ぼやき: シンゾウ君とトヲル君が、 「美しい(?)」国柄の「価値観」を共有。

「維新の会」と安倍元首相。 

「維新の会」が安倍元首相との連携を進めるべく動いたとの新聞報道。維新の代表になってくれと言われたという情報まである。ご指名に預かった安倍氏の側も妙にはしゃいでいるそうだ。数年前の出来事(政権投げ出し)が恥ずかしくはないのかと言われながら、秋の自民党総裁選挙に立つそうで、維新との連携に進むのだそうだ。                                                                                                                                                          さっそく「あの政権プッツン投げ出しの{お坊っちゃま極右}はかえって好都合、日本の有権者はあの辞め方を簡単には忘れないよ。{美しく}共倒れしてくれるのではないか?」と楽観論が出ている。                                                                                                                                            そうだろうか? 日本の有権者は、簡単に忘れることにかけてはプロだよ。                                                                                                                                   元首相は、辞任(投げ出し)後半年ほどの段階で「ぼくの登場のタイミングが少し早かたようだ。美しい国の真意が理解される時が必ず来る。そのタイミングで再び起つために云々・・・」と周囲に捲土重来を誓って見せていたそうだ。地方行脚(?)を繰り返し、軟弱・お坊ちゃまを返上、パワーアップを図って「来るべき時」に備えて来たそうだ。尖閣・竹島・「従軍慰安婦問題」が浮上する「今」がそのタイミングだという訳か。                                                                                              「維新の会」となら「価値観を共有できる」「戦いにおける同志だ」そうだが、安倍元首相の再登場が、尖閣・竹島・「慰安婦問題」を巡る「国家主義的」世論(?)を背景にして「維新の会」の人気に乗って力を得るなら「楽観論」は通らない。手ごわいと思うし、その先への流れをつくるキッカケにしたい自民党右派の伝統的DNAが前面に登場だ。

「維新の会」は次期総選挙において、「みんなの党」「小沢新党」との連携は採らない一方、公明候補者が居る選挙区への立候補は見送るという。                                                                                                                                                                   最早明らかだろう、「維新の会」とは、議席を獲得するに最も有効なバーターを選択して公明には恩を売り、新自由主義的な経済・労働政策と、国家主義的な教育などの政策への公明の追随を担保し(すでに府政・市政で実行済)、自民右派との連立、さらには連合を考えていよう。安倍元首相が自民党総裁となるならば「維新の会」との連立ということだと思う。別の者が総裁となっても、自民内「価値観」共有派との共同歩調が始まるだろう。                                                                                                                            「維新の会」の目指すものとは結局、                                                                                                                                                             行政改革という名の 公務員叩き、職員基本条例、教育基本条例、福祉切捨て、労働者関連施設廃止、男女共生施策嫌いの施設と予算の縮減などが本音で、大阪都構想・道州制等見栄えする表向きの衣装に過ぎない政治と、                                                                                                                                                              「君が代条例」、従軍慰安婦問題などでの発言、集団的自衛権行使への見解、改憲論、近現代史学習館(扶桑社・育鵬社の教科書製作者を迎えて)の創設構想に明らかな国家主義に貫かれた思想なのだ。                                                                                                           歴史に照らせば、ン十年前ヨーロッパに登場したあの政党の亡霊のような動きではないか。                                                                                                                                        あの時も、既成保守政党の没主体的擦り寄りがその政党の権力奪取を助けたのだが、「維新の会」旋風は、橋下という絶好のタレントを得て、戦後自民党が果たそうとして果たせなかった、国家主義・民族主義・排外主義・反民主主義・改憲政権を、本格的に登場させようとする装置として尊重されるだろう。そこに「大阪ハシズム」の根深さと根本問題がある。 

国家が過剰に語られ、民族が声高に叫ばれ、近隣国への憎悪が組織され、人々が勝利(取敢えずスポーツだが)に熱狂し、外交姿勢を弱腰と糾弾する昨今(実に日露戦争直後1905年の世情に似ているではないか!)・・・、この国の国柄は、宮台真司・大塚英志の対談集『愚民社会』(太田出版、12年1月、¥1600)が言う通り「近代への努力を怠って来た」結果だろうとは思う。ヨーロッパの近現代は果てにナチス登場を許しホロコーストを生んだではないかと語って、近代の意味を否定する論にはぼくは与しない。                                                                                                                                                           ところで、国柄はこんなところに表れる。お茶の間経済ジャーナリストと自称してTVに登場する、萩原博子という一見「主婦の味方」「生活から政府を撃つ」風スタンスのオバチャンまで、悪乗りして「民主党の弱腰外交が、竹島・尖閣問題を悪化させた。知識があって弁が立つ人がやった方がいい」(9/2夕刊フジ)と語るのだ。ナショナリズム称揚とそれに基づく外交選択のお茶の間説得に一役買っても、当然それに動員されたとは自覚しはしない。                                                                                                                                        大同小異はあれ、現在マスメディアが垂れ流している情報に大差はない。竹島・尖閣に怒らないのは「非国民」だと言い始めかねない論調に溢れている。石原慎太郎は「野田政権は日本人の政府ではない」と吠えている。お隣韓国では、竹島(孤島)への見解を問われ言葉を濁したKARAが、猛烈なバッシングに晒されている。

近代への努力を怠る、近代そのものの否認、近代の胎動を経ずして経済大国化、等等・・・・そのいずれであれ、ヨーロッパ的近代体験からは隔たって在って、21世紀に至ってしまっている中露日韓。                                                                                               中・露・日・韓による領土問題は、どちらに正当性が有ろうが無かろうが、いずれかのナショナリズムに立脚した論からは、決して答えに行き着きはしない。                                                                                               領土問題という超難問の中で、東アジア総体の「近代への努力」を、試す・行なう・挑む、その構えをまず確立したいものだ。                                                                                                                                                                         それができない限り、国内的には80年前のヨーロッパのあの政権の類似政権を許すことになる。                                                                                  東アジアへの顔、国内の民度、それはワンセットだ。

【蛇足】                                                                                       言いたくはないのですが、某市市長選に際してのぼくの言い分( http://www.yasumaroh.com/?p=14358 )を撤回する気はありません。むしろ、ますます危惧した状況へと事態は動いているようです。あそこで「維新」の勢いを削ぐことは有効だったと思う。                                                                                                              いずれにせよ、「自民党の伝統的右派DNA+維新」との総力戦が始まるのだと思う。                                                             孫にハシズム社会を遺したくはない! 

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        、 

 

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