なのだ。 「武装」や「山岳ベース」という、市民社会からすれば「異端」であるはずのものが、映画や劇画それも賞を取るという「成果」を得て、逆に「市民社会」へと回収されて行く。そこに事件の「劇画化」、ゲームソフト化が深く進行してはいまいか? 若松映画のラストで当時未成年だったKが「(負の連鎖を断ち切る言動を行なう)勇気がなかったんだよぉ~」と叫ぶが(あれはフィクションだそうです)、観客はそれによって救われるというか、感情の落とし所を与えられる。闘う者の「善意」や「熱情」の片鱗を確認するのだ。だが、あの両組織(後の新党)のメンバーは間違いなく、当時の若者の一般値よりは揺るぐことないピュアな「善意」と、社会変革と自己精進への「熱情」や「無私」の精神を持っていたと言い得る。 『地獄への道は善意で敷き詰められている』(サミュエル・ジョンソン?)と言われるように、闘いにかかわる者にそれらは前提だ。にもかかわらず、ある病理の連鎖に至ったのだ。だから、救いようの無い読後感の落とし所など実は無いことを承知した上で、この事件を我が身に引き寄せて、誰もが考えて来たと思う。我が身には、社会性や共同性の回路を持つことなく対処できるはずもない仕事・労働・闘い・政治・他があり、そこは当事件から考えたテエマと重なる事柄・出来事に満ちている。個人生活でも、家庭・家族・夫婦・男女間にもまた、違う位相で事件と近似質の病理が陰を落としていたことを誰もが知っている。
☆ オウムとは大いに違うのだが、似ていると思う。 当事者はかつてこう語っていた。「まずい、このままでは壊滅する」と感じながら「間違っている」「止めささなければ」と言えなかったのは、「この事態を受け止め、耐え、超えられないのは、自分が未熟であり不充分だからだ」と思っていたからだ、と。倒錯しているが、ある種の異形の「誠実」でさえあるのだから厄介だ。当時の私たちの男女関係にもそれがある。当時の(今も?)女性の多くが、男の理不尽な要求や横暴に遭って進退極まれば、事態の自己納得を確保するに、未熟でいたらない自分に非があるとする方法論を採用して生きたのだ。 この心理、思考停止・判断停止の構造はオウムと似ており、またもう一ついえることは相互性ということ。麻原と信者は互いに求められた姿に似せて自己を作って行くのである。事態は相互的なのだ。こうした集団・組織と個人の相互性に関して、よほどの自覚的理解を持たない限り、人はしばしばオウムなのだ。 組織と運動に巣食うスターリニズムなどと簡単に言うが、スターリニズムを持ち出すまでもない。 ナチス、スターリニズム、軍国日本、戦争体制の構造と似てもいるのだ。日露戦争後のポーツマス講和への対応。 国家予算の四倍を使い果たし財政破綻に加え、国際力学からも現実的対処に動いた政・軍に対し、国民と新聞の側が不満と怒りを表明したのだ。「極東ロシアの一部を分捕るまで下がるな」、と。 昭和軍国への道は、相互性の産物だ。
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同行した友人Aは、この合流組織=新党の片方の組織といささか関係があったのだが(だから元議長を見つめていたなぁ)、そのAが語った。 事件の「劇画化」と言うが、ひょっとしたら、もともと自分にとって、丸ごとひとつの「劇画」ではなかったか? つまり、驚くような単語を使いながら、自分はその正確な意味を問うことを保留又は無視し、リアルな現実であって同時にフィクションのような、つまりは壮大な「ゲームソフト」の中に浮遊していたのではなかったか? Aは、決して提唱者や組織が「ゲームソフト」の製作者だったと言ったのではない。自分にとっては、「ゲームソフト」的だったのではないかと言っているのだ。 例えば、「武装」と言う。それは、どのようなことであり、人を殺傷することを前提に語っているのか? 例えば、「蜂起」と語る。それは・・・・・・ Aはまた口を噤んだ。 Aを正視できなかった。 Aは初めて当時の己の理解そのものがヴァーチャルだったと言ったのだ。当時の自身の言動はゲームソフト上のことだったのか?と。40年以上の付き合いで初めてのことだった。 Aは、自身と関係者、関りのあった組織を揶揄するためでなく、総撤退するためでなく、残された時間に今日の課題と自身に意味あるコミットをするために、そう言ったのだと思う。言い換えると、ぼくにそう明言するのにAは40年を要したのだ。
本日5月15日は、沖縄県再発足の日(72年)。期せずして40年だ。沖縄の40年はヴァーチャルではないリアルな米軍基地支配の40年だ。普天間の辺野古への移転など現実的ではないと米までもが言う中、民主党政権は辺野古を言い張る。 民主党政権は大飯原発の再稼動に向けギアチェンジに入った。福島第一原発事故の収束はまだだ。震災津波を含め被災地の復旧は遠い。自民党は憲法改正草案を出した。元大阪府知事:橋下大阪市長の競争と統制の強権政治は「数値化し競争させる」と要約できる公務員叩き・教育解体を推し進めている。「ハジズム+近似勢力の集合」or「民主+自民の連立」、その二者択一という最悪の選択になどならぬよう、何をなすべきなのか、何ができるのか・・・・、
友人Bが、昨秋から宮城県の震災津波の被災地に月に一度一週間、ボランティア活動に出向き始めた。家屋に流入した汚泥・ゴミ、道路・河川に散乱する瓦礫、その撤去と整理だ。Bも又、Aとは違う混迷を経て、本籍地(所属団体)を離れて久しい。東北の被災地で若い人に出会い触発され、変わって行く己を自覚的に捉えることが出来る関係を綴った、気恥ずかしくも瑞々しいストレートな言葉に触れたことがある。 そのストレートさを誰かが揶揄していたが、ぼくはそこに数十年のBの左翼体験(所属した団体の解体、事情で指弾を受けた蹉跌、追われる様に去った運動体)への自省的な想いのほとばしりを嗅ぎ取り、Bが東北被災地での出会いと行動から得たものを語る心情を不快感なく受け止めている。 一方、組織や指導者、綱領や方針ではなく、自分自身の理解・対処が「ゲームソフト」的であったと語ったA。現代ゲーム世代若者を嘲笑いはできない、自分がその先駆けやと苦笑したA。 ぼくにとって、AもBも得難い友人なのだ。彼らは、何かを辞めたのか? 変わったのか? 放棄したのか? そうではなく、「遅すぎた表明」であれ、 そこには自分の言葉と歴史がある。これからも刺激を受け合う、友でありたい。
【事件との関係文献】 {当事者の回想録・書簡集・歌集など} 植垣康博、坂口弘、永田洋子、大槻節子、加藤倫教、坂東国男、森恒夫、吉野正邦 らによる多数の出版物。 {出版社の特集など} 『情況』 『朝日ジャーナル』 『月刊現代』 『序章』 『流動』 『別冊宝島』 『文芸春秋』 『インパクション』 『マルコポーロ』 他 {学者・文人言説、映画} 上野千鶴子『連合赤軍とフェミニズム』、 小熊英二『1968【下】16章』、 柄谷行人『意味という病』、 大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍』 大江健三郎『連合赤軍事件とドストエフスキー経験』(壊れものとしての人間)、金時鐘(『新文学』72年5月号の文章)、別役実『連合赤軍の神話』、 寺山修司『「連合赤軍」をこう思う』(深沢七郎との対談)、 立松和平『光の雨』、 平岡正明『連合赤軍 革命は魔道である』、 小嵐九八郎『蜂起には至らず・新左翼死人列伝』、 保坂正康『悲しきテロリスト・坂口弘』、 塩見孝也『赤軍派始末記・元議長が語る40年』 映画: 高橋伴明『光の雨』、 原田真人『突入せよ!「あさま山荘」事件』、 若松孝二『実録・連合赤軍』 劇画: 山本直樹『レッド』、 詩・音楽: 鮎川信夫:詩『MyUnitedRedArmy』、友部正人『乾杯!』(セカンドアルバム『にんじん』に収録)