三たびの東京オリムピック(1940~2020)

三たびの東京オリムピック(1940~2020)

1936年のオリムピックの公式記録映画『オリンピア』【第一部『民族の祭典』第二部『美の祭典』】(監督:レニ・リーフェンシュタール)は余りにも有名だ。ベネチア映画祭で金賞を受賞している。この女性監督は戦後「ナチのプロパガンダに協力した」と世界中から非難口撃を浴びた。

彼女は言っている。「あの頃、ドイツ人は誰もヒトラーのことを疑ってませんでした。ナチスの政権が始まってわずか1年600万人もいた失業者激減したんです。短期間に生活はすごく良くなりました。戦争がこれから始まるなんて、誰も考えていませんでした。あの当時、ナチスに反対する人なんていなかったんです。誰ひとりとして!」                                                                                 「私はナチ党員ではありませんでしたし、ユダヤ人迫害賛成したこともありません……。私が興味があったのは、美”だけでした……」                                                                                                                 敢えて「映画自体は素晴らしいものだった。それまでのスポーツ記録映画を一変させた」と語る、映画関係者は多く居る。                                                                                                                  ちなみに、ベルリン・オリムピック開会式を観た作家:武者小路実篤は「フランス人がナチス式の挨拶をした時、何となく涙ぐんだ。平和が感じられたからだ。」と語り、詩人:西條八十は「ナチス王国でのオリンピアードでは、全てが劇に始まり、劇に終わる。四十年の生涯において最も生き甲斐のあるものに感じた。」(『1930年代論』菊池昌典))と感激して打電報告している。                                                                                 河西三省アナウンサーの「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」で有名な実況放送もこの大会だ。レニ・リーフェンシュタール

 

東京オリムピック一回目。                                                                                                          ヒトラーとドイツの威信を賭けた第11回オリムピック(1936年)。                                                                                           次の1940年の第12回オリムピックはその規定により、決めるべきの開催5年前つまり前年(1935年)ロサンゼルスでの会議では決め切れなかったので、異例の繰り延べで、36年開催地ベルリンで遅れて選考投票が行なわれた。                                                                   東京・ローマ・ヘルシンキの最終候補地から、ローマが降りていて(日本がムッソリーニに直訴し降りてもらったと言われている)二都市での投票となり、加納治五郎氏の招致演説などもあり、東京36票:ヘルシンキ27票で東京と決まった。                                                                                                                        かくて、史上初の欧米外開催となる、はずであった。                                                                                                                     どのような時代、どのような世界情勢、どのような日本の思惑下か・・・。現代史の中で俯瞰したい。                                                                           このオリムピックは、日中戦争の本格化などから、外からは米英はじめ欧米の中国侵略を理由とした反対、内からは陸軍の「選手拠出あいならん」や競技候補地神宮外苑に内務省からの猛反対、各種団体から(諸外国からは承認されていない)「満州国選手団の正式参加」の強い要請など混迷を極め、1938年に入ると日中戦争の長期化が予想され鋼材など戦略資材逼迫を理由に陸軍大臣が反対を表明。各国からの「辞退勧告」を受ける形で、日本が「辞退返上」した。俗に言われる「幻のオリムピック」である。                                                          オリムピックを返上して造った戦艦大和の完成が1941年、幻の第12回東京オリムピックが1940年、学徒出陣式1943年。                                                                                                                                         オリムピック挽歌

 

東京オリムピック二回目。                                                                                     日中戦争・アジア侵略戦争・太平洋戦争に敗れた日本は、敗戦後アメリカ陣営の一員となり、朝鮮戦争による「特需」を決定的転換点として復興を果たした。                                                                                                                                          高度経済成長期の入口、先進国の仲間入り、米世界戦略の構成員。沖縄はなお米占領下であっても戦後は終ったと宣言したいのだった。                                                                                                                   前回第17回オリムピック(1960年)に立候補しローマに敗れた日本は、次の第18回にも立候補し、1959年ミュンヘンでのIOC総会で欧米三都市を破り開催地に選出された。                                                                                                                  東京34票:デトロイト10票:ウィーン9票:ブリュッセル5票であった。                                                                                                           奇しくも、この立候補時の首相は安倍現首相の祖父:岸信介である。                                                                                           東京タワー完成が1959年、安保闘争が1960年。第18回東京オリムピックが1964である。                                                                高度経済成長の60年代から、原発汚染の今日に至る、虚像の経済大国の半世紀が始まった。                                                                             (円谷幸吉選手の遺書: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%90%89 )

 

東京オリムピック三回目。                                                                                                            さて今回、スカイ・ツリーの完成年(2013年)に決まった、2020年第32回東京オリムピックはどのような構図の中に在るのだろうか?                                                                                             バブル崩壊、少子化・格差貧困社会、雇用と人権の無法状態、先行改憲状態から公式改憲へ・・・、福島原発事故、にもかかわらずの諸外国への原発売込、「集団的自衛権」なる戦争への直接参加、沖縄の軍事基地固定化・強化、近隣国との摩擦、アジア侵略と昭和の戦争の美化と本質忘却、教育・言論・学術・報道での「自省」欠如、ネオ・ナチ勢力の拡大、「改憲=戦後社会の根本解体」を目指す政権党の「昭和旧体制美化(美しい国)」「その日本を取り戻す」「日の丸・君が代強制」「労働法制後退」「団結権否認」「ヘイトスピーチ行動の野放し」「従軍慰安婦問題」「麻生ナチス発言」「自国史への自省を『自虐史観』と呼ぶ作られた世論」「敵基地先制攻撃論」等々、実質改憲社会。つまりは新たな戦前」時代の宣言なのだ。                                                                                             オリムピックは目くらましどころか、ある集大成への檜舞台だと為政者は構想している。

開催されようとするこのとき、「開催反対」だけをただ唱えるのではなく、諸外国から『辞退勧告』を引出し、オリムピック開催の前後を                                                    ① 脱原発の世界的ムーヴメントの期間として活用する                                                                                                          ② 福島-日本列島、日本近海~太平洋の現実をアピールする場とする                                                       ③ 集団的自衛権行使=米戦争への直接参加の非を訴える                                                                          ④ オリムピック景気(確かに建築業界などでは{少なくとも東京では})下で、労働者の売手市場を形成し、賃金ではなく諸権利を「取り戻す」べく、全国全労働者は団結したい。                                                                                                                  ⑤ 日本国憲法の世界性・普遍性と「新たな戦前」との明確な違いをクッキリと示す機会としたいところだ.

国家事業の裏面の、国家的思惑も、原発事故の実像も横へ置いて、オリムピック騒動に与する我ら国民は、80年前のベルリンに立っていた文士と何ら変わるところがない。

 

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