連載⑨: 『じねん 傘寿の祭り』  一、 チヂミ (5)

一、チヂミ ⑤

「どんな理由で?」                                                                                            「もう使命は終った。ここから先は経営に明確な価値を見出す経営者の哲学を持っているか、さもなくば労働組合の自主経営らしい違う働き方を構想し実践する思想を持つか、いずれかだ。そうでないとそれはケッタクソの延長だ、そのいずれも持ち得ていない以上解散しようと。」                                                                               「う~ん、難しいなぁ。で、労働組合はどうしたの?」                                                                「高志は脱退して、独り他所へ行った。昔と同じように、散って闘う労働組合をいくつも作るんだと青いことを言ってたな。残った者七人で会社運営を続けたよ」                                                                                                                  「それが、三年前に潰れた北嶋社長の会社、株式会社ワイ・トラップということですね?」                                                                                                                                         「そういうことや。その会社を二〇年強続けたが、経営者がぼくではアカンよな」                                                                                                                             「その社名は吉田さんが居た頃からなの・・・? 社名の意味は?」                                                                                                                                                         「高志の命名や。最初に支援してくれた会社の名の一部をもらったと聞いたけど・・・、社名は変更していない、引き継いだよ。」                                                                                    「ふ~ん。で、専務吉田高志の紹介でうちの下請けのノザキへ・・・」                                                                                                     「そういうこと」                                                                                                                                       「あの人は、散っていくつも組合作ると言ってたプランを実際にしたの?」                                                                                                      「もちろん挑んだようやけど、一社目で一敗地にまみれ、あとは転々としたと聞いている。去るも地獄、残るも地獄と言うやろう。知ってるように、実際、派遣・請負・有期契約・パート、雇用の形が変えられ零細企業や下請けや非正規雇用の無権利状態のところにこそ組合は必要なんや。今はもっとそうや。」                                                                                                                                                                               「それを自己防衛から放置したのが日本の大手労働組合だとテレビで観ました。事態はその組合自身にも跳ね返って来ている、と」                                                                                                                              「そうやな・・・。やがて、高志は、昔の取引先でもあるおたくの社長に呼ばれ専務稼業や。ぼくはぼくで、素人経営の辛酸を舐めた挙句、全てパア」

二つのエピソードを聞き終わり、生ビールをまた注文してググイッと飲み、チヂミを一片食べ、亜希は改まったように真顔で言った。                                                                                                                                          「北嶋さん、ありがとう。吉田高志という男の、知らなかった話も聞けました。高卒で工場へ行ったなんて知りませんでした。卒業を非難されたことへの意地の返答なんですか?」                                                                                                                                                              「それは違うよ。意地でそんなことして何になる? 吉田に訊いたことがある。卒業を非難した人々の卒業をどう思うてると」                                                                                                                                 高志はどんな風に言ったのだったか。語り口調は思い出せないが、その趣旨は憶えている。                                                                                                   当時は今のように就職浪人や卒業後フリーターという状況ではなかった。その気さえあれば就職は出来たと思う。右肩上がり社会だった。卒業しないのも、卒業して高卒と詐称して工場へ行くのも、そういう70年代初頭の状況で可能な「贅沢な」選択のひとつだったんだ、と今の学生に言われたら、俺は「その通りや」と頷くよ。                                                                                                                                                  自分の卒業を非難した人の多くがやがて卒業し、学生当時の言葉と行動からも「卒業」して行ったことは事実だ。                                                                                                                   けれど、人々が、その卒業が生きて行く為に必要な条件の一つであるような現実を生きながら、なお「卒業」しない事柄を抱えて生きる限り、そして俺たちが、何事からも「卒業」しないような「愚かさ」からは「卒業」すべきだと自戒する限り、そこに軽重は無く、それぞれの数十年はいわば「等価」だ。例えば、お前と俺なら、どうであれそれぞれの理由で、仲間を離散させ仕事や職場を破綻させたのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         「あ~ぁ、も~うぉ。団塊オヤジがカッコ付けて。で、あなた方はいつ卒業するの? そんな風な一見冷静で思想的で文学的に聞こえる対応を、女とのことや家族には出来てないじゃないの。身勝手、優柔不断、建前、外づら、コソ泥、関係もドロドロ。男相手には無理して、一種の偽善です。」                                                                                               「・・・・・・・」                                                                                                          「どうしようかな・・・。奥さんに逢おうかな? どう思う? 北嶋さんの意見は?」                                                                                                                                                                    「ぼくの意見と言うてもなぁ~・・・。もう結論出てるんでしょう?松下さんの中で・・・。それに、こうして男に言うのはちょっとどうかな、ぼくだって家族から斬られた身なんやし、参考意見なんか言えんよ。男やなくて女友達に聞いてもろたら?」                                                                                                                                        「女ねえ、居ませんよ話す相手。あの人と同世代のそれも男に聞きたいんです、あの世代の男は女々しいから・・・失礼・・・。女ならあの人の奥さんかな、話し合えそうに思う・・・。けど、こういう関係では無理だし」                                                                                                                       高志の妻玲子が「逢おう」と言って来ている。逢ってもいいが、逢えば自分なりの言い分を展開するだろう。妻を傷付けるのもどうなのか? だから、もう捨て置け!という気分。高志が成り行きを自分で決めたらいいんだ。私に振るのはいただけない。そんなことだった。                                                                                                                             「会社はどうするの? 難しいよな」                                                                                                                         「なんで私が辞めなきゃならないんですか?」                                                                                                                                            「いや、辞めるべきとは言うてない。居り辛いやろうと・・・」                                                                                       「だから、それはあの人も同じでしょ。私が辞めるってことを前提にするのって、北嶋さんらしくないよ。あ~ぁ、ガッカリだわ。こらっ! 団塊オヤジ!おいぼれ全共闘!」

亜希は酔っていた。専務の永く古い友人とはいえ、そして六十前とはいえ、仮独り身の男の俺に気を許すな! 俺は貴女の輝きを視て来たんですよ。貴女の得がたい個性に魅かれて来たんですよ。崩れないでくれ・・・、裕一郎はそう思って、声を掛けた。                                                                                                                                   「こういうことも、ひとつのキャリアかもしれんな」                                                                                                         「キャリア?」                                                                                                                                             「いや、違うけどそんな面もあるかも、と。人生のキャリアと思えたらな、と」                                                                                                                    「何がキャリアなもんですか。仕事みたいに行きませんもん。」                                                                                                     「それはそうやけど、だから、思えたらな、や」                                                                      「母親の轍は踏むまいと思って来たんです。今、進退窮まっている自分が情けなくて、それが悔しくて・・・」                                                                                                                                  「・・・・・・」                                                                                                         「憶えていますよ、北嶋さんが失敗の数がキャリアだって言ってくれたの・・・。」                                                                                      「ぼくも憶えている。思い出しても恥ずかしい。」 

                                                                                                                                                     

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