【私事】
昨年の地震で内部崩壊となり、入居者が退去して廃屋となっていた拙宅裏の築60年の「文化」住宅の取り壊しが始まっている。
11月、閉鎖されていたその廃屋に、姉妹ネコの姉:キキが迷い込み閉じ込められ発見されるまでの右往左往、声だけ発見してから救出するまでのドタバタ劇・・・ネコ関連とはいえ悲しい記憶だ。
そのキキは正月明け1月6日に何らかの「毒物」を摂取したらしく(ペット医の見立て)急に瀕死状態、深夜に「北摂夜間緊急動物病院」へ駆け込み、翌7日午前三時息を引き取った。
キキが閉じ込められた家屋が消えて行くぅ~。
大阪北部地震は、東北や熊本や北海道に比して軽度ではあった。が、これが、災害というものの姿なのだ。災害などで、家屋や集落が失せて行くのは「記憶」の根拠地の暴力的消去なのだ、と改めて思う。
政権よ、政治よ。戦争よ、基地建設よ、原発よ、 世の悲嘆の大部分は人間が作っているのだ。生きている人間の「天賦の人権」を奪う権能など人間に与えられてはいない。
せめて、人の私心・邪心・悪意によって作り出される惨禍を最小限にしたい。
消えゆく「文化」住宅を観て、人の「文化」というものの意味と価値を想うという青臭い感慨に足を止めていた。
記憶の根拠地と「文化」の「ふるさと」を奪われた福島の人々の悲嘆と無念はいかばかりか。

画像:
上:10日ほど前から解体されている拙宅裏の「文化」住宅群。
下:正月7日息を引き取ったネコが、昨11月に閉じ込められた地震後廃屋になっていたその「文化」住宅の旧状。