Archive for 12月, 2009

たそがれ映画談義: 増村保造の逆説 西欧・近代的自我・明治・土着

『清作の妻』 (1965年、大映)  監督:増村保造  シナリオ:新藤兼人  出演:若尾文子、田村高廣。

清作の妻②清作の妻(縮小)

【DVD紹介コピーより】 舞台は、日露戦争時代の貧しい農村。やっとつかんだ女の幸せを戦場が奪い去ろうとする・・・愛する夫・清作を戦争にやるまいと、妻・お兼は恐ろしい行動に出る・・・。 妻はふるえる手で夫の目を狙った! 戦争という状況の中で、愛する夫のために闘う女の凄まじさと、その凄まじさの中にある美しさを描き出す。

 増村保造(60年『偽大学生』、66年『刺青』、67年『華岡青洲の妻』、76年『大地の子守唄』、78年『曽根崎心中』)のファンは、必ずこの作品を外さない。ぼくは、『曽根崎心中』(78年)のお初(梶芽衣子)にビックリ!確か、梶は各種映画賞を取ったはずだ。 ウィキペディアの増村紹介文はこうだ。「生涯で残した全57本の作品は、強烈な自我を持ち、愛憎のためなら死をも厭わない個人主義=ヨーロッパ的人間観に貫かれている。モダンで大胆な演出により、これまでにない新しい日本映画を創出した。」  なるほど・・・、この映画なんか往年のジャンヌ・モローとジャン・ルイ・トランツィニアン主演で、フランスの田舎町を舞台にして作れば・・・と真剣に思う。

  日本的呪縛からの日本的とされている「おんな」による大胆な脱出の迷路。若い日には、そのヨーロッパ的人間観と言われる増村モダンと、明治日本の土着パッションが交差する逆説的地図が読めなかった。  劇画『「坊ちゃん」の時代』(文:関川夏央、画:谷口ジロー、双葉社)が、ぼくにも解るように描いてくれた「明治人の格闘」に、そこの重なりが少しは見えて来てこの映画のファンになった。

 妻が対峙しているのは、明治の村の目の前の封建・黙契・土着なのだが、作者とヒロインの立ち位置はハッキリ国家・天皇睦仁に真向かっている。

ほろ酔い通信録: 忙閑さまざま 某・忘年会

忙・閑を越えて集まった「K大校友連絡会」 http://www1.kcn.ne.jp/~ritsu/index.html のみな様:12日夜はどうも・・・

1969年 K大闘争69年関大キャンパス全学集会1969 関大キャンパス

我らの側から「戦後政治の総決算を」と言いたいなぁ

 2007年の初め、                                         拙作(http://www.atworx.co.jp/works/pub/19.html)の        出版記念会でS氏が宣言した。                                      「新自由主義の名の下進む 規制緩和という名の野放し儲け主義・弱肉強食・勝組負組などという選別・排除の小泉構造改革は、安倍内閣の今では『美しい国』という愛国標語までぶら下げて、大手を振って進んでいる。このままでは、1・2年のうちにこの国は大変なところに行き着くだろう。全共闘世代が世代の責任として、自らの全共闘的明暗・新左翼的正負の遺産を見つめ、その上で今こそ異議申し立ての行動を再開したい。近く、結集体を立ち上げるので、参加を呼びかける」と。                                                    S氏・Ⅰ氏を中心に、たぶん前年からの準備を進めていたことと、ぼくは推察している。

 戦後政治の総決算(82年中曽根内閣)・85年の労働者派遣法・86年国鉄分割民営化法案提出・89年総評解散・・・。労働・生活という社会の基本を安定的に維持発展させる「約束事」を「規制」と呼びそれを「緩和」する新自由主義(世界的には79年~のサッチャー、81年~のレーガンが代表格。「サッチャー・レーガン革命」とまで言われた)的改編は労働環境と雇用形態にも進み、2001年小泉登場となり、若者に責を問うようなフリーター・ニート非難世論がありました。07年初頭のS氏の発言の通り、果たせるかな08年暮には日比谷派遣村が登場、派遣労働の深刻な雇い止め・無権利を広く知らしめました。

 09年総選挙は選挙制度の後押しもあり民主党の圧勝でしたが、小泉的構造改革のツケを背負いながらそれと縁を切れるか? また、普天間-辺野古問題から炙り出される「日米軍事同盟」という、この国を覆っているいわば「敗戦時構造」、沖縄の基地・負担・占領を前提に成り立ってきた、「戦後」そのもの・・・。 時あたかも、それへの我が方からの「戦後政治の総決算」を問うべき時期となっている。 来年は60年安保50周年ですが、当時の課題はそのまま(冷戦構造が終わり、世界政治地図も変わっているのに)今の課題だ。民主党政権は、その総決算に一歩でも踏み出さない限り歴代自民党政権の亜流ということになる。 問われているのは「戦後」そのもの総体だ。

戦後政治

 某・忘年会に参集した元K大生は、団塊世代を中心に各世代から、零細企業経営者・医療機関事務職・介護施設職員・自治体労組役員退任者・上場企業永年勤続組・生協職員・単身出稼ぎ労働者など多様だ。 みな、かつての日、・白・のヘルメットを被り、東大安田講堂逮捕組で数年後出てみれば浦島太郎であった者として、あるいは党の凄絶な解体を体験し属すべきモノを喪った者として、70年代以降総評労働運動の盛衰の只中に在り「自説」を通せはしなかった者として、民主党へ移り政権の歴史的任務=ヨーロッパ型二大政党を想い何が出来るか考えない日などない者として、 それぞれの公・私の「総決算」こそが残された時間の仕事か?                                                        まぁ、年寄りらしく気楽に誠実に、しかし思想としてはラディカルに、やって行きまっひょっい。                                                         別のところにこう書いた。『人は「帰属」性の中でではなく、それを取っ払った地点の「孤立」の中で、他者に出逢え己にも出逢える。              実は、そこが「共闘」や「連帯」が始まる契機であり原圏なのだ。 』と。                                                                                                                                         今や、みな、そう思えるだけの辛酸(?)を舐めて生きて来たのかも・・・。   

 冒頭、S氏が言った「K大校友連絡会を立ち上げて3年若。研究会でも学習会でもなく、小さくとも曲りなりに行動体として輪が広がったとしたら幸いです。 痛い記憶を糧として、それでも行動する集まりでありたい」に、全面的な賛意を表します。  ちなみに、最年少はまるで孫のようなK大一年生でした。我が子よりうんと若いのだ。

品川宿より

 

交遊通信録: 詩人A氏へ 「晶子を巡って」 

 「何もかも」「いっしょくたに」・・・
 
【品川宿
先日はありがとうございます。「アカペラ歌謡大会。やってみると意外に楽しいなぁ~」
というのが 感想でした。楽しい時間をおおきに。・・・
晶子の『君死にたまふことなかれ』の歌謡があるとは知りませんでした。

で、晶子について・・・。先年、あまり知らなかったことを読みました。

日露戦争への異議を世に問うたその晶子にして、身内の戦争への関与(四男が海軍大尉)の十五年戦争に際しては                   戦意高揚・戦争賛美に連なる論陣を張った といふことから、
戦争の「何もかも」「いっしょくたに」「動員」されちまう、
その典型・教訓として、取り上げられたりしている。それによれば、
一方に、全てを飲み込んで雪崩れ行く世情がある、
身近では、四男昱(いく)が海軍大尉として加わっている・・・、彼女の非戦論、『血潮』は喘ぎ揺らぐのだ。
国家が人々を巻き込んで行く戦争といふものの、多重的拘束力・肉親の情をさえ鷲づかんで活用する恐ろしさの、                     これが実相だ、という訳です。太平洋戦争が始まって間もなく(1942.5.29)彼女は他界する。

晶子の論説も書いてありました。(晶子は)『日支国民の親和』では
『陸海軍は果たして国民の期待に違わず、上海付近の支那軍を予想以上に早く掃討して、
 内外人を安心させるに至った』 と述べて、
これまた手放しで日本の侵略戦争を支持している。また同じ年に晶子の夫の鉄幹も、
軍歌『爆弾三勇士』や『皇軍凱旋歌』といった軍歌を作って、
国民の戦意昂揚のためにつくしている、 と手厳 しい。  国家・戦争・家族・・・・難しい~~~ことです。                                                      

与謝野晶子

【南丹波
 こんにちは。
晶子についてのコメントありがとうございます。彼女を「反戦平和主義者」のように
美化して言うのはおかしいという説は、まったくそのとおり。
晶子は6男6女、12人の子を産み、出産直後に死んだ2人は別として残り10人を育てながら、
収入不安定な夫を養いはげまし(晶子41歳のときに夫・鉄幹が慶大教授になり小康を得たが)、
声をかけられた仕事はたいがい断らずにやりまくって一家の生計をほとんど一手に引き受けて生ききった、女豪傑ですね。 
意気に感じて身体が動いてしまい、血潮がたぎって言葉がほとばしる。
本来右も左もない、原始、女は太陽であった、というときの「女」でしょう。
 
しかし。
 「君死にたもうことなかれ」を虚心坦懐に読めば、これはひたひたと日本人の胸に「戦をしてはいかん」という気持ちを高ぶらせる、           見事な反戦の詩です。
とくに深い考えもなく「自然に」天皇を崇敬しているような人の胸をもどよもすような、
戦に乗りだす男ども、為政者たちにたいする強烈な反問です。
  
 この詩に作曲した吉田隆子は、晶子が日中戦争時期に入って戦意高揚に加担するような言説を発するようになったことを知っていたでしょう。
吉田隆子自身は、音楽・作曲活動を始めて間もなくプロレタリア文化運動にも参加し、
1933年、35年、37年、40年と繰り返し検束・拘留の目にあっています。
その40年の拘留時には「腹膜炎」で重態になってかろうじて釈放され生きながらえたのですが、
戦意高揚・戦争賛美に「何もかも」「いっしょくたに」「動員」」しちまう大政翼賛の日帝、軍国主義の怖さは骨身に沁みてわかっていたでしょう。
にもかかわらず隆子が敗戦後1949年の時点で晶子の「君死にたまうことなかれ」を取り上げたのはなぜだったか。
あの詩は、いわば、原初のときからの命の滔々たる流れの上に立って、現世の天皇の振る舞いをも糺そうとするような、気迫に満ちている。
そこに親子の情、はらからの熱愛、夫婦・恋人の恋情・希求など、
人としてどんな人間の身体の中にも血潮とともに流れている「何もかも」を「いっしょくたに」「動員」して                                  
命を守れ、生かせ、殺すな、征くな、とひたぶるに迫る力があるのじゃないか。                    
天皇がアメリカ占領軍のおかげで地位を保ち天皇制がみごとに「護持」され、日本全体が米帝の思惑に強引に引きずられて、                      
またもや大勢に押し流され戦へ戦へと向いていきかねない時勢に、あの詩をぶつけること。
それによって日本人を、かつてそのように流されていった晩年の与謝野晶子をも含めて、
諫め、心をどよもして頭を冷やさせる意図があったと思えるのです。
 つまり、ああいう詩を書いた天性の詩人・晶子でさえが戦意高揚・戦争賛美の流れになびいてしまった、
という苦い歴史をかみしめることで、あの歌「君死にたもうことなかれ」は、
いっそう痛烈な反歌としての意味合いを強く響かせる、というのがぼくの解釈ですが、どうでしょう?
 
【品川宿
全く、同感です。「評価」と「美化」は違う、「論評」と決め付けやレッテル貼りは違う・・・ということですな。
==================================================
Tさんにお答えします。A氏とは、宋友恵(ソンウヘ)著 『尹東柱(ユン・ドンジュ)評伝 空と風の詩人 』(藤原書店、560頁、¥6825)の翻訳者:A氏です。

たそがれ映画談義:シェーンとマッカーシズム

『シェーン』(1953年、アメリカ) 監督:ジョージ・スティーヴンス 
出演:アラン・ラッド、ヴァン・ヘフリン、ジーン・アーサー、ブランドン・デ・ワイルド、ジャック・パランス、エリシャ・クック・JR

「シェーン」の作品背景にあるという「ジョンソン郡戦争」(1892) というのを知った。紀田順一郎『昭和シネマ館』(小学館)によれば、それは、ワイオミング州ジョンソン郡で実際に起きた大事件で、牧畜業者がテキサスの退役軍人など22名のプロを傭兵として雇い、新参入の開拓農民多数を虐殺させた事件だそうだ。アメリカ国内では「ああ、あの事件ね」と誰もが知る有名な事件だそうだ。(マイケル・チミノ『天国の門』はジョンソン郡戦争を描いたもの)ジョージ・スティーヴンスは原作をひとヒネりして黒ずくめ装束の殺し屋(ジャック・パランス)を登場させ、シェーンに「卑しい嘘つきヤンキー野郎」と呼ばせている。原作にない台詞を再々度にわたって登場させるのは、そこに映画作家の「ある事態」への本音があるのだと紀田は言う。                            

 ある事態……
「シェーン」(公開が1953年だから、製作時を含めある事態の同時代性)公開当時のアメリカ映画界に在って、正統派というかアメリカニズム保守派の重鎮のようなスティーヴンスのある事態への見解が、そこに垣間見えて興味深いという。テキサス人の傭兵を「ヤンキー野郎」としたのは、かのマッカーシー議員が北部=ウィスコンシン州出身だからだそうだ。
 スティーヴンスはマッカーシー旋風(’50~’54)を苦々しく見ており、「恥ずべき」事態であり、その旗振り男を「唾棄すべき」存在だと思っていたのだと知り、「なるほど……」というか、丁寧な彼の映画のファンでもあるぼくは、実際「ホッ」とはしたのだ。
シェーン①  
スティーヴンスが「シェーン」で新参開拓農民夫妻(ヴァン・へフリン、ジーン・ア-サー)などに託して示した、アメリカ的正義感や良心、生活感・勤労観やアメリカ観は、いま「シェーン」の時代から100年強を経て、どう変形したのか? イラク戦争を熱狂的に支持する巨大な存在となって猛威を振い、アメリカ中西部のレッド・ゾーン(04年ブッシュ勝利州)=言われるところのもう一つのアメリカ(?)を形成しているのではないか?
 「卑しい嘘」に基づく横暴には決して与しないはずの、スティーヴンスが言う正統派たちには、イラク戦争の虚構を糾す情報を入手する努力や、殺し屋に立ち向かう気力を、元々持たなかったのか? それとも何処かへ回収されてしまっていて見えにくいのか……?
 回収先は、ここが・これが世界だとするアメリカ的世界観と、そうした構造を作り上げることに大きな役割を果たして来た新興宗教(キリスト教原理主義教団が新興宗教でなくて何であろう)に違いない。
 「シェーン」という「よそ者」が去って以降の100年という時間に、「よそ者」ではない者の言葉を選択した結果、スティーヴンスが示した「本来」のアメリカ保守正統派の精神は、皮肉にもその選択によってか、元々の素性ゆえか、解体したのだ。シェーンが「よそ者」であるところに、スティーヴンスのもうひとつの冷めたメッセージがあるのかもしれない。
そもそも本来のアメリカの精神なるものは、フロンティア・スピリットであり、                                                                                                                   「他者」の「場」を強奪して「世界」を拡げる精神の各種変異体なのだが・・・・。
 
【注】 ジョージ・スティーヴンス(1904~1975)
『ママの想い出』1948年、『陽のあたる場所』1951年、『シェーン』1953年、 『ジャイアンツ』1956年、『アンネの日記』1959年、                           
『偉大な生涯の物語』1965年、

歌遊泳: ちあきなおみの何が響くのか?

 
  『敗戦の嵐のあとの花ならで 散りゆくものは道義なりけり』 と詠われた敗戦直後社会。

 品川宿たそがれ氏推薦の敗戦直後期必読三冊: 『敗北を抱きしめて』(ジョン・ダワー、岩波書店) 『拝啓マッカーサー元帥様』(袖井林二郎、岩波書店) 『占領下日本-OCCUPIED JAPAN-』(半藤一利・保坂正康・他、筑摩書房) は、                                                        チームちあきが選択した歌・歌唱の気分に重なるのです。ゴンドラの唄は戦前、他に海外の歌・古い歌・60年以降の歌もありますが、                                                                                        不思議なことに、聞こえて来る歌唱はことごとく、ぼくを敗戦直後時空へと誘うのです。                                      Policeman_and_MP_who_confiscates_goods

 

 

 

 

酒と泪と男と女:http://www.youtube.com/watch?v=gydiqOmRrU8&feature=related                                                                    矢切の渡し:http://www.youtube.com/watch?v=XEntqjfq2PU&videos=hEAeU6W5cT0                                                                         船頭小唄:http://www.youtube.com/watch?v=Tu3l2gw5Wmw&videos=hEAeU6W5cT0                                                                                       ゴンドラの唄:http://www.youtube.com/watch?v=wMSQ1amd7sU                                                                              上海帰りのリル:http://www.youtube.com/watch?v=h3JTRCNgXBo&feature=related                                              港が見える丘:http://www.youtube.com/watch?v=79V8LHAnB08&feature=related                                                         命かれても:http://www.youtube.com/watch?v=atwtZasK168&feature=related                                                         かもめ:http://www.youtube.com/watch?v=-Yuu_uDg8HI&feature=related                                                            別れの一本杉:http://www.youtube.com/watch?v=EVC4Ua3x6UI                                                                                    柿の木坂の家:http://www.youtube.com/watch?v=ftW2aVazdUg&feature=related                                                                  粋な別れ:http://www.youtube.com/watch?v=pI98E6-h0n4                                                                                                五番街のマリー:http://www.youtube.com/watch?v=RmEEX3X8gRM&feature=channe                                                                  遠くはなれて子守唄:http://www.youtube.com/watchv=rGTqZPi_f4Y&feature=channel                                                                          あばよ:http://www.youtube.com/watch?v=qUCDmhSRKHo&feature=related                                                                  カスバの女:http://www.youtube.com/watch?v=SU2vZP7PW_E&feature=related                                                         星の流れに:http://www.youtube.com/watch?v=MAMrw-VqSCE&feature=related                                                                           さとうきび畑:http://www.youtube.com/watch?v=adLVQk1quzc&feature=related                                                                       喝采:http://www.youtube.com/watch?v=sXybTZBI5F0&feature=relate                                                                              http://www.youtube.com/watch?v=yf00mlKVlKE&feature=related(英語版)                                                             朝日のあたる家:http://www.youtube.com/watch?v=MIMh3XjDfGU

「別れの一本杉」の痛切の別れ(遠い遠い想い出しても遠い空♪)。                                                                   「さとうきび畑」の静かな、だからシッカリ響く怒り(海の向こうから戦がやって来た♪)。                                                                         「朝日のあたる家」の渇いて開き直っても、「和解」と「赦し」に至ろうとする心。

散り行く道義の先に見えかけた、社会と人々の可能性を唄った敗戦直後の歌の数々。
チームちあきはその復権をなそうとしているのか? 

たそがれ映画談義: 耳に残る幼き者の叫び-②

『あの子を探して』(1999、中国)  監督:チャン・イーモウ 出演:ウェイ・ミンジ; チャン・ホエクー。
 
13歳の少女ミンジは50元で1ヶ月の代用教員になった。
(1ヶ月間、子供達が誰もやめなかったら10元のボーナス付で)しかし、
教員として資格もなければ知識もない彼女は黒板に文字を写すだけの毎日。
そして、10元のボーナスのために誰もやめさせまいと必死になる。
そんな中、ホエクーが数千元の借金を返すために出稼ぎに街に行ってしまった。
ミンジはホエクーを迎えに行くが・・。(Yahooブログ「一番小さな映画館」より
 
ここから映画は「学ぶこと」「教えること」の原点を示し俄然輝き始める。都会までの運賃を悪戦苦闘の末みんなで計算する。その費用を作り出す方法=近くのレンガ工場での「レンガ運び」を思い立つ。一人あての労働の対価から必要総労働時間の計算をみんなで考える。考えを共同して実践する。その過程はまさに「自主管理」の原点そのものだと思うのだ。
 大都会に辿り着いたミンジの「ホエクー捜索行」を追う映像は、大都市の発展とともに、野放しの児童就労などその影の部分も映し出す。現代中国の都市と僻地の格差は想像を絶し、その範囲はインフラ・産業・就労・収入・教育など全ての領域に亘っている。
 あの子を探して③
 
 
最初、ミンジは生徒が辞めてはボーナスが入らないと必死だったのだ。TV放送での人探しを思いつき、局を突撃。幹部の知るところとなって運良く放映となる。行方不明になった年齢とてさほど変わらぬ弟のようなホエクーへの呼びかけの本番は、報酬問題のことなど吹っ飛んで、ただただ 涙ながらに「帰って来て!」……。
 TV画面を見つめるホエクーの、みるみる歪んでゆく表情……。
 大げさに言えば、このシーンは、個人の利害・私欲から出発した少女の取り組みが「教育」や「自主」の核に迫る瞬間を、捉え得たものだと思えるのだ。イーモウは発展を全否定しているのではない、あるいは発展の果実に溢れるこの時代を呪っているのでもない。発展によってしかカバー出来ないものの存在の多きことを大中国の現実の中で、痛い想いで充分に認めているのだ。ただ、ミンジやホエクーを排除しての発展なら、そんな発展は要らない! そう言っていそうだ。
テレビ放送に至る経過は、局に座り込んだミンジの不屈の努力よりも局幹部の配慮が為せる技だと、人脈社会を皮肉っていても、弱い声にも応える体制ですとまとめる、チャン・イーモウのヨイショだ。あるいは、ラストの報道機関を伴っての行政による「貧しい村へのプレゼント」作戦は、一部の「貧困」へ目立つ援助を行なうあの国の常套手段で、イーモウはそれを肯定している(ぼくにはこれは皮肉に思えたが)。などなど、 高度(?)に過ぎる論議の前に、幼い者の叫びを刻んでおきたい。幼き者の叫びは、そんな思惑を超えている。                                                      
 

たそがれ映画談義: 耳に残る幼き者の叫び-①

『蝶の舌』 (1999年、スペイン) 監督:ホセ・ルイス・クエルダ 出演:フェルナンド・フェルナン・ゴメス、マニュエル・ロサーノ。

1936年2月、スペインでは選挙で左派が勝利、「人民戦線政府」が誕生する。                                                                 同年7月右派ファシストが反政府クーデターを開始、8月モロッコに本拠を置くフランコ軍が本土に上陸、内戦状態に突入。                                    内戦は国際化し、イタリア・ドイツは反乱軍支援、欧州各国は不介入宣言、ソ連は人民戦線政府に戦車・大砲・飛行機など武器援助、各国からは義勇兵が駆けつけ、人民戦線内に「国際旅団」も作られた。アーネスト・ヘミングウェイ、アンドレ・マルロー、ジョージ・オーウェルなどが、それぞれの思想・立場から参加。                                              

共和国政権の内部は、穏健共和派、自由主義者、社会党、親ソ共産党、反スターリン派(POUM、オーウェルはここに参加)、労働組合では社会党系UGT、アナキスト系CNT(人民戦線には参加していない)といった具合の混成だったが、現代思想と20世紀政治運動の百貨店だったとも言われ、内部混乱は激しかった。加えて右派ファシストの妨害、国際的包囲網。政策決定・実施には、難渋を極めた。

 (廃墟と化したゲルニカ)  

廃墟と化した ゲルニカ                                                                

37年4月、フランコ反乱軍を支援するヒットラー・ドイツは、空軍コンドル部隊を北部バスク(保守層も支持する、反中央の自治政府)に差し向け、『ゲルニカ』に対して「都市無差別爆撃」(ピカソ「ゲルニカ」)を実施。                                                                    37年5月、バルセロナ市街戦では親ソ派共産党は、アナキストの排除、反スターリン派の排除(つまり内ゲバ)を徹底して行なった。                                                  39年1月バルセロナ陥落、39年3月マドリード陥落。フランコ派勝利。                                                    市民戦争・内戦・市民革命・・・色々な名称で呼ばれている現代史の縮図、スペインの3年間。

さて、『蝶の舌』は36年春から同年夏(ファシスト反乱の最初期)までの、混乱があって緊迫していても、「人民戦線政府」が輝いていた短い時間を背景にしている。とっつきにくくとも少年モンチョが心を開くことが出来た老教員グレゴリオは、教育と社会に信念を持っていて、それを穏やかに実践するベテランだ。喘息持ちのモンチョは入学時に[おもらし]をして出遅れるが、学校に馴染ませてくれたのは、先生だった。野に出て命を伝え感じさせてくれたのは先生だった。蝶に渦巻き状の舌があること、欄の花をメスに贈る鳥:ティロノリンコのことを教えてくれたのは先生だった。                                                                          36年夏、老教師グレゴリオはモンチョとの交流の場面で言う、 「人にいってはならん、これは秘密だ。あの世に地獄などない。憎しみと残酷さ、それが地獄の基となる。人間が地獄を作るのだ」(作者は、この会話に加え、ラストシーンで軍ファシストの後方に神父をウロチョロさせ、怒りを込めてカソリック教会が果たした役割を暗示している)
 そして短い夏の終り、退官講話の席でこう語る。「誰も、春に愛を交わすために古巣へ帰る野鴨を、止めることは出来ません。羽を切ったら泳いで来ます。脚を切ったらくちばしを櫂にして波を乗り越えます。その旅にいのちを賭けているのです……。いま、人生の秋を迎えどんな希望を持てるのか……実は少し懐疑的です。オオカミはきっとヒツジを仕留めるでしょう。」グレゴリオはこの政府と自分達の運命を覚悟していた。

田舎町にもファシスト反乱軍の暴虐が押し寄せる。「共和派」が拘束され連行されて行く。その中に町長や老教師グレゴリオが居た。街の人々は、連行する側のファシストに媚びて、口々にグレゴリオらをののしっている。                                                                             母親に「あんたも言いなさい」と促され、モンチョも言う。「アカ!」 「アテオ(無心論者)!」・・・・。詰め込まれた護送トラックの荷台に立つグレゴリオ、石を投げつける少年たちの輪に入ってしまうモンチョ・・・。 モンチョが最後に発する言葉・・・あゝ、それはこの映画のタイトル「蝶の舌!」であった。                                        親愛と尊敬の情を、このようにしか表現できなかった少年の無垢な心に、ぼくは嗚咽した。グレゴリオとモンチョの交流交感はこうして圧政と社会によって断ち切られたが、21世紀の今も、深く繋がって生きているのだ。それが、痛切の記憶というものだ。 

 1936年、国民的詩人:フェデリコ・ガルシア・ロルカはファシストに虐殺される。四方田犬彦は書いている。                                   『ロルカの死は悲痛きわまりないものである。その悲痛さを克服するためには、何をしなければいけないのか。                                        それは祈ることではなく、記憶することだ。記憶が、たどたどしく築きあげる歴史から、われわれは学ぶことはできる 』と。                                                                       記憶とは そういうものだ。   

余談ですが、故:アジェンデ・チリ大統領はバスク系の人です。                                                                 1973年9月11日、サルバトール・アジェンデ 最後の演説 (ピノチェト軍が包囲する、サンチャゴ・大統領府「モネーダ」より) http://www.youtube.com/watch?v=SG3f08LVwhE

                                                                        

 

                         

たそがれ映画談義: 洲崎パラダイス赤信号

 『洲崎パラダイス赤信号』(1956年、日活)  監督:川島雄三 出演:新珠三千代・三橋達也・轟夕紀子・芦川いづみ。

 本編導入部画像:
 
15年以上前だったろうか、偶然HNKで放映されているのを観て、ビックリ。                                                   「掘り出しものを観た」と映画好きの何人かに知らせたりした。「映画好き」各位のほとんどはよく知っていて、                                                    「何を今さら、あの名作『幕末太陽傳』の川島雄三の作だ。しかも、彼自身お気に入りの作品でっせ!」だった。                                                                                            主演の新珠三千代さんは、もちろん高校時代に『人間の条件』(監督:小林正樹)を再公開で観て、梶の妻役として知っていた。                                                                               前後関係はどうだったか忘れたが、TV『氷点』の母親、『細うで繁盛記』の女将で見かけていた。                                                見かけたというのは、その時期テレビはあまり見なかったので記憶はあいまいなのだ。
 
                                                     売春防止法成立前の時代を描いて秀逸だ。喜劇仕立てであっても、そこに展開される「時代」にへばり付いて生きる主人公男女のすかたんドタバタ道中には、その「必然」があったと思う。
パラダイス(売春街)への入り口に架かる橋が比喩的に登場する。その橋のたもとにうらぶれて立つ呑み屋で、あっちへ行くかこっちに残るか……ギリギリ踏みとどまっている女、蔦枝(新珠三千代、意外にも見たことないほどのハマリ役だった)と、何をしても続かないダメ男:
義治(三橋達也)との、「明日」の見えない「今日」につまずいて漂う男女。                                              「戦後」を生きあぐねるその姿を通して戦後空間の時代不安を活写していた。                                   女は橋を渡(昔居た世界に戻)らなかったのだ。
社会が落ち着き始め、復興の明るい未来への展望も拓けている。公務員・サラリーマン・他、その流れに与する人々から隔たったひと組の男女。(06年1月、カルチャー・レヴュー57号投稿自原稿より転載)
 

新珠三千代:1930年生れ。宝塚出身。1951年、東宝から映画デビュー。1955年、宝塚退団、日活入社。57年東宝に戻る。                                                                                                   森繁「社長シリーズ」など東宝現代喜劇に欠かせぬ「夫人」役(もったいないねぇ)をこなした。                                                                                       和服の似合う清楚高潔な「伝統的な日本女性」としてのイメージを保ちつつ、娘役から母親役まで、                                                良妻賢母から悪女まで幅広い役柄を演じられる女優として各方面から絶賛された。【ウィキペディアより】 

『・・・赤信号』は、橋を渡らぬ女を演じて、後にも先にも無いほど役を我がものにしていた。彼女26歳時の作品だ。                                                                                           2001年3月没(享年72歳)、合掌。                                                                                                                                                                                                                          

   

つぶやき: 民主党に告ぐ

 
野古新基地建設反対!
普天間基地即時撤去!
嘉手納統合策動粉砕!
 
国会前で横断幕の下に座った「9条改憲阻止の会」の親爺さんが
次のように語っていた。
『「OCCUPIED OKINAWA」。
 ヤマトが 明治政府が そして日米が、沖縄を占領し続けて来たのだ。
 「戦後」というもの総体が、そのことを与件として成り立って来た。
 沖縄はその丸ごとの見直しの開始を、求めている。 』 
 
保守二大政党というものが、上述親爺が言う与件を前提とする「合意」によって
成り立つとしたら、保守二大政党ということがすでにして『大連立』なのだと思う。
そもそも、先年、小沢・福田の大連立構想を阻止した民主党(の諸氏)には、
アメリカ型二大政党、大連立の変形であるような保守二大政党、ではなく
対立軸がより明確なヨーロッパ型大政党への構想があったはずだ。
日本での明確な対立軸について設定されるのは、
「小さな政府 vs 大きな政府」 「新自由主義 vs 社会民主主義」などと言われるが、
実は、明確なのは、日米安保体制を根幹とする「戦後」そのものへの「立位置」なのだ。
ここを譲り、「丸ごとの見直しの開始」を見送るなら、その位置は「合意」の内側に在り、
つまりは、二大政党のカタチを採るが実質大連立体制であり、
大連立構想を押し返した民主党議員らの志(?)は潰える(?)のか? 
あるいは、構想した二大政党へ進むのか・・・・? 
現在(いま)正にその岐路に在る。その鍵は、「憲法」と「沖縄」への立位置にある。
沖縄・辺野古・米軍、ここで社民党を寄り切って、民主党政権が向かう先は何処なのか?

突然ですが

渡辺白泉 【わたなべ はくせん】
 1924(大正2年3月24日)~1969(昭和44年1月30日
渡辺 白泉

 

 

 

                                                                                                                           弾圧の厳しい戦時下にあって、京大俳壇は
国家・社会に対する批判精神を持ち続けた。
各誌は廃刊に追い込まれ、白泉も検挙された。

重い「冬」、快晴下・静寂の「夏」が迫る。
季語を超越した季語だと言われている 。
 
銃後といふ不思議な町を丘で見た (1938/昭和13)
 
戦争が廊下の奥に立つてゐた (1939/昭和14) 

玉音を理解せし者前に出よ (1945/昭和20)

 

歌遊泳: 石狩挽歌

 【石狩挽歌】
本家は強し! 北原ミレイ
夏川リミの別イメにはびっくり・・拍手。
いつのころですかね?
 
中森明菜
http://www.youtube.com/watch?v=UaCMtEExCls&feature=related                                                             坂本冬美
http://www.youtube.com/watch?v=bWfjXi1rZQc                                                               夏川リミ
本家:北原ミレイ
 最近の北原ミレイ
にしん漁、にしん御殿
歳を重ねてちょっと声不安の本家さん。見つめる作詞者:なかにし礼の表情が実にいい。
いやむちゃくちゃええどぉ~。こういう70歳になりたいなぁ~)
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