連載 76: 『じねん 傘寿の祭り』  八、 しらゆりⅡ (3)

八、 しらゆり③

黒川の講義が続いた。                                                                                                                しらゆりはもちろんユリ科だが、ユリ科にはオニユリ、タカサゴユリ、クロユリなど各ユリの他に、チューリップ・ヒヤシンス・スズランなどがあるんだ。ちょっと意外だが、タマネギ・アスパラガス・ニンニク・ニラ・ネギ・アサツキもユリ科だそうだ。ちなみにユリの花言葉だが、オニユリは陽気・愉快、クロユリなら復讐・呪いと来る。ユリも七変化なんだね。しらゆりはさっき言った母以外にも色々あって、威厳とその反対のような無垢というのもある。けれど、無垢なる精神の極まりにこそ威厳はあるのだという哲学的意味合いにおいて正解だ、とぼくは納得している。そうだろう、母とは無垢にして威厳ある存在じゃないかね。百合子という娘の名付親はみな、そんな想いを込めてるのじゃあないのかねぇ。ぼく、ユリに詳しいだろう? なに、唐津と嬉野の間の山あいに窯を持つ若い陶芸家がね、作品にユリを好んで描くんだよ。扱った時にちょっと調べてね・・・。                                                                                                                                                             裕一郎は、いささか美化されたような黒川の母性観に嫌悪感を抱いた訳ではないのだが、自身の母親を思い浮かべて無垢や威厳とは程遠いなぁ~と苦笑った。                                                                                                                                                                                                                                                                      「何が可笑しいんだ。ぼくを母親依存症のマザコン息子みたいに見るんじゃない。花言葉は花言葉だ。」                                                                                                 「いえ・・・。沖縄とユリは関係深いんですか? あっそうだひめゆり部隊もそこから?」                                                                                                                                                                                                                                            「バカ者、何も知らない男だなぁ。関係深いどころか、しらゆりは鉄砲百合とも言って立派な沖縄原産植物なんだぞ。あちこちに自生群生している。花期は四~六月、まだ咲いてるんじゃないか。日本では六~七月だ。俳句でも晩夏七月の季語だ。それからね、ひめゆり部隊は、ひめゆり学徒隊というのが本当の名称だ。ひめゆりはね・・・」                                                                                                                       1943年、昭和一八年だな、沖縄県立第一高女と沖縄県女子師範学校が教育令改正によって併設されるに当たって、校友会も一つになり、それぞれにあった校友会誌もひとつになった。その際、二誌の名前「乙姫」と「白百合」から字を取って併せ新しい名称にしたんだ。それで「姫百合」になったそうで、ひらかなで「ひめゆり」と呼ぶのは戦後だそうだ。喜屋武岬の断崖に咲くのは偶然ではないような・・・ぼくは、そんな気がしている。                                                                                                                                                                       ぼくの母が、戦後もそのしらゆりを毎年観ていたのだと思えば、この酒は疎かには呑めないんだよ。                                                                                          「しらゆりはうつむき咲きて母はなし(幡 敦)」と黒川がつぶやいた。                                                                                                                                                                                聴いていた亜希が「黒川さん…」と言ったきり絶句して、黒川の手を握った。                                                     「黒川さん、今夜しらゆりを存分に飲んで下さい。私、明日ここへ来なくていいのなら、喜屋武岬へ行きます。断崖のしらゆり、見て来ます」                                                                                                                             「そうしたまえ。しらゆり、今夜久し振りに北嶋君と呑ませてもらうよ」                                                                                   「北嶋さん、いつまで・・・」                                                              「数日中に出るつもりや」                                                                     「そうですか、沖縄では最後になりますね。お元気で・・・。いろいろ有り難うございました」                                                                                                                                                                                   「松下さんも・・・。携帯電話は変えないから、また電話くれよ」                                                                                                                                                     それに無言で頷いた亜希がユウくん言った。                                                                                                                   「またお姉さんと海へ行こうね」黒川がニッコリ笑っていた。                                                                                                                                                               裕一郎は、俺への海行き批判とはずいぶん扱いが違うじゃないかなどとは全く思わず、それでいいんですよと何故か豊かな心に洗われるのを感じるだった。

 船はもう無い。予定通り近くのビジネスホテルに泊るという亜希が去り、三人で帰った。車の中で黒川が言う。                                                                                                                                                                                                                                                                   「ヒロくんから聞いたんだが、先日、大空が告白したらしい」                                                                                                                          「へぇ~、そうですか」                                                                                           「亜希くんの返事は、ゴメンナサイ!だったそうだ」                                                                                           「そうなんですか」                                                                                                         「道理でオープン前ころから急に来なくなった訳だ」                                                                                                                                          「そうですかね、それは違うでしょう」                                                                                                                                                                                                   無言でしばらく走るとまた黒川が口を開いた。                                                                                                                       「君は、先夜の朝帰りの時、亜希くんに拒否されたと言うより・・・、できなか・・・・・・まっ、いいか。二人の態度と会話でぼくには分かるんだよ。無駄に歳は喰ってない」                                                                                                                                          無視しておいた。黒川さん、貴方が言った通り当人たちだけが知っているんですよ。                                                                                                                                                                     裕一郎は思う。大空はいい男だ。けれど、例えどれほどいい男が目の前に現れようとも、亜希はこの三十歳の夏を譲り渡しはしないだろうと。男が手練手管や力で獲得するなら、それはある種の圧政だ、と。その関係はやがて破綻する、と。                                                                                                                          何故なら、「そういう関係」でもなければ、その「タイミング」でもないからだ、と。                                                                                                                                           帰宅後、三人で出かけオバサンの食堂で夕食を採った。オバサンが、黒川のしらゆり持ち込みに快く応じた上に、オープン祝だと二品付けてくれた。二人で半分空けてしまった。                                                                                              

ユウくんが風呂に入っている間に、黒川が何やら箱荷を抱えて部屋にやって来た。                                                                                                                                    「君の報酬の件だが、すまないが現金は五万円にしてくれ。これは、売れば一点十万以上の値が付くはずの花器で、壷と花瓶だ。知念太陽の幻の作品だ。東京の太陽の工房が火災に遭った時、奇跡的に焼け残ったもの九点のうちの三点だが、太陽が工房再建の資金の一部にと売り捌いて、その後マニアの間で高価売買されている。ぼくは当時余裕があったから、カンパのつもりで買ってやったんだ火災の焦げ跡煤が付いた臨場感ある一品だ。ぼくはもう太陽と縁を切っているが、いつか有効な使い方をと考えて来た。三点が行方知れずだと太陽会の会報に出ていたから、面白いことになるかも知れん。これで許してくれないか」                                                                              「いいですよ」他に何の言葉も添えなかった。黒川がキョトンとして出て行った。

 明後日から石垣島へ行こうと決めた。                                                                                                                                                          花器三点を荷造りした。宛名欄に高志の住所・氏名を書いた。                                                                                                                                                                  翌朝高志に電話して、小旅行に行ってから帰阪するので焼物の荷をそちらへ送る、俺マンション返して今住所無いし・・・、代わって受け取っておいてくれ、と伝えて発送した。高志は笑っていた。予想通り現物支給になったのだなと分かったのだろう。                                                                                                                                                                                                                                                       ユウくんへの挨拶が残っている。レンタカーを返す前にユウくんが通うひかり園へ向かった。

 

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