たそがれ映画談議:原一男作品『全身小説家』

先日、原一男作品『全身小説家』を観た。
観たいと思いながら見逃していた作品だ。
作家:井上光晴の実経歴の虚実と創作の真実を巡る、癌発見から死に至るまでを追ったドキュメントだが、同時に井上光晴の虚構の経歴を晒すことになる。

旅順という出生地の虚偽、父親の放浪のためにお金がなく中学に行けなかったというのも実は不合格だった、父親は放浪どころか家にちゃんといた。
帰省した折、少年の日の年上の憧れの朝鮮人少女が朝鮮人女性の遊郭に居たのに遭遇した、と言うのも虚構だと明かされる。
井上光晴は、1926年(大正15年)5月15日に福岡県の久留米市に生まれた。幼少期に両親が離婚。炭鉱で働いていた父親と共に長崎県の埼戸町で暮らし、祖母が母親代わりを務めていたようだ。高等小学校を中退後、独学でいくつかの検定試験に合格。戦後すぐに共産党に入党し、すぐに共産党内部に嫌気がさし、その批判を共産党系の雑誌「新日本文学」に「書かれざる一章」として発表する。党指導部から批判され、除名処分となり文学の道へと進む。
1977年、自らの創作活動とは別に、小説家を育てるための養成講座「文学伝習所」を佐世保で開講する。この講座は日本各地に広がりを見せ、北海道、山形、群馬、新潟、長野などへと広がった。
人気作家、三谷晴美との不倫関係を続けるが、彼女はその関係を絶つために自ら俗世間を離れ、ついには出家。瀬戸内寂聴と改名した彼女は、その後、井上と生涯、友人としての関係を続けることになる。
この映画には、伝習所の生徒たちが数多く登場し、インタビューに答えているが、その女性登場者が井上との特別な関係を隠すことなく披瀝する。その表情はことごとくどこか自慢げで「私が一番*されたのよ」なのだ。
「嘘つきみっちゃん」(埴谷が言ったのだったか)の虚実の経歴と、作ることに賭ける作家の「真実」の構造が堪らなく面白かった。映画で誰かが言っていた「人は皆、経歴詐称を生きている」と。

ワシの友人が半端な(素人出版数冊、未刊行数編の)自称モノ書きなのだが、構想力の貧弱からか実体験を土台にしてしか書けずに居る。別の友人が社会科学世界の「論文」をこれ又自称研究者として何本か各種機関誌や同人研究誌に発表している。
この二人の「論争」(?)の場に居合わせたことがある。
「こいつは嘘ばっかり書いている。自分史を事実より劇的にあるいは何故か敢えてみっともなく加工して書いてるんや!いずれにせよ嘘なんや」
「学者気取りは止めてくれ。あんたこそ、学問世界の水準に届かぬを知っているから、仲間内の誌に投稿してるんやんけ!」
共に実構造の一面を言い当ててはいるが、文学賞や学会の賞を取って「専門家」と認知されない限り世間的には「素人」なのだ。しかし、その中での悪戦が毎回身を削る格闘に在る限り、応酬は不毛とばかりは言えまい。
ワシはこの自称モノ書きを永年近くで見て来たが、「事実より劇的に」は感じたことはないが、「敢えてみっともなく加工」は何度か読まされた。その「敢えて」が「嘘」を構成する動機であっても、そこから作者が語りたい「真実」が見えたこともあった。
井上の虚実経歴も「嘘」なのではなく、提示する「真実」に必要不可欠な要素かもしれない。
父母にまつわる歴史・朝鮮人少女にまつわる悲恋(?)物語から、ワシは井上の不動の視角や譲れない根拠地を観た気がした。

ところで、原一男だ。過日観た『映画監督 浦山桐郎の肖像』では浦山の「(浦山を産んですぐ他界した)生母への思慕」「継母(生母の妹)への疑似恋情」が色濃く全編を貫いていた。
『全身小説家』でも、井上の母を巡る事情が「嘘つきみっちゃん」を作り出す原点=ある欠落への憧憬または負債として刻印されているように思えた。
原一男の虚実の経歴を観る想いだ。知りたくもある。
この人のドキュメントは、徹底した対象への移入同化又は我への力づくの吸引力があるなぁ~。

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