連載 34: 『じねん 傘寿の祭り』  四、 じゆうポン酢 (1)

四、じゆうポン酢 ①

 フレンチ・トーストに満足したユウくんを送り出し、黒いサマー・ブレザーを着てネクタイを締め、オバサンの「食堂」で美味いコーヒーを飲んで気合を入れた。                                                                                                                                                                          黒川と国際通りのビルへ向かった。離れた途中のファミレスに黒川を降ろし待機してもらうことにした。                                                                                                                                                                        「裕一郎くん、手付け金は必ず取り戻すんだぞ。いいか、怯むんじゃない。」                                                                                                                                                  主客転倒とはこのことだ。「怯むんじゃない」ってか? 何を言っているのだ、このジジイは! 昨日の比嘉の助言に力を得てか、取り戻したい・取り戻せる・取り戻せないなら役者が悪い・・・、と変則三段論法を駆使しての司令官殿に変身だ。「やってみましょう。頑張ってきます」とは言ったものの、沖縄びとを騙すようで後ろめたい気分は拭えなかった。                                                                                                                   「黒川さん、携帯ONにしておいて下さいよ」                                                                                                                                「どうしてだ? ぼくを呼び出すんじゃないぞ! ぼくは昨日から緊急入院なんだから」                                                                                                                                                     「携帯電話はいつもONでしょうが・・・。確認してるんです」                                                                                                                              「ONにしてるよ。ぼくは、どうして確認するのかと訊いているんだ」                                                                                                                                           「長くなりそうだったらお知らせしようと思って・・・」                                                                                                                                                                         「大丈夫だよ。行ってきたまえ。」                                                                                                                                            自分には経験はないが、運動会の朝、玄関口で「仕事で行けんが、頑張って来いよ」と父親に励まされ出かける子の気分になるから不思議だ。この変身を黒川マジックと命名した。この先さらに大技の変身に会わせていただげるというわけだ・・・。

事務所には、昨日の担当者とその上司が居た。                                                                                                                                                                  「昨日は大変失礼しました。申し遅れましたが、黒川の秘書のような仕事をしております北嶋と申します」と朝から緊急に作った名刺を出した。「ギャラリーじねん、大阪連絡事務所」と印刷されている。                                                                                                                     黒川が自身の容態を顧みず、永年の夢だからと独断専行し、周りの者が止める間もなくて・・・。下見だと思って昨日来てみると、すでに契約しており手付金の支払い。驚きました。実は、黒川はあの後即ニトロを服用し自宅に戻り、掛かり付け医に来てもらい安静にしております。今日一日様子を見て、場合により入院です。永く狭心症で、いつ起きるか分からない発作にニトロは手放せません。                                                                                                                                                                                                      狭心症・ニトロ、これは、事実だ。常時携帯している。                                                                                                                                                                                             「で、ギャラリー店舗は無理だ諦めるようにと、皆が言ってたのですが・・・。」                                                                                                                                                                             「そうでしたか、いや昨日担当者からドクター・ストップのようだと聞きましたし、どうなるかなと思っていました。そうですね・・・、ちょっとお待ち下さい。」                                                                                                                                                    「いえ、手付金は諦めてでも中止するしかないかなと思っていますし」                                                                                                                                      「ちょっと待ってて。」                                                                                                                                                                                                                                             上司は奥の部屋に消えた。しばらくして上司は恰幅のいい男を連れて出て来た。男は昨日比嘉から聞いた大城だと分かったが、名刺を交換すると専務ではなく社長だった。年齢から言えば当然だろう。比嘉の中では今も専務なのだろう。古い友とはそうしたものだ。                                                                                                                                                                           お困りでしょう。契約は白紙ですな。ただ、契約前ならいいのですが、すでに契約捺印されていて、仮に手付金と呼ぶ金銭の性格も契約書に「保証金の一部に充当する」「貸主からの解除は倍返し、借主からの解除は放棄」と書かれています。そこはお分かりですよね。                                                                                                                          「もちろん・・・分かります。」                                                                                                                                                                        黒川とその家族にとって、一〇万円がいかに大金かを言って泣きつくしかないか・・・。                                                                                                                                            「大阪連絡事務所とありますが、これは・・・?」                                                                                                                                                                                              「いえ、黒川氏は大阪でギャラリーされていたんです。去年秋沖縄に移られて、これまで自宅でなさってたんですが、念願の常設ギャラーをと探しておられたんです。大阪に色々残務がございまして、私はその処理をしております。」                                                                                                                                                               「で、那覇には?」                                                                                                                                                     「常設ギャラリー開設のサポート役で・・・。黒川は、身体のことがあっていささか焦って、体調のいい時期に一気にと思ったようです。黒川も残念でしょうが、ここはしばらく様子を見るしかありません。」                                                                                                                                                                                       同情を買うのではなく、手付金を返してもらいたいと言うわけでなく、もちろん黒川が契約内容をよく把握せず契約したことには触れず、精一杯、ひたすら健康問題と残念だとの思いを語った。                                                                                                                                                                                                            比嘉の高校期の同窓生だということなのでジャブを入れた。                                                                                                                                                   「黒川氏は、大阪のギャラリーでは比嘉真さんの作品を扱ってたんですよ。扱ってたと言うか、比嘉さんにとって大阪では長くギャラリーじねんが唯一の世の中への発信場所でした。」                                                                                                        大城の目の色が変わった。 

 

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