-現実とヴァーチャルの間(はざま)で-  友人Aの40年

事件から40年、 あるシンポジウムに参加して

40年前1972年、世間を震撼させた事件があった。そこに至る経過や事情は長くなるので省略する。60年安保闘争時の全学連主流派(いわゆる安保BUND)以降の歴史をここで述べる知識も資料も時間も力もないので・・・・・。                                                                                                                                                                                                                                                                  後年「あの事件によって若者の政治離れ、闘い離れが加速した」と言われた某事件だ。籠城・銃撃戦はTV中継され日本中を釘付けにした。若者を「離れ」させたと言われるのは、銃撃戦のあと明らかになった山岳ベースでの「仲間殺し」によってである。誰も皆、我が耳と目を疑い「そんなはずは・・・」と絶句したのだ。                                                                                                                                              5月13日、目黒区民センターで、事件の当事者(生残り、従って加害の実行者でもある)たち。事件を起こしたのは、二つの異質な組織が合流して成った新党だが、その一方の組織の創設者=初代議長(合流時獄中)、この事件に発言してきた表現者・識者、そんな面々をパネリストにシンポジウムがあるという。合流前の、そのパネリストの元議長の組織に一時期関ったという、友人Aと会場へ向かった。                                                                                                                                                           400弱の席は六~七部の入り。金廣志氏の名司会もあり、切り口を変えての五時間強に及ぶロングシンポだった。                                                                                                                                                                  ぼくの関心は、もちろん「前段階武装蜂起」や「先進国に於ける継続的な武装闘争」「山岳ベース方式」の当否、出自や思考スタイルの違う組織の合流=新党という無理の実際、中心メンバーの資質・性格・欠陥に事態の因を求める類の謎解き、そもそもそうやって作り出す社会の姿は?・・・、                                                               などには無い。                                                                                                                                                                            40年というぼくの時間の中で、それらの設問とは別のところで、ぼくはぼくなりに事件を考えて来た。                                                                             権力・国家の「論」が過剰に語られるわりに、「社会論」は手薄だったし、こちら自身がそれらの設問には答える知恵も知識も経験もなく、やがて現実の仕事や生活、多少は関った労働現場の「闘い(?)」を通じて自分なりの「気付き」や「見定め」を苦く得て来たはずだ。                                                                                                                                                                                                                            山本直樹による劇画『レッド』(講談社、現在第6巻)が、2010年文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞したという。ビックリだ。文化庁に「何するねん」と異議を唱えたいのではなく、事件は確実に間違いなく「歴史化」され文字通り「劇画化」されつつあると思うのだ。ゲームソフト化されつつあると言えば極論に過ぎるが、ヴァーチャルな体験として若い読者に届いているかのようだ。パネラーの言によれば、『新撰組みたい、カッコいい』 『新撰組にも同志殺しがあったよね』 などと登場人物の誰彼を土方・沖田・他隊士に擬えての「ファン」まで存在するのだそうだ。                                                                                                                                                                                                                               劇画『レッド』は、事件を克明に追っているのだそうだが、発言者から、社会はこの劇画に賞を与える程、余裕をもって成熟しているのか、あるいはあの事件は劇画のモデルほどの意味合いだけは頂戴したということか、と皮肉自嘲発言があった。                                                                                                                  シンポのまとめも感想も書けそうに無いので、以下いくつか耳に残る発言を拾って報告に代えることとする。

☆                                                                                                        後年(すでに今が後年だ)、あの時代を逆照射する凍るような光源として語られ研究されるのは、たぶん「東アジア反日武装戦線」であり、集団性の病理と政治にまつわる暴力の暗部として刻印されるのは、                                                                                                                           「革共同両派間+革労協」の死者総数100名を越える「内ゲバ」であって、それらは陽が差す表には出て来ないし、ましてや当事者が実名顔出しで語ることなどないだろう。                                                                                            当事件の当事者は、その意味で立派と言うか、BUNDっぽいというか、壇上で懺悔せよと言いたいのではないが、何を抜け抜けと・・・に類する声も聞こえて来ように、そこを越えて「伝えよう」とする姿勢は認めたい。

☆                                                                                                      若松映画作品の数々の受賞や、山本氏の劇画の受賞によって市民権というか「表」の歴史物カルチュアにされてしまう危うさを思う。「表」ということは、市民社会に認知され、いわば文化の消費過程に組み入れられるということであり、消費される文化に相応しい重量が与えられるだろう。けれど実は、当事件というのは消費させてはならない種類の事件なのだ。                                                                                                             「武装」や「山岳ベース」という、市民社会からすれば「異端」であるはずのものが、映画や劇画それも賞を取るという「成果」を得て、逆に「市民社会」へと回収されて行く。そこに事件の「劇画化」、ゲームソフト化が深く進行してはいまいか? 若松映画のラストで当時未成年だったKが「(負の連鎖を断ち切る言動を行なう)勇気がなかったんだよぉ~」と叫ぶが(あれはフィクションだそうです)、観客はそれによって救われるというか、感情の落とし所を与えられる。闘う者の「善意」や「熱情」の片鱗を確認するのだ。だが、あの両組織(後の新党)のメンバーは間違いなく、当時の若者の一般値よりは揺るぐことないピュアな「善意」と、社会変革と自己精進への「熱情」や「無私」の精神を持っていたと言い得る。                                                                             『地獄への道は善意で敷き詰められている』(サミュエル・ジョンソン?)と言われるように、闘いにかかわる者にそれらは前提だ。にもかかわらず、ある病理の連鎖に至ったのだ。だから、救いようの無い読後感の落とし所など実は無いことを承知した上で、この事件を我が身に引き寄せて、誰もが考えて来たと思う。我が身には、社会性や共同性の回路を持つことなく対処できるはずもない仕事・労働・闘い・政治・他があり、そこは当事件から考えたテエマと重なる事柄・出来事に満ちている。個人生活でも、家庭・家族・夫婦・男女間にもまた、違う位相で事件と近似質の病理が陰を落としていたことを誰もが知っている。

☆                                                                                                                  オウムとは大いに違うのだが、似ていると思う。                                                                       当事者はかつてこう語っていた。「まずい、このままでは壊滅する」と感じながら「間違っている」「止めささなければ」と言えなかったのは、「この事態を受け止め、耐え、超えられないのは、自分が未熟であり不充分だからだ」と思っていたからだ、と。倒錯しているが、ある種の異形の「誠実」でさえあるのだから厄介だ。当時の私たちの男女関係にもそれがある。当時の(今も?)女性の多くが、男の理不尽な要求や横暴に遭って進退極まれば、事態の自己納得を確保するに、未熟でいたらない自分に非があるとする方法論を採用して生きたのだ。                                                                              この心理、思考停止・判断停止の構造はオウムと似ており、またもう一ついえることは相互性ということ。麻原と信者は互いに求められた姿に似せて自己を作って行くのである。事態は相互的なのだ。こうした集団・組織と個人の相互性に関して、よほどの自覚的理解を持たない限り、人はしばしばオウムなのだ。                                                                                                                      組織と運動に巣食うスターリニズムなどと簡単に言うが、スターリニズムを持ち出すまでもない。                                                                        ナチス、スターリニズム、軍国日本、戦争体制の構造と似てもいるのだ。日露戦争後のポーツマス講和への対応。                                                                                                                                                         国家予算の四倍を使い果たし財政破綻に加え、国際力学からも現実的対処に動いた政・軍に対し、国民と新聞の側が不満と怒りを表明したのだ。「極東ロシアの一部を分捕るまで下がるな」、と。 昭和軍国への道は、相互性の産物だ。

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同行した友人Aは、この合流組織=新党の片方の組織といささか関係があったのだが(だから元議長を見つめていたなぁ)、そのAが語った。                                                                                                          事件の「劇画化」と言うが、ひょっとしたら、もともと自分にとって、丸ごとひとつの「劇画」ではなかったか?                                      つまり、驚くような単語を使いながら、自分はその正確な意味を問うことを保留又は無視し、リアルな現実であって同時にフィクションのような、つまりは壮大な「ゲームソフト」の中に浮遊していたのではなかったか?                                                                             Aは、決して提唱者や組織が「ゲームソフト」の製作者だったと言ったのではない。自分にとっては、「ゲームソフト」的だったのではないかと言っているのだ。                                                                                                                              例えば、「武装」と言う。それは、どのようなことであり、人を殺傷することを前提に語っているのか? 例えば、「蜂起」と語る。それは・・・・・・                                                                                                   Aはまた口を噤んだ。 Aを正視できなかった。                                                                                                                          Aは初めて当時の己の理解そのものがヴァーチャルだったと言ったのだ。当時の自身の言動はゲームソフト上のことだったのか?と。40年以上の付き合いで初めてのことだった。                                                                                                                   Aは、自身と関係者、関りのあった組織を揶揄するためでなく、総撤退するためでなく、残された時間に今日の課題と自身に意味あるコミットをするために、そう言ったのだと思う。言い換えると、ぼくにそう明言するのにAは40年を要したのだ。

 本日5月15日は、沖縄県再発足の日(72年)。期せずして40年だ。沖縄の40年はヴァーチャルではないリアルな米軍基地支配の40年だ。普天間の辺野古への移転など現実的ではないと米までもが言う中、民主党政権は辺野古を言い張る。                                                                                                                    民主党政権は大飯原発の再稼動に向けギアチェンジに入った。福島第一原発事故の収束はまだだ。震災津波を含め被災地の復旧は遠い。自民党は憲法改正草案を出した。元大阪府知事:橋下大阪市長の競争と統制の強権政治は「数値化し競争させる」と要約できる公務員叩き・教育解体を推し進めている。「ハジズム+近似勢力の集合」or「民主+自民の連立」、その二者択一という最悪の選択になどならぬよう、何をなすべきなのか、何ができるのか・・・・、

友人Bが、昨秋から宮城県の震災津波の被災地に月に一度一週間、ボランティア活動に出向き始めた。家屋に流入した汚泥・ゴミ、道路・河川に散乱する瓦礫、その撤去と整理だ。Bも又、Aとは違う混迷を経て、本籍地(所属団体)を離れて久しい。東北の被災地で若い人に出会い触発され、変わって行く己を自覚的に捉えることが出来る関係を綴った、気恥ずかしくも瑞々しいストレートな言葉に触れたことがある。                                                                       そのストレートさを誰かが揶揄していたが、ぼくはそこに数十年のBの左翼体験(所属した団体の解体、事情で指弾を受けた蹉跌、追われる様に去った運動体)への自省的な想いのほとばしりを嗅ぎ取り、Bが東北被災地での出会いと行動から得たものを語る心情を不快感なく受け止めている。                                                                                                                                      一方、組織や指導者、綱領や方針ではなく、自分自身の理解・対処が「ゲームソフト」的であったと語ったA。現代ゲーム世代若者を嘲笑いはできない、自分がその先駆けやと苦笑したA。                                                                         ぼくにとって、AもBも得難い友人なのだ。彼らは、何かを辞めたのか? 変わったのか? 放棄したのか?                                              そうではなく、「遅すぎた表明」であれ、 そこには自分の言葉と歴史がある。これからも刺激を受け合う、友でありたい。

 

【事件との関係文献】                                                                                                             {当事者の回想録・書簡集・歌集など}                                                                                                                       植垣康博、坂口弘、永田洋子、大槻節子、加藤倫教、坂東国男、森恒夫、吉野正邦 らによる多数の出版物。                                                                {出版社の特集など}                                                                                                                              『情況』 『朝日ジャーナル』 『月刊現代』 『序章』 『流動』 『別冊宝島』 『文芸春秋』 『インパクション』 『マルコポーロ』 他                                                                                 {学者・文人言説、映画}                                                                                 上野千鶴子『連合赤軍とフェミニズム』、 小熊英二『1968【下】16章』、 柄谷行人『意味という病』、 大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍』                                                                                                                大江健三郎『連合赤軍事件とドストエフスキー経験』(壊れものとしての人間)、金時鐘(『新文学』72年5月号の文章)、別役実『連合赤軍の神話』、                                                                                                        寺山修司『「連合赤軍」をこう思う』(深沢七郎との対談)、  立松和平『光の雨』、 平岡正明『連合赤軍 革命は魔道である』、                                                                                                                 小嵐九八郎『蜂起には至らず・新左翼死人列伝』、 保坂正康『悲しきテロリスト・坂口弘』、 塩見孝也『赤軍派始末記・元議長が語る40年』                                                                                                                       映画: 高橋伴明『光の雨』、 原田真人『突入せよ!「あさま山荘」事件』、 若松孝二『実録・連合赤軍』                                                                                                                      劇画: 山本直樹『レッド』、                                                                                            詩・音楽: 鮎川信夫:詩『MyUnitedRedArmy』、友部正人『乾杯!』(セカンドアルバム『にんじん』に収録)

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