つぶやき:オウム犯大量死刑

死刑制度には反対だ。
*冤罪の可能性がある限り(現にいくつかの実例を見ている)反対だ。極刑は取り返しがつかない制度だ。
*そもそも主権者たるワシらが「国家」に裁きの権能を与えることの必要必然は解かるが、「殺す」権能を与えているとは思わない。「殺す」それは別領域の事柄だ。

*「罰」の終了が「罪」の内容・意味・深度に向き合う当事者と世の義務を奪いはしないか、つまり「罪」と「罰」は違うという視点。
*他国を見れば、厳罰が重大犯罪の減少を結果しているのでない。
*被害者の心情は、必ずしも「極刑」によってのみ満たされるものではない。それこそ「復讐するは我にあり」だと思う。(神が言ったという。「人間に復讐の権能を与えてはいない。それは我の領域だ。」と)

今回の多数名同時処刑に震えて、明治以降、複数同時極刑の例を見てみた。
△「秩父困民党蜂起」(1884年):(1885年、田代栄助・井上伝蔵ら7名に死刑判決。井上は北海道に逃走の果て死亡)、
△いわゆる「大逆事件」(1910年):(1911年、幸徳秋水・宮下太吉・大石誠之助・菅野スガら12名処刑)、
△「2・26事件」(1936年):(1937年、首魁とされる野中大尉・香田大尉・磯部主計・北一輝・西田税らを含め計32名処刑)
△【別格】「極東軍事裁判」(1946年)(1948年、東條英樹、板垣征四郎、広田弘毅、松井石根、木村兵太郎、土肥原賢二、武藤章に死刑判決。A級戦犯7名は、1948年12月23日 当時の皇太子=現明仁天皇の誕生日に処刑された。)(一方、翌クリスマスの日、岸信介・笹川良一・児玉誉士夫らA級戦犯容疑者19名が釈放された)
などがある。

複数名同時極刑に込めた支配者たちの、その後の支配方針への断固たる意志表明か? 例えば岸放免は親米政権への布石だ、とか・・・。
現政権は、オウム麻原等7名への同日処刑にいかなる「意志」を示したのだろうか?
オウム犯罪という、何人も容認できない非道への「処罰」という場を得て、歯向かう者への戦後各政権には無かった断固たる構えを示したのか? が、「罪」と「罰」の混線が気になる。
自らが撒いたサリンを片付けた駅員を死亡させた医師林郁夫には、その供述が地下鉄サリン事件の全容解明への突破口を開いたので「自首」に等しいと、検察が死刑求刑ではなく無期懲役を求刑した。他方で、各実行犯の関与の度合い・犯意と被害の質と量・行為と結果を巡って混線があると識者は言う。ワシには解からん。

いずれにせよ、刑執行を明日に控えた晩に、法務大臣による万歳三唱の音頭取りはないだろう!

 

極刑の
朝は国ぢゅう
土砂塗れ

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