Archive for the ‘アジール 空堀’ Category
「アジール 空堀」: 「街頭紙芝居の奥は深いぞ!」or「紙芝居が俗悪(!)だった頃」
出会いの必然性、その脈路の不思議。「アジール 空堀」某企画
同居人が、幼児向けの「読み聞かせ」の会(7~8名)に参加している。月に一度の某百貨店での公演(?)が先日あった。
その日は、紙芝居好きの準メンバーSさんも参加されたそうで、Sさんから以前借りてムチャクチャ面白かった本を返却したそうだ。本の著者はSさんの師匠だそうで、書名は『保育に生かす紙芝居』だという。
えっ! 聞いたことあるな~。その著者ってワシが「アジール 空堀」で、紙芝居の実演とお話『紙芝居が語る時代の風景』(仮題)を是非お願いしたいと考えて来た鈴木常勝さんとちゃうん? ほれ、アジールでお話してくれたKさんの、その夫の紙芝居おじさんやでぇ。いっぱい本も出してはるで。いろんな視角から「戦争と市民」「民と国家」を考えたいアジールでお話して欲しいので、近々お願いに行こうと思うてたんや。
同居人曰く、その本しばらく家ウチにあったでぇ~。アチャ~知らんかったなぁ。
決まった。早急に鈴木常勝さんと相談や(某月某日に必ず実現したい)。
出会いの不思議、その脈路の必然性を想うのだ。
たぶん夏前に実現しそう。
アジール 空堀: 二月、お話 『キム・ホンソンという生き方』
2月18日(木)19:00~ 「アジール 空堀」2月度集い(お話と食事の会):
『キム・ホンソンという生き方』
12歳の時兄上の家内工場での事故で両手の先を喪い中学通学を断念してから、孤独な読書とTV名画座に明け暮れた自宅内での苦闘の末、文字書き・食事・生活能力を獲得する。新聞広告で目にした大阪文学学校は、問合せ電話で伝えた「在日・障害・中学を出ていない」に「そんなんは関係ありません」と答えてくれた。姉上に付き添われ入学する(1970、18歳)。
「雨の降りそうな日はどうしよう」と思案し、植木等のCMで有名な「何である、アイデアル」からワンタッチ開きの折畳傘を知り、そうだこれだと思い付く。が、後日そのCMが何年か前から流れていたと知る。
金洪仙さんの語りの圧倒的な力強さの、その根拠を知るのはここからだ。
『自分は外に出よう・文学学校に行こうと思えてはいなかった日々に、このCMを何度も観ただろうに、その利便性と能力に気付かず見過ごしていた。自分の身に振りかかる困難があって、自分に切実な希いや要求が生まれそれを強く持てた時、人は見えなかったことに気付くのだ。』と自覚する。
そう思える知力・想像力・相対化力・俯瞰力、つまりは本源的「謙虚」こそが、彼女の力強さの根拠であり、お話や人柄から滲み出る「ポジティヴ」の震源地だ。それは、例えば「かつて子ども時代に乗ることが出来た自転車に乗ろう」と挑み成し遂げてしまう、「したい」から「できる」へと構想する考えの組み立ての根拠にもなっている。あゝ、お気楽に生きて来た我が身が丸見えだ。
大阪文学学校は彼女にとって「私の大学」なのだが、そこでの数々の珠玉の出会いと親交は書物でも紹介されている。
生涯の師と言える金時鐘さんが、彼女も聴いている場で「ミロのヴィーナスは、なぜ美しいか」と語る。その言葉に「あゝ、私のことを言ってくれている」と感じた感動と、生きる決意を確認するくだりは、震えるほど輝きを放っていた。金時鐘さんが続けて何と語られたのか、本をまだ読んでない方は、是非ご購入してお読み下さい。
アジール 空堀: 3月10日『フォルクローレの夕べ』 ハーフタイム・トーク
三浦さん、3月10日(木)『フォルクローレの夕べ』(アジール空堀イヴェント)用の
貴重で深い草稿拝読。知らないことがいっぱいで、南米の先住者の魂と、現代ラテンアメリカの心を読みました。ありがとうございました。
南米のいわば先史~スペイン支配~20世紀米国。キューバ革命・ゲバラ・ラテンアメリカ革命闘争・73年チリ軍事クーデター。
その全体像と脈々たる抵抗歌の歴史。
ピノチェト政権に虐殺された、チリの人気歌手:ビクトル・ハラ、死の直前に唄った『ベンセレーモス』(我々は勝利する)。
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貴メモにあった、ジュリエット・グレコさんに関する、天声人語。
一見「当事者」でない者が採り得る「当事者性」のひとつの極点だね。
『夜の森を思わせる深い声、語るような歌唱、黒ずくめの衣装、宙を舞う両の手。どれも22歳のデビュー当時からだ。自由を愛し、強者や権力を疑う生き方も変わらない。ナチス占領下のパリで、レジスタンス活動家の娘として秘密警察に拘束された体験が原点だろう。
すでに大御所だった1981年、チリのピノチェト独裁政権の招きをあえて受け入れた。軍幹部と家族が聴き入る御前コンサートの途中から、軍政が禁じた抵抗歌を続け、直ちに国外追放となる。いかつい兵士に囲まれ、空港へと連行される報道写真はフランス人を熱くした。本人は「生涯最大の勝利」と振り返った。』( 2007年天声人語)
アジール 空堀:交遊録: 3月「フォルクローレの夕べ」 打合わせ
「アジール空堀」の3月度ライブは、
10日(木)のロス・チャンカスによる『フォルクローレの夕べ』だ。間に、たぶん味わい深いだろう「お話」が入る。
チャンカスの名の由来は、インカ族との戦に敗れたチャンカ族。演者のヘーゲルさんはその末裔。そのアイデンティティの核は「チャンカ族は滅びず」だという。
「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」の大阪駅前を覗いて、講演予定者:釜日労の三浦俊一さん(偶然にもワシと同年同月生まれ)と合流。仲間から、しばしば「似ている」と言われ続け、悪い気はしない御仁だ。
彼の構想を拝聴すべく堂山町行き付けへ。
ライブ2ステージの間にはお話を入れる予定だ。彼からは、「コンドルは飛んで行くは先住民の抵抗歌だ」と題して、「先住民の抵抗」「民衆と歌謡」「民族の魂」などについて時空を縦横に駆け巡って辿り、できれば沖縄にまで駆け抜ける話を、と聞いた。二人だけで呑むのは初めてだったが、実にいい酒だった。
19**年の〇月〇日、同じ場所に居たことが分かり、その場に居た者だけが知るエピーソードで大いに盛上った。目の前の*茶の*駅、聖橋を渡ると見せて急左折、数倍の***を実力突破・秋葉原へ猛進、あれはスゴかったなと言い合って、直後には苦く沈黙。互いに、その後のやや隔たっていて・やや重なっている悔悟の歳月が押し寄せているのか。
「どうすれば、失敗や間違いや無惨に辿り着けるのか?それだけは語れるかも」
「それが、爺にできることかも」と、言い合って杯を交わした。
数日後の三浦氏からの返信FBコメント:
三浦俊一: いやー美味な酒だった、勝手に喋り過ぎず時に沈黙があって、大人の酒を飲んだ気がします。
アジール 空堀: 趙博「声体文藝館」『飢餓海峡』 熱演
「アジール 空堀」第4回イヴェント
15:30~ 声体文藝館『飢餓海峡』(舞道ダンスシアター)参加者43名
18:00~ 懇話食事会(ビストロ ギャロ)参加者22名
パギの『飢餓海峡』は一段と磨きがかかっていた。
内田吐夢の作品のストーリーとセリフ(主演:三國連太郎・伴淳三郎・左幸子、助演:高倉健・加藤嘉・他)の(モノマネが見事!)をほぼ踏襲しつつ、どの主演者の視線で物語全体を俯瞰するのか?へのこだわりが一層明らかになっている。
杉戸八重(左幸子)が乗り移って演じるパギの語りと動きは、1947年という戦後間もない社会の、総体としての貧困・不安・混乱を超えた、極貧・報われることの無い善意・出口のない境遇を、背負い生きそして果てた一人の娼婦八重の側から描きながら、そこに立場や生業や社会的位置を超えて在る人間の、ある《誠実》を必死に描こうとしていた。
硬直したの女性論・人権論の向こう側に時に透けて見える建前に、理論や新しさで向かうのではなく、世情や処世に動じることの無い《情》や弱者のかたくなな《信》を対したいが、パギの主旋律は、例えばグローバリズム信奉連呼の中の、産業民主主義を唱え実践するオールド古風経営者のように、それは無効かもしれないが、そこに必ず、大げさに言えば人類史のある可能性が在るのだ、という信念の表れかもしれない。
伴淳刑事が語ったように、物語が「層雲丸事件」の裏面史だとしたら、パギ:声体文藝館「飢餓海峡」は、文字通り映画「飢餓海峡」の裏面譚なのだ。
演歌の採用には異論もあろうが、小説も詩もが表せない情感や肉声や想いの核心を、例えば優れた短歌が詠い遂げることがあるように、演歌にはそのような底力があるかもしれない。採用される石川さゆりの演歌「飢餓海峡」がそこに届いているかどうかワシには解らないし、ただちに却下する知恵を持たない。八重の真情・心情・信条を限られた条件の中で表す方法論を持ってはいない。
特筆したいのは、春間げんさんのピアノ、呉光雨さんのライティング!
最高でしたで。
写真上:八重を演ずる趙博
写真下:懇話食事会風景
アジール 空堀 第二回集い:『熊沢誠 映画を語る』
『熊沢誠 映画を語る Vol:1』
「労働コミュニティの動揺と再生…イギリス炭坑労働者の
【於:谷町六丁目空堀通:「ビストロ・ギャロ」】
21名の参加を得て盛会・好評のうちに 21:00に終了。…
熊沢先生の「映画というフィクションが、時にドキュメン
労働運動に限らず、そのコミュニティや社会の内部からだ
『パレードへようこそ』は、大争議中炭坑労組へ多額のカンパを
「1945年8月・日本」 「ゾラの視角」 「兵士の帰還」など、その演題を聞いただけで身震いする
思うに、熊沢誠の、時に「度外れた」と揶揄される「イギ
それは「映画を愛する心」と分かち難く結ばれ、ひとつの