広沢虎造『清水次郎長伝より「石松金毘羅代参」』

7月28日、台風の情報を気にしつつ「繁盛亭」へ・・・。大雨強風が来たらブルー・シートまくれ上がって、屋内水浸しやぁ~~。

銀瓶さんの韓国語版『時うどん』は見事。韓国語解からないワシにも(言葉は字幕スクリーンで読むのですが)そのリズムの良さが伝わって来ました。
パギ版広沢虎造『清水次郎長伝より「石松金毘羅代参」』にハマりました。銀瓶さんが言ってましたが、パギは実に「多才」だなぁ。
これを演(や)る心は、大衆芸能に観る「大正デモクラシーの匂いと、軍国ファシズムの重低音」その攻防と、それを「鷲掴みに根こそぎ丸ごと」「あっちへ」持って行かれた無念を繰り返すまいとの想いや、「いま」「今日」への鋭い文化・文明批評、声を枯らしての警鐘だろう。
2018年、異議申し立てではないお涙頂戴の「不幸」もの・続出する難病悲恋もの・それを鷲掴みにする「家族」もの、それらを怒涛の迫力で覆う「戦記物+リアルバトル」「近未来殺し合い」・・・、アニメ・ゲーム等のサブカルは、あることの「前夜」夜空を彩る様相だ。

「次郎長伝」では、カッコいい男に描かれている次郎長やバカ正直な森の石松の像には、大衆の気分が仮託されている。卑怯なズル悪い奴・「お上」の末端組織などをやっつける次郎長一家、あるいは例えば森の石松が次郎長に準「タメ口」で喋る姿や、幹部子分たちの振る舞いに組織的頂点にひれ伏すのではない、アンチ・ピラミッド型集団モデルが描かれる(「大正デモクラシ―もチラリ匂いまんねん」パギやん弁)。それらが大衆から支持された理由かもしれない。
できれば「石松金毘羅代参」を挟んで、前段の「代官斬り」から次の「石松三十石船同中」まで、「アジール空堀」で演(や)ってくれないかなぁ~。

打上会で、ちょこっとそんな話ができた。