連載 69: 『じねん 傘寿の祭り』  七、 しらゆり (5)

七、 しらゆり⑤

ギャラリーじねんに着くとヒロちゃんが居て驚いた。昨日休みだったヒロちゃんは、昨日中にフェリーで本島に来ていたのだった。弟が訪ねて来たらしい。大空は仕事上の急用で来れないという。黒川がそう言った。                                                                                                         ヒロちゃんは黒川の指示で梱包を解いていた。物によっては大きくて木組み梱包されている。開梱作業は楽ではない。黒川が汗掻いてバールを使ってこじ開けているが、どうにも危なっかしい。ヒロちゃんが、中のエアーパッキンに包まれた品物を丁寧に出している。裕一郎の出番だ。                                                                                                                              「おはよう、早くから始めたんですね」と言ったが、ヒロちゃんは睨み返して無言だ。                                                                                                                                                  黒川が「朝帰りかい? ぼくの予感は的中だな。」と笑ったが、ヒロちゃんの表情はさらに強張っている。その場の空気に気圧されて何か言い返すこともできずに亜希に目をやると、亜希は平然としていた。                                                                                                                                  「昨夜、沖縄に来ている大阪時代の部下たちに会ってたんです。北嶋さんと共通の知人なんでご一緒に・・・朝まで・・・。ちょっと呑み過ぎました」                                                                                                                             「そうかい、まっ手伝ってくれたまえ」                                                                                                                                                        ヒロちゃんは変わらず憮然としている。                                                                                                                                                        亜希が黒川に尋ねながら陳列にかかり、裕一郎は開梱作業を始めた。亜希の方へ行って大皿の配置を指示している黒川を見やって、ヒロちゃんが小さな声で口を開いた。                                                                                                                                           「北嶋さん、わたしも国際通りで呑んでたんよ。そしたら雨が降り出した頃、北嶋さんと亜希さん見かけたよ」                                                                                                                                  「そう。偶然やな。見かけたのなら声かけてくれたら良かったのに」                                                                                                                                                                「よう言うよ。北嶋さんデレーっとしてて邪魔せんといてくれ臭振り撒いてたもん。雨の中、店のテントの下でカップルやったでぇ」                                                                                                                                                「いやー、大阪の連中朝が早いからと引上げたんで、松下さんと二人で呑み直したんや」                                                                                                                                    「ほら、みんなで呑んだんとちゃうやん」                                                                                                                                                            気が付くと隣に黒川が立っていてまずいと思った。黒川とヒロちゃんのバトルになるのか・・・。と、やはり黒川が言い出した。                                                                                                                                                                            「ヒロくん、つまり君は二人がそういう関係だと言いたいんだね」                                                                                                                                                               「そんなこと言うてませ~ん。わたしは北嶋さんが嬉しそうやったと言うてるだけや。大体、そういう関係って何やねん?」                                                                                                                                    「あのね。男がいる、ある女が気になっている。人柄や内面もそうだが、言動や外面も好きだ。女がいる、その男と同じような気持ちで居る。それがそういう関係の入口だ」                                                                                                          「はあ? なんやねん、ジイさんの恋愛論かいな。入口を入ったらどこ?」                                                                                                                                               「そりゃセックスを含む男女の関係だろうね。その先へはこの人以外ではダメなんだという、人に説明できない感情?執着?こだわり?、それが必要だがね」                                                                                                   「元奥さんはそれなん? だったらなんで別れたんよ」                                                                                                   「出て行ったのはあいつだ、ぼくじゃない。本人に訊いてくれ!」                                                                                                                                                                   大皿を設置している亜希は聞かぬ振りをしていたが、聞いていたに違いない。黒川が会話に使った「そういう関係」というのは、昨夜、いや明け方聞いた単語だ。

 朝方バーを出ると、上がりかけた雨が霧のようになって細くかすかに降っていた。店の前から少し離れた角に在る、ゆっくり点滅する看板の下で亜希を引き寄せ、背に腕を回した。顔を寄せる裕一郎に、亜希が小さく「あッ」と声を発し、そして「北嶋さん、私たち・・・」と言いかけたと思う。続きを言おうとするそのくちびるを唇で塞いでいた。夢のシーンを再現しているような浮遊感に泳いだまま、亜希を支え抱えるようにして歩いた。二人は無言だった。                                                                                                                                                         目的の建物の前まで来たところで亜希が言った。                                                                                                                                         「北嶋さん、私たちはそういう関係ではないですよね」                                                                                                                                即答する気は無かったのに、「・・・。そうやな、違うと思う」と答えた。                                                                                                                                                                                                                                               一呼吸置いて、亜希が返そうとする。その間合いが永く思えた。裕一郎もその僅かの時間に多くのことを考えたのだ。「いや、そういう関係にしよう」と言えばどうなのか。あるいは無言で強引に入って行こうとすればどうなんだ、と。言葉を呑んで発するに至らない亜希の向こうに高志を見たのだ。いや高志ではなく、増幅して言えば男との関係を掴みあぐねて立ち尽くす魂を見たのだ。亜希が返した。                                                                                                       「私もそう思います」                                                                                                                                                                                         肩に回していた腕を放し、ホテルの前からUターンしたのだ。放した腕がネオンに照らされて赤くなったり青くなったりしていて滑稽だった。                                                                                                      並んで歩いた。霧状の夜がゆっくりと明けて行く。                                                                                                                    「私、大胆に恥かしさを棄てて言いますよ」                                                                                                                                                                    「ええよ、言うてみて」                                                                                                                                              「北嶋さんが、永く独りで暮していて女の人を欲しいと思う時があるように、私だって好意を抱く男に強く抱きしめられたいと思ったり、男の肌の温もりを恋しく思ったりする生々しい人間です。私もう三十ですよ。・・・ああ、こんなこと言えなかったのに北嶋さんには言えるんです。」                                                                                                                         「聞かせてもらいますよ」                                                                                                      「今ここで北嶋さんにもたれては、知る人の無い沖縄へ独り来た意味が崩れると言うか・・・」

 我に返ると、黒川とヒロちゃんが笑っていた。亜希も一緒に会話に入ったのか笑っている。                                                                                                          どういう会話が交わされたのか、聞きそびれた。聞いてみたい。                                                                                                                     店頭と店内にはオープン祝いの花が、奮発したのだろう比嘉からの豪華なものをはじめいくつもある。亜希がその花たちを配置した。いくつかは、黒川の指示で巧みに商品を活用してある。花と商品を同時に活かすわけか。その中で、花の一時的な勢いに負けるはずのない大皿がひと際力強い。                                                                                                                   黒川宅にあったのを持ち込んだ衝立の裏に配置した事務机に、新聞が読みかけ状態で置いてあった。 手に取ると文化面にギャラリーじねんが出ていた。黒川が寄って来て「まあまあの記事ではあるな」と黒川流の比嘉への感謝を表現する。こき下ろさないのが最大の評価であり感謝なのだ。記事は、店内を背景に黒川が写っているカラー写真付きのもので、取材の時に聞かされたコピーのままだった。「陶芸を通じた、沖縄とヤマトの交流、相互発信の砦」と見出しがあり、紹介記事は「大いに期待される」と結んであった。新聞で見る黒川は一段と学者っぽく絵になるから不思議だ。 

                                                                                                                                                                                                        

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