擬似達成感という魔物ゆえに、勤労者は口を噤むのだ

引退間際男の気付き

商業施設やオフィスの施工の現場管理という仕事柄、「誰が悪いのでもない」が、しかし「何かが不適切」であるに違いない、施工現場に付きものの「不都合」にしばしば(いや、ほぼ毎回)苛まれるのだ。某現場

今月の初旬から開始した某現場(某有名駅高速バス・ターミナル隣接の飲食店)は、たぶん「どこにでもある」不都合に遭遇して難渋した。                                                                                                                                   個々の事象は、時間さえあれば順次解決できる範囲の出来事であり、一々凹んだり切れたりしていたのでは現場管理は務まらず、そこを調整して切り抜けるのが、まぁ、云わば「仕事」であり、他に行き先とてない高齢者のぼくに、経営者0氏が「働く場」を提供してくれている理由ではある。                                                                                                                                     しかし、今回の「不都合」には、ややビビらされ、肝を冷やした。時間さえあれば・・・の、その時間がないのだ。                                                                                                                                                         お店のオープン前の「スタッフ・トレーニング」「試作調理開始日」から逆算して、工事終了=引渡日が設定されているのだが、約20日の工事期間では工期が不足し工事の最終段階での「バタバタ」「ごった返し」は前提ではあった。                                                                                                                                                              その上、そもそもの工事契約の遅れによる準備不足、図面の未定や「保留」箇所の多さによる工事の遅れ、入居施設事情で明渡し(工事開始)の遅れ、短い工期の更なる圧縮・施主意向情報の流れの錯綜、施主と設計者・営業担当者の間にある「勘違い」「思い違い」、などが連日発生した。                                                                                                                                                                                           だが、理由を知れば知るほど、事態の原因にはそれぞれ、施主・貸主ビル側・元請会社・営業担当者・設計者・下請たる我々それぞれに、「言い訳」ではない事情があり、誰かを悪者にして気を晴らすような手法ではコトは進まない。幸い、関係する全て人々がそのことをよく承知する「賢者」(ぼくを除く)だったので、各位の協力・援け合いで完成に辿り着いた。                                                                                                                                                                                                  工事が残っている中で、お店側の資材搬入・バイトスタッフの教育が始まったが、24日の最終日深夜にまぁ何とかなったのではある。(体力的には、正直おそらく限界だった)

思えば、それぞれの関係者は雇われ者つまり「勤労者」である。自身の失点を覆い隠す為ではなく、上からの評価を恐れてのものでもなく、たぶん、最後の「美酒」(?)を味わうが為に、早朝や深夜の作業に、あるいは「やり直し」に、口を噤んで動くのだ。その行動を支えているのは現場工事の、大げさに言えばある「美学」への執着だと思う。                                                                                                                                                                                                                 この擬似ではあってもある種の「達成感」に違いない地点に向かう心や態度や労力の、「出どころ」と「行き先」を、国家主義者や新自由主義者に手渡してはなるまい。だが、つくづく労働組合や左翼は、その回路を築いては来れなかったなぁ~と思う。ぼく自身がそうだった。現場からの引退時期が近付いて気づく「遅過ぎた気付き」のわたくしです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              同時に、その超階級的(?)な無欲の心情を掠め取って来たのが、国家であり、支配者であり、企業論理であり、宗教団体であり、時に(排他的)家庭であったと強く思う。そのことは畢竟、協働や連帯を標榜しながら達成感の「出どころ」と「行き先」に無理解または無関心だった「左翼」の、永遠の苦手課題でもありそうだ。実は、この「出どころ」「行き先」こそが、「労働の地」と労働の「方法論」を巡る一丁目一番地なのだが・・・。                                                                                                                          労働組合が一番強かった時、社会的影響力を最も保持していた時、賃上げ競争に汲々とし、いや、逆に言えば賃上げ実績によって人々を吸引しようとし、もちろん権利や福利や雇用を巡る「組合的」成果も挙げたのだが、この一丁目一番地については、21世紀型労働の前触れたる高度成長経済期以降の労働環境や労働内容の多様化の前で築く回路を持てなかった。一部で語られた「論」はと言うと、古い労働倫理だったり、奉仕論議だったり、硬直した赤色勤勉論だったと言えはしまいか。それ以外は、ほとんどが「物取り主義」だったのであり、いずれも一丁目でも一番地でもありはしない! 「イッポンをトリモロス」(某首相)より、本来の『労働の地』を「取り戻し」たい。                                                                                                                                                                                                          今、世はますます「労働の地」に足を着けて立つという、働くことの「方法論」から、隔たった業務に充ちている。どうすれば取り戻せるのかと熟慮しているうちに、21世紀社会は加速度を得て変化している。労働の地が泥土なのだ。                                                                                                                      例えば、施主の意向が、カラーの画像やスケッチとなって、瞬時にして遠方から工事現場に届くのだ。ぼくが、この仕事を始めた1970年代末、そうした資料を抱えて半日かけて足で運んだのだものだ・・・。IT企業の勝ち組起業者の勝ち誇った言辞にムカっ腹を立てているぼくらの遠吠えは、どうすれば有効なものとして生存できるのか、それともこのまま朽ち果てて行くのか・・・。

時代に即した立位置・立論・行動原理を・・・、とは言うが、何かを売り渡すことなく・何かを毀損することなく、それを実行するのは難しいことだ。                                                                                                                                                    幸か不幸か(たぶん幸いにして、だと思うが)ある種の現場性から遠くはない、ライトブルー・カラー(ホワイトカラーとブルーカラーの中間)の職種に従事してきたぼくの実感だ。熊沢誠の労働論・労働組合論が、いったい「何を言っているのか」について、労働現役最終盤に来て、ようやく解りかけているわたくしです。労働組合現役だったころ一体何を考え何を目指していたのやら……。

濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ     斉藤史

 

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