たわごと書評: 坂の下の曇り空  劇画『「坊ちゃん」の時代』を読む

リ・ダイアリー 09.9.30
【勉強をして来なかった者の、劇画三昧】
> 散逸したという龍馬の「幻の憲法草案」(薩摩に、長州に、幕府に、朝廷に、土佐山内にも配慮して変更した「船中八策」の前の大元素案)には
> 幕府はもちろんだが、天皇も無くして共和制とする旨記載されていたという。(だから暗殺されたという説を支持します)                     
>反幕府藩連合の新幕府ではない、永く実政治に関与しなかった朝廷を担いでの王政でもない。                                                                                              > 藩・幕府・朝廷の力学域から脱した異次元のステージの構想であった。
> 「奉還」先は「やがてあるべき何モノか」(たぶん共和制国民国家)
> であるはずだ、とする考えに至っていただろう。
> それが、龍馬の「公」であろう。来年のNHK大河ドラマ(福山雅治だそうだ)はもちろん、他の龍馬伝からも消されているという。
>
> 劇画『「坊ちゃん」の時代』(文・関川夏央、画・谷口ジロー、全五巻、双葉社)を読んだ。
> 西欧文明を受容しつつ疑い、疑いつつ受容する(関川夏央)。
> 開国の幕末から日も浅い明治人は、圧倒的西欧文明に向き合おうとするとき、
> 国家・国権・国威の拡大と近代的自我の確立とを重ねてしまふ誘惑に駆られた。
> (笑うな!帰属先(教団でも党でも株式会社でもいいのだが)の充実発展の中に、自己の確立を
>  重ねては悦に入っていた御仁を5万と知ってるぞ。「個」が帰属先と未分化なのは、
>  何も前世紀・前々世紀にのみ限った現象ではない。人が属性に依って生きることの傍証だ。)
> 近代化の渦に在って「絶望し」「かく善く生きよう」(関川夏央) と苦闘した
> 鴎外・漱石・二葉亭・・・・啄木・平塚らいてふ・菅野須賀子・幸徳秋水・・・・
> 明治人は、国家・天皇・政府・法・宗教・諸規範を超えてあるはずの
> 「公」を探していたのだ。国民国家はすでに、ヨーロッパにおいて侵略的経済活動単位にして、
> 排他的ナショナリズムの元凶との正体を曝しその幻想は崩壊しつつある。
> 明治政府は、天皇を「公」として盛り立てる策を次々と打ち出し、返す刀で
> そのことに抗う不敬の輩への、天皇の逆鱗や容赦のない課罰力を
> 天下に示す機会を密かに(堂々と)準備していた。「大逆事件」がそれだ。
> 天皇以外の「公」が登場し薩長革命の構図が崩れるを極端に恐怖する、
> 最後の維新革命世代たる山県有朋による、多くの無関係者を含む
> 「この際、根こそぎ」的な、24名に死刑(12名無期に減刑)という
> 容赦のない前代未聞の暴虐であった。
> 「このとき日本の青年期たる「明治」は事実上終焉した。そして昭和20年
>  (1945年)の破局に至るレールの上を走り始めたのである。」(関川夏央)
> (「公」なき日本は、この破局後も江戸瓦解からなお地続きのままを生きる?)
>
> 一方、対ロシア「戦争」に多大な犠牲を強いられた民は
> 西欧の一部には違いないロシアとの戦争勝利に、「西欧と肩を並べたぞ」意識、
> 国威の拡大を自己の確立にダブらせる思想(「気分」)、
> それにすがって自己を支えたのだ。軍国昭和へ走る街道の初期道だ。
> 現実は、戦費総額=国家予算の4倍で戦争継続の余力無き明治政府が、
> アメリカに仲介を依頼、賠償金なき講和を「勝利」と喧伝したに過ぎない。
> 日露戦争後のポーツマス講和会議の結果に人々は「軟弱外交」と抗議し
> 各地で「戦争継続」要求の大衆街頭行動まで繰り広げたという。
>1904~1905年(明治37年~38年):「日露戦争」、
>1910年 (明治43年):「大逆事件」、 
>1910年 (明治43年):「日韓併合」。
> 100年後の今日から見ると、この三つがワンセットだったとハッキリ見える。
> 西欧化を目指し西欧と戦い、天皇制強権国家を完成に向かわせつつ、アジアを奪う・・・。
> 西欧と伍すためにアジアを奪う? 薩長主導の明治新国家の国家目標の核心だと言える。
> 添付画像は『「坊ちゃん」の時代』第三巻 『かの蒼空に』 の表紙、この巻は啄木が主人公。
> 啄木の実生活は一面「とんでも」男なのだが・・・http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/column-2.html 

> 稀代のC調寸借王・生活破綻者・無用の人たる彼にしてようやく見えることもあったのだ。 
> 無用の人、啄木は「大逆事件」「日韓併合」の同時代に在ってこう詠んでいる。
> 『何もかも行末の事見ゆるごときこのかなしみは拭ひあへずも』
> 『秋の風我等明治の青年の危機をかなしむ顔撫でて吹く』
> 『地図の上朝鮮国にくろぐろと墨を塗りつつ秋風を聴く』

 
> 『「坊ちゃん」の時代』(全五巻:双葉社刊)
> 第二巻『秋の舞姫』は鴎外が主人公だ。
> 巨大な先達でもあり、かつ違和の対象=西欧という山脈の前で
> のたうつ彼鴎外は、西欧への劣等感を埋め合わせるかのように、
> 異境に在って薄幸の女=舞姫との関係を持つ。
> (鴎外の深層心理を見透かすように、舞姫は実はユダヤ人だったのだ。
> 「舞姫」一篇は、西欧へのコムプレクス問題と、擬インテリは上昇志向を
> 何を棄てて成就して来たか? といふ二重テーマによって成立している。と聞か された記憶がある)
> 『「坊ちゃん」の時代』第二部によれば、ドイツ滞在時、鴎外はある夜、乃木希典なども同席していた宴席で
> 明治初期日本政府の招きで開成学校で教えたナウマン博士の言に噛みつく。
> 「日本は急速な西欧化を目論んでおる。その意気やよし、知識欲やよし。
>  しかし、残念ながら西欧化近代化の基礎となるべきキリスト教文化を
>  欠いておる。わたしは断言する、 日本が西欧と肩を並べる日はつひに
>  来たらず」というナウマン氏に、   鴎外は
> 「日本には古来、武士道があります。武士道は信と義との結晶です。
>  我々は、数千年心性を鍛えぬき、いま西欧の覇道から身を避けるために
>  たかが数百年の洋智を学んでいるのだ」と、気色ばんで言い返す。
>
> しかし、日本の歴史に明らかなように武士の登場は平安末期であるし、
> 言うところの「武士道」の暦は決して数千年ではない。
> ここで「武士道」と名付けて引っ張り出されたものは、より永い歴史ある
> ものとして、後年「やまと魂」として提出されたものに連なる「虚構」か?
> 誤解を恐れず言えば、数千年を耐え抜き持続されたものなど無いので、
> あえて「武士道」というものを持ち出すしかなかった、と思える。
> 西欧の「神」に代わるものとして「天皇制」を持ち出さなかった苦肉の言説の意味するところは大きい。
> 「天皇」が、世界の光の中に晒されたとき、それは「私」的な存在だと
> 明治知識人は承知していたのだ。
>青年「明治」は、より高次の「公」、揺るがぬ「公理」を探していた。
>
> 明治政府は、「天皇」「官」をもって「公」に代え、それに絶対権力を付与した。
> だがしかし、それは断じて「公」ではないのだ!
> 最終正義を持っている在り方は、それが教義・教祖であろうが
> 「天皇」であろうが、その先が無いのだから一種の思考停止状態を生み、
> 論理や疑義の発展の可能性を閉じてしまう。明治政府が天皇を絶対
> とした瞬間、軍国昭和と1945年が用意されたと言えまいか。
> 幕末と明治は地続きであり、明治が昭和を準備し、昭和は昭和で
> 人間宣言をして焼け跡に舞い降りた裕仁が、戦前と違う言葉を発する以外
> 戦前と戦後は同じであり、つまりは幕末から平成まで
> 時代は天皇の代替わりや、外的な事件によって区切られてなどいないのだ。地続きなのだ。
> 「公」なき、のっぺらぼう日本の時間が過ぎて行く。
> その裏では、しばしば「大逆事件」時の山縣有朋の役割を果たす
> のっぺらではない強面の巨魁が領導する事態が何度も繰り返された。
>
> 今日、この国で最も「公」に近いものは『憲法』だろうか? 
> 敗戦時のまさに「国体」の処置と、天皇の責任の曖昧さが、地続き日本、
> のっぺらぼう日本の、金太郎飴人心の、大きな原因だとぼくは思う。
> それはともかく、新左翼に「公」概念、「公共性」への意識が希薄ではあったとは認めたい。
> 某主義を語り、革命を謳った。党組織論を述べ、国家論を論じた。
> が、それらを越える「公理」「公」など抽象論だとして捨て置いたと思う。
> 多くの悲劇や惨劇が、そのことと無縁だとは思えないのだ。
> 明治の「主義者」には「公」が在ったか・・・?
> 幸徳秋水は日露戦争に際して、こう演説していた。
> 『ロシア平民と、われら日本平民とは同志であり、断じて戦うべき理なし。
> 愛国主義と軍国主義とは、日露平民共通の敵ならずや!』
>
【付録】
[漱石先生の大和魂観]
漱石先生は、こう言っている。
『東郷大将が大和魂を持っている。魚屋の銀さんも大和魂を持っている。
 詐欺師、山師、人殺しも大和魂を持っている。誰もみたものはない。
 誰も遭った者がない。大和魂 それ天狗の類か』 (『吾輩は猫である』)
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