連載 50: 『じねん 傘寿の祭り』  五、 キムパ (6)

五、キムパ ⑥

「黒川さん、あの辺りにギャラリーは向きませんよ。永く地元で実績を積んだんじゃないし、もっと行き易い便利な場所じゃないと黒川さんのお客は来ませんよ」                                                                                                                                                               「だから国際通りと言ったんだ。何を今さら・・・。まあいい、あそこは候補の一つに過ぎん。決めたんじゃない。候補を言っただけでギャーギャー反論するんじゃないよ、みっともない」                                                                                                      大空は、知念太陽の工房に居たころから黒川話法を知っているのだろう、黒川の語り口調に驚きもせず淡々としている。物件探しを手伝おうと言ってくれた。ウチナンチュは心が広い。                                                                           「ぼくに二・三心当たりがあります。ちょっと連絡してみましょうね。変身し易いのを探しましょうね。一週間待って」

子供会の六名様の体験工房が始まる時刻が近い。ヒロちゃんと亜希の担当だそうだ。店には洋子さんだ。テラスに男三人が残った。黒川が又訊いた。                                                                                                                                「大空君、辞めたスタッフとの行き違いって何かね?」                                                                                                    「そうですねえ、ま、食って行く現実と創造性への幼い思い入れのようなことですか・・・。」                                                                               創作への想いがある者が、日々卸し用のシーサーやアクセサリーを作っていたのでは、極端に言えば内職だ。もちろん、合間を縫って彼らは自分の「創作」にも取組んでいた。ただ、ときどき売れそうにない作品を作っては客先の店へ持たせようとする。製作の労力と時間に見合う価格を付けるよう要求するのだが、とても観光客が出せる価格じゃないし、客観的に観ても相応しい価格じゃない。勤務時間外に作るのはいい、場所も素材も提供しよう。けれど、あんな価格を付けてとても売れるものじゃない、と。そこから、作品なのか商品なのかという根本命題とか、そもそも量産することへの違和感とかに発展しました。

ここは、沖縄の手作り工房。それ以上でもそれ以下でもない。人を雇ってやっている以上、売れるものを作って売るしかない。作家になるのならこの店と工房、開いてませんよ。ぼく自身いつまで続けられるか自信ありません。ガラス工房に進みたいという男には、知人の工房を紹介し、陶芸をやりたいと言う男には伯父の一番弟子の愛沢さんを紹介しました。                                                                                                                                                                    黒川は、こういう言いにくいことを言わせる強引さを信条に生きてきたのだろう。                                                                                                                              ここの物は大空自身がいう通り、また見た通り、土産物・手作り作品・沖縄実感品なのだろう。二人の青年がいわば欲求不満を募らせ言った、商品なのか作品なのか?なんて論争は百年早いにしても、世の例えば映画やアニメでも、小説でも、ひょっとしたら学者の科学書でさえ、商品か作品か、つまり「売れる=観せたい、読んで欲しい」と「受手に関係なくおれの作品だ」というジレンマの中を遊泳しているのだ。もし、辞めた若者が受手に「届けたい」物を創っていたいと心底に想うなら、ここの量産内職工場を出て、己の道を歩んで当然なのだ。だが、大空の現在の態勢下にそれを求めるのは酷というものだ。                                                                                                                            黒川はじっと腕組みして、何やら次の言葉を探っている様子だ。

「君が伯父太陽から離れたのは、太陽ペンダント・太陽Tシャツの量産を巡る諍いだったね。君は、高名な太陽がブランド力でその種のものを大量生産することに怒っていた。」                                                                                       「ぼくも若かったですし・・・。それに今、ぼくがどこにでもある土産物を大量ではないけど、せっせと中量生産してるんですから」                                                                                                                                                                         「土産物屋と名乗って作っているのはそれはそれで商人の道だよ。太陽がついでに描いたイラストを土産物商品のように大量生産するのとは意味が違う。タレント・グッズじゃあないか」                                                                                       「いや伯父太陽も多くのスタッフを抱える工房になって、その維持の為の苦肉の策だったと思うのです。ぼくも言いすぎたと思ってます」                                                                                       大空は、想うところあってなのだろう、ここで琉球ガラスの話を語り始めた。聞いていると、商品と作品、伝統技術と大規模機械化、手作りと量産・・・を超えて沖縄というものの根幹に繋がるような気がした。

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