6月18日(日)「アジール空堀」6月。於:大阪府社会福祉会館、15:00~。
『熊沢誠 映画を語るⅢ』
トランプ時代の《トランボ》鑑賞―アメリカの知識人とポピュリズム
29人のご参加を得た白熱の講演でした。

「赤狩り」「マッカーシズム旋風」の「熱狂」の酷さや実被害の苛酷さと、それが冷めて行く過程に存在した映画界と一般の世論の「広範な」良識・知性・立憲精神の広さ深さを思います。ワイラーやスティーヴンスやキャプラら重鎮が果たした役割も大きい。
荒んだ世が、疲弊した社会が、憎しみを組織する邪道が、恢復するにはその「広範な」が絶対に必要。安倍政権が、安倍亜流政権が続いていい訳はなく、必ず代わらなければならんのだから・・・。

熊沢講演の特性は、労働問題であれ社会的危機に関してであれ、過労死課題であれ、必ず自戒とともに「希望」を語る点にある。事態の根深い理不尽を語り支配の側の無法暴虐を挙げ、受難の側の不備や悲惨を語っても、期待されるそして確保すべき「こちら側」の努力や蓄積の価値を軽んじはしない。
マッカーシズムを支持しただろうアメリカの大衆(市民・民衆・人民 ?)の巨大な山と波を見つめたいとの言は、逆ににもかかわらず「こちら側」はマッカ―シズム受難者を擁護する信念ある山と波も持っていた、という「希望」を際立たせる。明と暗、光と影、自戒と矜持、いつもその往還の中に熊沢語録を聴いている。それが心地よく、明日への力になるのだ。